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三重県議会 > 県議会の活動 > 委員会 > 委員会会議録 > 平成15年度 委員会会議録 > 平成16年1月27日 RDF貯蔵槽事故調査特別委員会 会議録

平成16年1月27日 RDF貯蔵槽事故調査特別委員会 会議録

RDF貯蔵槽事故調査特別委員会会議録
(閉 会 中)

開催年月日   平成16年1月27日(火)  10:03 ~ 12:17 

開催場所   全員協議会室

出席委員   16名

委員長 田中 覚 君
副委員長 藤田 正美 君
委員 日沖 正信 君
委員 松田 直久 君
委員 水谷 隆 君
委員 岡部 栄樹 君
委員 芝 博一 君
委員 三谷 哲央 君
委員 貝増 吉郎 君
委員 木田 久主一 君
委員 山本 勝 君
委員 西塚 宗郎 君
委員 萩野 虔一 君
委員 西場 信行 君
委員 岩名 秀樹 君
委員 永田 正巳 君

欠席委員   0名

出席者

   参考人 : 北川 正恭

        (前三重県知事・早稲田大学大学院公共経営研究科教授)

傍聴議員           20 名

県政記者クラブ加入記者    18 名

傍聴者(一般)         25 名

議題又は協議事項

1 RDF発電事業を推進した当時の知事としての見解について

2 委員協議

  ・県外調査について

  ・次回の開催について

【会議の経過とその結果】

〔開会宣言〕

1 RDF発電事業を推進した当時の知事としての見解について

[ 質疑・応答 ]

○萩野委員 おはようございます。新政みえ萩野でございます。北川前知事にはご出席いただきありがとうございます。新政みえ、私から基本的なことを総括的にお尋ねをさせていただきます。残の時間があれば残りの新政みえの委員から補強なり補足なりをしていただくというようなことで進めさせていただきたいと思います。

 まず8月19日のRDF貯蔵槽の爆発事故によりまして犠牲になられましたお二人の方に改めて心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

 消火作業中に亡くなられました川島さんという消防士の方がいます。昨年11月末に第一子長男が誕生されたそうでございます。どんなに待ちわびていたかということを思うと、その無念さが痛く突き刺さるような気がいたします。新しい命の誕生は大変喜ばしいことです。しかしその命が成長して、なぜ父親は、というようなことを私どもに問いかけられたときに、どのような答えを私どもが用意できているのか、ということを本当に深く思いながら委員会の審議を続けてきたつもりでございます。

 北川前知事、今日は参考人と呼ばさせていただきますけれども、北川参考人は8月19日以降、ずっとこの問題について沈黙を保ってきたように思います。おそらく思いはたくさんおありだろうというふうに思います。ですから今日はぜひ、この委員会で県民の皆様に思いを吐き出していただければ大変ありがたいと思っています。

 昨日も委員会がございましたが、まず北川参考人はこの8月19日のあのRDFの事故をどのような形でお知りになったのでしょうか。そしてその第一報を受けたとき、あるいは知ったときの率直な思いを、感想と言うのでしょうか、そんな思いをまずお聞かせいただきたいと思います。

○北川参考人 今、萩野議員さんのご質問にお答えする前に、昨年の爆発事故に関しまして一言発言をお許しいただきたいと思います。8月14日、19日の爆発事故によりまして、お二人の方がお亡くなりになられまして、まず私から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。また、ご遺族の皆さんや関係の皆さん方に対しましても、お悔やみを申し上げます。さらに負傷されました皆さん方に対しましてもお見舞いを申し上げさせていただきます。また、多くの近隣の皆さんやあるいは県民の皆さん方に心労を煩わせることもあり、ご迷惑をおかけしたことにつきまして、前任者としてもこの場をお借りしておわびを申し上げたいと思う次第でございます。

 今ご指摘をいただきましたように、私もこの事故を知ったのはテレビでございました。それでテレビを見ておりまして、素直な感想といいますか、それはですね「これは大変な事故が起こった」ということで、胸を去来するものはいろいろとございました。

 ひとつはですね、先程申し上げたように、これは自分として、心の中ではございましたがお悔やみを申し上げ、哀悼の意を表し、そしてけがをされた皆さんには、けがの量はテレビではわかりにくかったものですから、できるだけ小さく、けがの少ないといいますか、あるいは回復ができるようにということも瞬間的には思ったのでございます。

 そしてそれ以後ずっと沈黙を守っていたというようなことでございますが、私自身、前任の立場から申し上げまして、個人的には申し訳ないなとも思いますし、責任ももちろん感じてはいるわけでございますが、その8月14日から19日前後の事情は正直全くわからない身で、軽々にですね、私がコメントを申し上げることは、マスコミの方からも求められたんですが、かえって県民の方にご迷惑をかけたり、あるいはさまざまな点で、支障をきたすようなことになってはいかがなものかと、そんなことを思わせていただいて、今日はこの場でこういう形で公式にといいますか、お話をという場をいただいたものですから申し上げたところでございまして、心苦しいことはございましたけれども、その点はご了承をいただければと、そのように思います。

 また、前任の知事として、今日もそうでありますけれども、その後、多くの関係をいただく皆さん方のご心労を煩わせたり、さまざまな点でご迷惑をかけていることも心苦しく思っているようなことでございます。

 今ご質問のお答えになったかわかりませんが、テレビで知ってさまざまなことが去来したということでございます。

○萩野委員 おっしゃられるようにこのRDFは、北川知事だけでなくて田川元知事の時代から引き継がれて、今日野呂知事に引き継がれている事項なんですけれども、当時ですね、これはRDFの推進というのは国策でございまして、通産省だとかあるいはNEDOが先頭に立って推進をしてきた代物でございます。

 しかし今日、若干その方向が違ってきたといいますか、昨年の11月には、環境省が他の選択肢と優劣を比較すべきものなんだというふうなことなんだと。あるいはRDFそのものは効率が悪い、そういう場合もあるなどというふうに現在は方針が変わってきておりますけれども、当時ですね、北川参考人はRDFの全国協議会というんですか、自治体会議というんですか、そこの会長なり議長なりをされておりまして、このRDFの全国的な推進も含めて、一翼を担ってきたことは、私は否めない事実だろうというふうに思います。

 法的責任は仮にないとしたとしても、結果論としてこのような事故につながっていったということは、それなりの責任があるのではないかという声が県民の中にたくさんございます。この声に対して、あるいは自らの責任論に対して、どうお答えになるのでしょうか。お聞かせいただきたいと思います。

○北川参考人 RDFの構想なんかをだんだんとまとめ上げていく過程では、あの当時、まず一つは焼却炉が、各市町村で本当に困られていて、更新の時期にきていたということがひとつ、客観的な情勢としてございました。

 そこでこれをですね、全地域でそれぞれが地域内の域内処理としてやったときに、環境の負荷というのは実は低音で少し休んだりということはいかがなものかというようなことをずいぶん議論したことを記憶しておりますが、そういう状況の中でまだまだ未整備な段階で焼却炉を替えなければいけないという状況がひとつ。

 もうひとつはですね、今日と少し状況が違うのは、リサイクルの必要性あるいはサーマルリサイクルなんかを国としても考え始めていたようなときでございまして、さまざまな点で例えば技術的にもそうだったと思いますが、制度的にもですね、さまざまな点で整えていかなければいけないという状況下にございました。そして、新しいその溶融炉にしろRDFにしろさまざまなことを検討、全国的にやられていましたから、お互いが研鑚しあって、いいところを学びあってというようなことで全国的に会議体を設けることが必要だろうというようなことを私どもは思ってですね、その結果私が会長に就任をするということになりました。

 当時の厚生省とかあるいは当時の通産省あるいは自治省で、いわゆるその優遇措置としての補助金の問題であるとかあるいは法整備の問題とか、あるいは交付税措置をしていただくためのさまざまな点なんかで、やはり一つよりは大勢の方と問題を共有し合いながらお話をする方が効果があるだろうとこんなこともございました。

 また三重県的な立場で申し上げますと、当初やはり少し発電に偏った発想があったと思いますが私が就任したころから、いろんなことを勉強した結果、ここはやはりこういった大きな環境負荷という問題にウエートをかけてやっていかなければいけない問題でございましたので、そういった点でまず環境の負荷ということをなくしていくということの理解を求めるために、全国的にもいろんな動きがございます、というようなことをですね、お知らせしながらというときに全体のその全国の自治体会議と、ちょっと名称は失念してますがそういうところでご一緒に勉強することも非常にいいことだというようなことから、私はそれを引き受けそして発電のときには、例えば、ご負担の問題にも、時系列的にずいぶんといろんな考え方があると思いますが、当初は電気事業法が改正されていなかったようなことから、ひょっとするとですね、資源としてね、有料で買えるもしれないというのが、私が受けたころにはもう無料のような話になり、さらにそれはですね、電気事業法の改正等々から、逆に、お金をお払いいただかなければならないという事情もあり、したがってそういったことに対してやっぱり断固と対処していかなければいきませんからできるだけ初期投資を安くということなんかもあって全体の自治体会議の会長を引き受けて努力をしていたと、こういうふうに思います。

 そこでこのRDFがよかったかどうかということでございますが、個人的にはもちろん私は責任を感じておりますし、申し訳なかったと本当に思っておりますが、総体的なこととしましては、全体的にいろんな背景があって、今、いろんなことをこの現職の皆さん方がご検討いただいているということでございますので、そのことにつきましては私はコメントは差し控えたい、そのように思います。

○萩野委員 明確にですね、責任問題についてお答えがなかったというふうに今、私は受け止めたんですが責任は感じているというようなことをおっしゃいましたが。

 爆発するだろうという知見はおそらくなかったのではないかというふうに思います。私も、北川知事と8年間一緒に議場で過ごさせていただきまして、本会議場で、RDFについてさまざまな答弁をされていらっしゃることを調査をさせていただいたんですけども、おおむねですね、環境上ですね、あるいは循環型社会を構築する一環として非常に有効なんだと。知事の答弁です、知事当時の。そしてですね、技術上の問題は既に解決されているんだというふうなことを再三おっしゃっておられます。

 事故調査専門委員会の、笠原忠夫委員長はRDFというのは発展途上の技術なんだというふうに述べておられるんです。しかし北川参考人の知事時代は技術上の問題はもうすでに解決済みなんだというふうなことを再三おっしゃっておられます。これは議事録を見られたらわかりますけれども。知事として当時、何を根拠に技術上の問題は解決されているというふうに思われたのか。

 また、一昨年の12月1日に事実上、このRDFは本格的稼働を始めた。これは北川知事在任当時、始めたんですけども、その当時に施設の企業庁への移管がまだできていなかった、現在でもそうですけど。そして今までの私ども特別委員会の調査でも、試運転も十分になされていなかったということが明らかになってきているわけですけども、そのことは知事在任当時ご存じでしたのでしょうか。

 まずその二つをお願いします。

○北川参考人 私はどの場面で技術上の問題は解決しているということを申し上げたかちょっと、その具体的なところは記憶にございませんが、実は、そもそもRDFを導入するようになったときに、国もさまざまな研究が始まっておりましたから、NEDOも含めていろんな学識を有される皆さん方にもご指導賜りながら最大限、間違いのないようにという努力をしてきたことは事実でございます。

 その中でいろんな選択肢がございましたけれども、これを採用するということについて、私自身がある程度納得といいますか、これならいけるなという判断をしたときに、具体のですね、これをもってということはちょっと申し上げかねるというか、私は言う資格はないと思いますが、さまざまなそういういろんな知見者のご意見を賜りながら、そして総合的に判断して、これでこれを採用しようということにしたんだというふうにご理解をいただけたらとそのように思います。

 そこで昨年の12月1日から稼働するということでございますが、当時、試運転はそういったいろんなことについて、私は企業庁の方からも説明がございまして承知をいたしておりました。

 そこで12月1日にですね、稼働するについては市町村の皆さん方からももう既に集荷が始まっておりましたから、これを運転するのに可能かどうかというようなことを企業庁からも報告をもらいですね、これでスタートしようというような話しになったことは記憶にございます。

 そこでですね、1日から稼働して、いろんな事故が引き続き起こっておりましたから、その都度その都度、私どもは打ち合わせをしながら改善方に努力はしてきましたが、そういったことが安定といいますか、ある程度目途が立った時点で引渡しを受けるのが筋でございましょうというようなそういうお話を企業庁からもいただいておりましたから、私もですね、そういったことを、例えば寒いときと暑いときの性状の違いからどういうことが起こるかとかいろんなことなんかを検討して、そして引渡しを受けるということを聞いておりまして、私もそれは了解をした上で進めてきたと、こういうことです。

○萩野委員 当時ですね、私どもを含めてですけども全国的にRDFというのは爆発するんだというふうな知見ていうのがなかっただろうというふうに思います。ただ、そういうことであったとしても再三本会議場で答弁されている技術的な問題というのはもう既に解決済みなんだというあたりはですね、非常に疑問に思うところでございまして、なにか他に大きな根拠があったのかなというふうなことを思わせていただいていたところですけど、今は総合的に判断されてということでございます。

 12月の監査委員会の定期監査でもその本格稼働を始めたけれども移管もできていないし試運転もできていなかった。その辺の危機管理がこのようなことにつながったのであって、事業主体としての責任を企業庁は果たしていないということを県の監査委員も指摘をしているところでございます。

 それでですね、一昨年の12月1日から昨年の4月まで知事在任中に、その間にでもいろんな事故やトラブルがございました。このことについて、企業庁なり環境部長から報告や上申があったでしょうか。このようなトラブルがありましたというふうな報告、このような事故、こんなことがありました、というふうな報告があったのかどうかということがひとつと、あったのならその一昨年の12月1日から4月の知事在任中に、どのように感じてどのような問題意識をもたれてどのような指示を出されたんだろうか。そのことについてお答えいただきたいと思います。

○北川参考人 12月1日以降、何回か事故がございましたが、その度に私は報告を受けておりました。それでですね、その報告について正確に対処するように当然現場サイドも努力はしており、そういうことでございますが、私も、これで大丈夫かというような話し合いは何回も重ねた中で指示をしたり対応をさせていただいたということでございます。

 そこでこのことにつきましてはですね、それぞれ企業庁も富士電機の方々と現場の責任者の方々と真剣な対応をされてきてみえましたが、1月に入りまして、さらに一層全社的な対応をこれはするべきではないかということから、富士電機の社長さんの方に文書を送付して、それでその善処方を強く依頼したとこういうことで私の方にも、これは全社的な対応ということで、社長自らお出ましをというところもお願いをしたということでございますから、相手が社長というようなことならば知事の方からもですね、声をかけていただけることがいいのではないかというような具申がございまして、それは私からも社長さんの方にそういうことで、電話でございましたが相当きつくこの善処方についてはお願いをしたというのが1月の末だったと思いますが、そういったことを含めて私どもとしてはとり得る対応につきましては精一杯その時点で努力をしてきたと、こういうことでございます。

 しかし結果的に、今ご指摘をいただきましたように、そのもの自体が爆発するんだというような知見は薄うございましたので、今、ご指摘をいただいて私自身もあの事故を見ていろんなことが胸を去来して、あのときにもっととるべきことがあったのではないかというようなことはさまざまに思わせていただいておりますが、そのときはそういう対応、指示をしたということでございました。

○萩野委員 そのような事故があって4月に北川知事から野呂知事になるんですけれども、そのような事故のことについて一点だけ。

 野呂知事へ引き継がれましたか。どのように引き継がれましたか。

○北川参考人 野呂知事とは引き継ぎのときにお会いをいたしまして、そのときは私の在任中お世話になりましたが、引き続きご苦労いただきますがよろしくと。それで私も8年間知事の立場として私が知り得ることで、他の方が知らない場合もあるかもわかりませんから、そういった点についてはどうぞ遠慮なくお尋ねいただいたら、県政進展のためにはご協力を申し上げますので、どうぞ遠慮なくおっしゃっていただきますようにというようなお話とか頑張るからひとつよろしくと、そういう短時間の間の引き継ぎでございますから、詳細につきましては、担当がそれぞれ厚い引継書の中に書いておりますのでご検討いただきましてどうぞよろしくと。こういう形でございますから、その引き継ぎのときに個別具体のことについて詳細にお伝えするということはなかったというふうに記憶しております。

○萩野委員 そんなもんだろうかなというふうに、引き継ぎって思いますけども。やはりもっとこの問題について、きちっとした問題意識があればですね「以後よろしく」ではなくて、もっときちっとした引き継ぎがあったのではないかというふうな思いがありましたのでお尋ねをしたんですけれども。

 そこで、いわゆる企業庁長とかですね、環境部長の任命権というのはこれは知事にあるわけで、知事はその任命権と給水制限だとかですね、あるいは非常事態に指示をすることができるというふうなことが言われているわけですが、当時の環境部長や企業庁長も任命したのは北川知事で両方とも濵田氏なんですけど、再任をしたわけなんですけども。

 そこでですね、そのプロポーザル方式あるいは管理方法についてのその報告、上申があったのかどうか。あるいは業者選定の経緯について北川参考人は知事時代、どのように知っていたのか。あるいはどのような指示等があったのかどうか。

 その業者選定の経緯についてお聞かせをいただきたいと思います。

○北川参考人 このことを決めるときに入札形式といいますか、あるいはプロポーザルの方式にするかというようなことについて、たしか企業庁の方からこれは機能的な意味も含めて単に機械だけではなしにその後のオペレーションといいますかそういう機能的な面も含めて検討するので私どもとしてはこのプロポーザルでいくつもりでございますあるいはいきたいと思いますがどうですか、ということだったと思いますが、私もそれを説明を聞いて、それはそれでいいんだろうというふうなことを返事をしたと思います。

 そこでそのあと当然管理方法というお言葉を言われたと思うんですけれども、管理の仕方につきましても一括でしたほうがいいということがプロポーザルの中に含まれていたんだろうと、そういうふうに思います。したがって、お決めいただいたことについてはそうだろうということで、私からもそういう話をしたんでしょう。おそらくそういうことだと思います。

 そこで業者選定につきましては私も正直わからないといいますか、いわゆる専門の先生方や担当の責任者の方が専門の審査の委員になられていろんな聞き取りをして点数をつけられて、その結果決まっていったんだと、そのように思いますから、それはそれできちっとした対応をされていたというふうに思います。

 なお、選定についての経緯はその程度でございますし、私からそのことに関して指示とかいろんなことをしたことはございません。

○萩野委員 公募型のプロポーザル形式の契約でですね、一括委託したから富士電機の責任なんだとかというふうなことではなくてあるいは事業主体としてあるいは委託者としての役割と責任が一括委託したからなくなるというわけではないというふうに私は思うんです。

 そこでですね、そういうふうな形であっても、在任中、知事から見て、安全管理の認識に甘さがあったというふうな認識はお持ちではないでしょうか。

○北川参考人 私の在任中ということで限定させていただいて、さまざまな点でこういった結果的に事故が起こっておるわけでございますし、安全管理の面で努力はしたとはいえ、さまざまな点で総合的な原因があって結果が起きているわけでございますから、安全管理の上でもっと注意をすべきことがあったのではないかと今にして思っております。

○萩野委員 8月19日のあの事故以降も全国的には9月でしたか、大牟田で5回の発火事故がございましたし、あるいは石川でももう真っ赤になって煙を上げたというふうなことで、事故が相次いでいるわけです。

 63か所、全国で自治体が関与したRDF施設があって、そのうちの31か所とか30何か所で爆発には至らなくても発火事故というのは起こっているわけであって。そういう状況でありながら三重県でも市町村では明日のごみをどうするんだというふうな再開への願いというのが強いように思います。

 しかし今の状況でなかなか再開というわけにもいかないだろうと思います。ずっと今まで推進してきた国のRDF政策が見直されようとしているんでありますけれども、推進の全国自治体会議の議長を務めて、その先頭を走っていた北川参考人として、今、国のRDF政策が見直されようとしていることに対して何かご意見はないでしょうか。

○北川参考人 私は第一線を退いた身で、そういった見解を述べるのはいかがなものかとは思います。したがって述べる資格はございません。

 ただですね、本当にハード、ソフト、両面において国の作り替えのときだと思うんですね。したがってこういった環境に負荷を与えない問題とかさまざまな点でよりいい技術的な進歩もあろうし、あるいは制度的な意味合いでも日進月歩のときだと思いますから、そういった前提で、考え方が見直されるとかそういったことかなと、そんなことで受け止めております。

○萩野委員 この事故を受けてですね、野呂知事はごみゼロ社会の実現というふうなことを目指しておりまして、出さないそれからなくすという方向に。でもこれは、かなり長い年月がかかる問題でございまして、今のごみをどうするかというような、これは毎日毎日の課題でもあるわけであります。

 そこでですね、今後の環境政策あるいはごみ政策について、今お考えのことがありましたら参考までにお聞かせください。

○北川参考人 一般的にですね、議論としてでよろしゅうございますでしょうか。

 今、確かに環境と経営がずっと対立軸できて、それを同軸にするという運動を今私自身もしておりまして、やはり環境に配慮するということが社会的な貢献から社会的な責任というところまで議論が進化しているんだとそのように思っておりまして、今後の環境政策は規制行政だけではなしに経済政策とかあるいは自らが内発的に環境に対してお取り組みいただくとかそういった方向へといっているんだというふうに思います。

 したがって対応から保全にいって環境経営にというようなそんな議論をしておるところでございますので、今後はそういった形で生産活動すれどもごみは出さないという方向へ、あるいは最小限にしたものに対して出てきたごみに対しても、リサイクルとかリユースしていくというそういう努力は一層、強くなってくるんだとそのように思っております。

○萩野委員 最初にですね、自らの責任について少し述べられましたけれども、県民の皆さんにとってはこのRDFを全面的に推進してきたのは北川前知事なんだという認識が非常に強く定着をしているところでございます。

 先程のその責任論というのは、具体的に今後その責任に向かってどのような対応をするのかというあたりのことについて、ないのならない、あるのならこのような責任論に対して具体的にどう活動であるいは行動で答えていくんだというようなところがもしあれば、お答えをいただきたいと思います。

○北川参考人 私が市町村の皆さん方とご一緒にということと私なんかがリードしてということでRDFを進めてきたことは事実でございますから、私として個人的にもそれは責任を感じているということでございます。

 ただ、総合的なさまざまな多面的な活動の中で、すべての政策は進めらておりますし、多面的ないっぱいたくさんの方がいらっしゃって、お決めをいただくことについて、私からその点について言及することは差し控えさせていただくということで、私も胸に去来することがいくつかあるんですけれども、一線を引いた身で、今もこの答弁をしていいかどうかということは、前任の知事として公の立場も半分ひきずったという形からすれば、いかがなものかという点もございます。

 ただ個人的に、私は申し訳ないことをしたなというようなことも含めてございます。したがってそういう範囲でお答えをさせていただいたということでございますので、ご了承いただけたらと思います。

○萩野委員 会派を代表した形で総括的に基本的な問題について私から質疑をさせていただきました。あと、会派の委員から補強をしていただきますのでよろしく。

○日沖委員 私どもの会派のただいまの萩野委員の質問の内容と若干重なる部分もあるのかと思いますけれども、私の方からも二点ほどお聞かせを願いたいというふうに思いますが。

 まずもってですね、やはりこの2名もの亡くなられるという犠牲を出してしまったこの重大な県政はじまって以来のまれに見る重大な大惨事となってしまった事故を受けて、その犠牲に報いるためには、やはり我々が県民の皆さん方のために、正しいステップを踏み出していくという責務を背負ったわけでございまして、このRDF施設を建設した当時の知事ということでただ今のお答えの中にも、その場面場面で反省なり責任を感じておるというお言葉をいただいておるわけでございますけれども、このことの重大性を受けて、気持としては前北川知事は進んでこの場にお越しをいただいているのだろうというふうに思いますし、これからの県民のために貢献できればという思いももちろん持ってきていただいておると思いますで、その点でお聞きするわけなんですが、これまで我々もこの特別委員会でですね、その建設計画が持ち上がった当初からの検証もしながら、なぜこういう事故が起こってしまったのかということをやってきたわけなんですが、これまで前北川知事さんにおかれましても、新聞なりテレビ報道なりでご自身が手掛けられたこの施設の事故の検証の経緯というものは、見たり聞いたりいただいてきたんだろうと思いますが、その中でお気づきの点があったら教えていただきたいなと思うんですけれども。

 我々も検証する中で、議員として議決した身でありますけれども、例えば富士電機からまだ引き渡しが行われないまま、実際には操業状態にあったとかですね、それとか例えば、爆発した貯蔵槽についてのその災害が起こったときの対策、特に火が出るということに対する対策というものが全くほとんどそういう考えがされていなかった。さまざまですね、こんなことがあったんかというようなですね、再度検証してくる中で気付かなかった点、我々には知らされなかった点、多々あったわけです。

 こういう検証が行われているその報道を見たり聞いたりしておっていただく中で、ひょっとしたら当時の知事さんであった北川前知事さんもですね「あ、こんなことをやったんかい」ということがもしですね、そういう報道の中で感じられたものがあったら教えていただきたい。

 このように思いますし、これまでの県なりまたこの委員会なりの検証してきた中で、当時はこうだぞ当時はこうやったんだぞということをですね、我々の参考となることで言っていただけることがあれば、ちょっと抽象的なお聞かせのいただき方になりますけどもお答えをいただければなというふうに思っております。

 我々はもしそういう参考にさせていただくお話がいただければ、ぜひそれを基に、再度さらなる検証を深めていきたいというふうに思っておりますのでよろしくお願いいたしたいと思います。

 それと社会的な責任というのを感じておられるというふうに先程来のお答えの中で私ども感じさせていただいておりますので、これからの北川前知事さんのお仕事の立場なりまた諸般の活動の場で今回の大きな事故というものを感じながら、折に触れてやっぱり社会の中で、三重県民のために尽くしていただく部分もあるのかもわかりません。そういうですね、立場というものをこれからどういうふうに考えておられるかまた自分なりにこういうことで県民の皆さん方に今回の事故を受けて思いを返していきたいということもあればお聞かせいただきたいとこのように思います。

 以上、お願いいたします。

○北川参考人 私も正直ですね、事故が起こったとき、前後ですね、あるいはその後の経緯についてはほとんど知らないんです。したがって断片的にマスコミ報道等で知る程度でございますので、そういった立場でございますから総合的な判断が当然できないということになれば、私は知事前任者という立場から言えばコメントが与える影響なんかを考えた場合、総合的な判断ができない立場で発言すべきではないとそういう思いでございましたので、その点はご了承を賜れればと思います。

 そこで個人的にさまざまな点で限界、いろんな前後左右からいろんな法律的なことからあらゆる要素で、環境政策なりRDFは成り立っておりますから、私から申し上げることは特にございません。

 したがって今後ですね、私どもが気がついたときには、こういうことではなかったかというようなことは、積極的にお話をさせていただくように努力をして、気がついた場合にはさせていただきたいとそのように思っているところでございます。

 また今後ですね、私の仕事の立場から、三重県政のためにということは当然のことでございますから、前任者がいろんなことで言葉を差し挟むことは厳に私は慎むべきだと思っておりますが、いろんな点で先程のいわゆるRDFに関すること以外でも気がつけば、こういうことでございましょうかというようなことについては今後努力をさせていただいて、私もお世話になってきたという前提も踏まえあるいは三重県民ということであったことも踏まえまして、今後そういう努力はさせていただきたいとそのように思います。

○田中委員長 三谷委員お願いいたします。三谷委員に申し上げます。申し合わせ時間が後5分程度となっておりますのでよろしくお願いいたします。

○三谷委員 あと5分ということですので完結にご質問させていただきます。

 今回の事故の大きな原因の一つに企業庁の丸投げの体質があるんじゃないかというそういう体質論があるんですね。先程来、例えば安全への配慮等そんなものはなかったんじゃないかということもありまして、企業庁が富士電機にもう全部丸投げしてしまった。プロポーザル方式という経緯を通じてなおさら責任の所在が明確でなくなってしまったというところに大きな原因の一つがあるというのが今までの議論の中で出てきております。

 知事になられて8年、さわやか運動以来県職員の意識改革等、ずっと一連の北川改革といいますか、県政改革続けて来られました。政策推進システムまで行きついて最後は自己評価できちっとサイクルができるというところまで、形の上ではできたように見えるんですが、結局職員のそういう意識改革というのはことなっていないんではないか。

 北川改革は道半ばといいますか、この事故、また、今の企業庁の体質等みますと成功していないのではないかと。そんな評価につながってきていると思います。ですからそのあたりのところをまず、参考人のお考えを聞かせていただきたいと思います。

○北川参考人 私8年間知事を務めさせていただいて、私でできないこともたくさんございましたし、私自身の立場からすれば私自身もじくじたる思いもございました。それはそれとしてですね、さまざまなことについて議会の皆さんはもちろんでありますが、職員の皆さん方も、真剣にお取り組みいただいたことは事実だと思います。

 それでこういったことがよりマシ論でいきますと際限のない改革になっていくと思いますから、ワンステップ上がれば次のツーステップ目に上がるためのさまざまなハレーションが起きますしね。そういった段階でいろんな点で出てくると思います。

 まだまだ意識の点においても組織の点においても、未整理といいますか改良すべき点は次から次へと、一つやればまた続いて起こってくることがあると思いますから、今回のことにつきましても、さまざまな点で今、次のバージョンで、議会もはじめいろんな方がご検討をいただいてさらに一層進めていく、こういう状況だと思います。

 したがいまして、私どもが担当させていただいた8年間では限界もあり、まだまだ不十分であったということだと、そのように思っております。

○三谷委員 改革はエンドレスだというのはよくわかりますし、まだまだ続いていかなきゃいかないのだろうと思うんですが、不十分であったということはやっぱりこういう事故が出てきて初めて明らかになったという感じがします。

 そういう意味では、やはり北川県政8年間のきちっとした総括をこういう事故を契機に出していただかないとなかなか県民の皆さん方はご納得いただけないのではないかと、そんな思いがしておりますので、知事を辞められる時もですね、その総括論もあまりなかったような感じもいたしておりますから、お考えがあれば最後に聞かせていただきたいと思います。

○北川参考人 明らかにこういう事故が起こりまして、本当に皆さんにご心労を煩わせておりますが、進化をしていくということはひとつ、ご指摘いただくとおりの点があると思います。

 もう一方で、やっぱりそういういったことが起こらないためのさまざまなこの知識といいますか方法論とかそういったことも煮詰め、さらに県行政のあり方等々について状況が今、変わってきていて、例えば情報公開の時代だとかいうようなことも含めてですね、今後もご検討いただくことは多かろうというふうなことで、これはどなたに限らず一歩一歩着実に前進をしていただくことが必要だと、思っておるところでございます。

○水谷委員 自由民主党・無所属議員団の水谷でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 私からもまずは、今回の事故でお亡くなりになられました2名の犠牲者に対して、哀悼の意を表したいとこのように思います。

 北川前知事はですね、大変公私ともお忙しい中を出席いただきまして本当にありがとうございました。なかなかコメントをする場がなかった北川前知事におかれましては、この特別委員会へのご出席を率先してお願いいたしましたのは私でございまして、少し私の方からも質問させていただきたいと思います。

 ただ先程来ですね、質問がありました方と若干重複する部分もございますけれども、その辺は私の確認の意味でもひとつよろしくお答えをお願いしたいなとこのように思いますのでよろしくお願いいたします。

 北川参考人は、事故が起きてから何回か三重県にお見えになって講演会などを開催されておりましたが、特にですね、10月3日に三重大学での講演後に爆発事故についての記者団からのコメントが求められたことに対しましてですね、場所が違うと。ノーコメントというような拒否をされましたし、また講演後も控室に入り大学職員を通じて報道陣の取材を受けないという意向を伝えられたというふうにお聞きをいたしておりますが、やはり前知事として、何らかの遺族に対してのお言葉があってもよかったのではないかと思いますが、この辺はいかがでございましょうか。

 それからまた7名の死傷者に対してと三重県行政に信頼を寄せていた地元住民に対してそれぞれ現在の心境と認識を述べていただきたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。

○北川参考人 先程も少しお話をお答え申し上げましたが、私としてはよほど慎重にこれはコメントをしないと、前後左右のことがさっぱりわからない状態の中で軽々にコメントすべきではないということでマスコミの方に対してコメントを控えたということでご了承いただきたいと思います。

 今日ここで公式の場で認められたというか、そういうことでございますので、今日、お話を申し上げ、実は昨年もですね、参考人として呼んだらどうかということでお決めいただいたということを知って、これは早くお邪魔したいなということで、去年の暮にも日程一番最短のときというようなことで申し込んだというのはそういうことでもございましたので、私としては遅ればせながら先程、さまざまな点で哀悼の意を表しお悔やみを申し上げお見舞いを申し上げたとこういうことでございますので、大変遅れたことにつきましては申し訳ございませんけれども、その点はご理解をいただければと思います。

 さらに亡くなられた方や負傷された方あるいは県行政に対して信頼をしていた地元住民の皆さん方に対してということでございますが、これもまた遅ればせでございますけれども当時の前任者としての立場が限定つくと思うんです。現在のいろんなことがございますから、そのことについてご迷惑のかかるようなことはいけないと思いますが、私からも前任の知事といたしましていろいろとご心労を煩わせ、ご迷惑をおかけいたしまして信頼を欠くようなことになったというようなことにつきまして、心からおわびを申し上げさせていただくと、こういうことでございます。

○水谷委員 今、本当に哀悼の意を表されるということで気持はよくわかりましたんですけども、遺族あるいは亡くなられた方に対して手を合わされる気持というのはあるのかなとちょっとお聞きしたいのですが。

○北川参考人 もちろん私自信も哀悼の意を表し本当にご冥福をお祈りするということで手を合わせて個人的にはしてきたところでもございますし、本当に申し訳ないという思いもございます。

 したがいまして今日この場でこういう発言をさせていただくということでご理解いただきたいと思います。

○水谷委員 このRDFの発電事業につきましては、北川参考人が、前知事がですね、全国に先駆けて率先して進められたとこうお聞きしておりますし、また、この環境先進県の三重県知事として全国にこの名をほしいままにされたわけですけども、先程も出てましたようにですね、技術上の問題はすべて解決したというふうに議会でもお聞きしておりますが、私といたしましては、やはりダイオキシン法の法規制にからんだでまだまだ未完成であったのではないかあるいは時期が早かったのではないかというような気がいたしておりますけどもその辺についてはいかがでございましょうか。

○北川参考人 結果としてこういうことが起こりまして、反省もしなければいけないと思います。

 それで、その都度その都度現場で、差し迫った事情もこれあり一つ一つを決定していくときに最善のといいますか、最大の努力をして判断をしていくと、こういう状況でございましたから、そのときには、私どもとしては最善の努力をしたつもりでございますが、結果としてこういうことが起こってしまって、あらためて考えさせていただくときに反省もしなければいけない問題であろうと思います。

 ただですね、RDFの問題等々につきましては、当時のサーマルリサイクルを含め市町村の皆さん方が本当にお困りになっていたというような事情があって、さらに後ほどの問題になりますが、14年12月までに、さまざまなダイオキシン等々の問題もこれありでですね、そのときには真剣に判断をせざるを得ない状況下で判断をしてきたとこういうことでございましてそのときそのときには最大の努力をしてきたつもりでございます。

○水谷委員 今、そういった形で先程もありましたように責任を感じられているというようなことでありましたけども、この事故の責任所在というのはまだはっきり出てませんけれども、北川前知事あるいは野呂知事あるいは富士電機のいずれに事故の責任があるというふうに思われるか、ちょっとお聞きしたいですが。

○北川参考人 恐縮でございますがそれは専門家の方がご判断をいただいたりいろいろな点でご検証いただいていることで、前任の私からコメントすることは控えさせていただきたいと思います。

○水谷委員 続きまして危機管理体制についてちょっとお聞きしたいのですけれども。平成14年12月に発生した火災事故の際の連絡、情報共有体制の不備を受けて、平成15年の1月の22日だったと思いますけれども、定例記者会見で北川前知事は危機管理体制を確立徹底していくと述べられておりますが、その当時どのような認識をRDF発電諸施設の危険性に対してお持ちになっていたのか。

 さらにですね、それにかかわるどのような危機管理体制を構築していったのかと。

 そしてまたこの点についてお聞きしたいのですが、加えてもう一歩踏み込んで、今回の一連の事故は当時として予見できなかったのかということもちょっとお答え願いたいなというふうに思います。

○北川参考人 12月1日から稼動いたしまして、12月中にも事故が起きて1月に入りましても起こっておりましてこれはゆゆしき問題だというのがございました。したがいまして私としては、この件については、担当者とも何度も議論いたしましてと記憶しております。その中で例えば大きな原因の一つとして形が潰れていたということも報告を受けて、市町村の皆さん方にもさまざまな形を求めていただいて、しっかりとしていただくようするのが、あるいは富士電機に真剣な対応をするような、そういった形等々に取組するようにという、そういう意味合いで、多分私は会見で、ちょっとそこは読み返しておりませんので十分なことを申し上げられませんが、それで相当強い決意で体制としてとるべきだという思いがあの当時はございました。

 そこで、この事故を予見できたかできなかったかということでありますが、私どもとしてはその爆発といいますかそういったことに至るまでの予見はできていなかったというふうに申し上げていいと思うのですが、さまざまな燃えるとかあるいは熱をもつというようなことについては意識はございましたが、爆発に至るというようなことについてはその当時、懸念はしたかもわかりませんが決定的な予見はできなかったと申し上げた方が正しいと、そのような感じがしています。

○水谷委員 私はですね、このときにやはり危機管理体制をきちっときびしく作っていたならば、今回の事故がひょっとすると防げていたのかなという気がいたしておりますので、その辺が非常に残念でならないのであります。

 時間の関係で次の質問に移らさせていただきます。

 ごみ行政ということですけれども、一般的に廃棄物行政というものは住民により近い市町村が行うべき専権事項であるけれども、行政単位を大きく見直していくという観点から言うならば、その専権事項に県行政が積極的に関与をしていったことに関しては、私も一定の理解をさせていただきますけれども、県が主体的に進める中であっても住民や市町村の理解を得たり場合によっては住民や市町村との対話を通じてある一定の人為的財政的な負担を求めることも必要であったのではないかと感じる次第でございます。

 そういった住民や市町村との対話や県民の全体最適の中で、廃棄物処理問題を考えるのではなく、今回のこの問題というものはですね、廃棄物をエネルギーに変えるRDF発電という最先端の科学技術の導入が先行し、それ自体が自己目的化した結果、導かれたのではないかと。

 つまりはですね、焼却炉の問題解決を行うためにむやみに最先端の技術を過信しあたかもRDF発電という新技術がすべてを解決してしまうという幻想を作り出してしまったのではないかということであります。

 また行政機関が新技術を採用したり安全性を担保したりすることに対してプロポーザル方式や専門家の意見などが、いわばブラックボックス化的役割を果たして新技術を一層後押しする形になったと言えるのではないかと。

 私はこのような認識を持っておりますが、当時、知事という立場でこの問題をどのように認識しておられましたのかをお聞きしたいと思います。

○北川参考人 ごみ行政は本来、市町村の事項という意味合いは当時も承知しておりまして、ずいぶんこの点については議論を重ねて、制度上もどうなるかということも含めて議論をしたことでございました。

 その中で、一部事務組合というようなことから、だんだんとごみの域内処理かあるいは広域処理かというようなことを含めて、ごみの問題は既に一部事務組合をやられたり消防の問題なんかも、消防車の発達とか道路事情が良くなってきて、あるいは化学的な事故も起きた、火事も起きたというようなことから、これは広域的にやるほうがいいなというのは、これは議論のあるところで、当時盛んにそういう議論をいたしまして、当時は、先程申し上げたように今の事情と違いまして焼却炉の更新時期が最も市町村にとって財政的にも大変に重い負担ということがございました。

 もう一つは埋め立て地を確保していかないと危険だなあと。環境負荷など保たないというようなこともございました。そしてその中から水の問題等々の土壌汚染の問題もだんだんとそういう議論がされるようになってきたというそういう当時の事情があったことは事実であろうと思います。

 そこで私どもとしてはこれは広域でとらえて、そしてそれに輸送することにするためにはこういったネックレス状の県内の地域事情もございましたから、やはりごみを小さくして固形して貯蔵したりあるいは輸送したりしやすい形というのが議論されていったということになるわけでございます。

 そこで今ご指摘をいただきましたとおり、サーマルリサイクルとしてエネルギー発電というようなことで、当時4年ごろからこれは計画がされてきたわけでございますが、そういったことが中心だったことは事実だと思います。

 そこで私が7年に知事に就任をいたしまして、いろんな検討をして、そしてこれは電気、売電ということよりはむしろ環境という点にウエートを置いて、そして市町村の皆さん方と一緒にもっと角度を変えてやるべきだというようなことの議論を重ねてきてですね、そしてそういう中で桑名広域の方からぜひその全体的ないわゆる当時の桑名広域も焼却場が古くなってきて直さなければいけないとかあるいはさまざまな点で莫大な経費をかけて処理をしているというようなお話の結果、おそろいで私どもにぜひ、いわゆるごみの最終的な処理をやる場合赤字になるため、ぜひ県の方でというご要望もちょうだいするというそういう時代背景でもあったということが一つ、ご認識をいただきたいと思います。

 したがって発電自体が自己目的化したという時間的な経過の中でいえばそういったこともあったかと思いますが、私になりまして環境によりウエートをかけて、いわゆるその個々に、例えば極端な話をすれば69市町村全部に焼却炉ができた場合の環境負荷はどうなのかというようなことあるいは市町村の皆さんが地域のそれぞれ大変な批判がある中でやらざるを得ないというのにできるかどうかということもございましたから、そこで私としては広域でというふうに選択をしていくとこういうことでございまして、地域の市町村の皆さんとその点ではかなり一体的にということだと思います。

 時間の経過と共にですね、先程ごみを買い上げるとか輸送費ももつとかいうのは無料になり、そして電気事業法の改正なんかでご負担願いたいというようないきさつの中で全国の自治体会議の議長会長というのになって、制度改革に一生懸命努力をして経費負担ということはしてきたとこういうことでございます。したがいまして、そういった解決こそがすべてであるということで取り上げてきたというふうにご理解いただければと思います。

 なおプロポーザル方式とかさまざまな点で、ブラックボックス化してというようなことのご指摘もいただきましたが、先に、プロポーザル形式を選定するというのは機能面も含めて企業庁の方でお考えいただいたということは、これは無理からぬことではなかったかというふうに、私は思っているところでございまして、結果的に今、ご指摘いただいたようなことで、あまりにも丸投げになっていたとかそういう点については、ご指摘いただければそういう点も反省すべき点はあったかもわからないなと、そんなことを思わせていただきました。

○貝増委員 最初に、ちょっと例えで今日の中日新聞の朝刊に、中日春秋ですね、「戦後の最初の愚かな行いは、官修の『日露戦史』において、すべて都合の悪いことは隠ぺいしたことである。表面的な叙述で国民は何事も知らされなかった。日本は神秘的な強国と教えられるだけで後の日本をおかしくした。」とこういうことが今日の朝刊に載っておりました。

 今日、参考人にお伺いしたいのは、先程の質疑にもありました、情報管理から知事在職中、あるいは引き継ぎまでの間のこの半年間について二、三、お伺いをさせていただきます。

 質疑にもございましたけど、まず最初に、平成14年12月1日、ダイオキシン規制になって華々しく三重ごみ固形燃料発電所が竣工された。この時ですね、時の知事であられるあなたは設置者でありながら竣工式に出席されなかった。これはどうしてですか、まずこれを教えてください。

○北川参考人 私はですね、いろんな県の建物とかいろんなことを竣工したときには、これは県民の皆様の立場に立って建てているわけですから、設置者の方が大きなリボンをつけて、というようなことは少し控えたほうがいいのだろうという感じがしておりまして、そういった席には少し御遠慮して行政のあり方がそういった形で見えてくるのではないかと、こういう思いもあってお邪魔をしなかったんだと思います。そんな感じです。

○貝増委員 それも一つの知事在職中の生き様、あるいは県民に対する接し方、行政の長としての身の置き方。それはそれですばらしかったんですけども、やはり先程来の参考人のお話のごとく、危機管理の問題、あるいはダイオキシン対策に対する県下各市町村の焼却炉の変更どうするかと、それについては循環型社会あるいは環境先進県というそのひとつの理想の中で26市町村が手を挙げていただいてRDF事業を推進されてきたと。

 たしか各途中でですね、一番最初は濵田環境部長に対して26市町村とのRDF製造についての推進を知事は指示をされてきたと思います。そしてそれができた暁に、今度は同じ製造責任を負ってきた濵田環境部長を知事の任命で今度はできあがったRDF発電施設の管理責任者である企業庁長に引き続き任命されてきたと。

 これはとりもなおさず、二つの二元性からいくと、製造と燃焼の営業を行う二つの部分を1人の人間にすべてトータル管理をさせると。そういったきらいが参考人の知事在職中の腹の中にあったと思います。あちらこちらに任すのではなくて、1人に任すほうが管理がしやすいと。

 ということは、とりもなおさず、そのときの代表者であったこの施設設置者である時の北川知事というのは、自分の考えを聞いた指示したではなく、すべて具体化しようとしてそういう人的配置をされてきたんじゃなかろうかと。それをまずもう一度確認したいんですがいかがでしょうか。

○北川参考人 心境を分析していただいて、なるほどなと思いましたが、そういうところを徹底的にということは、あまり認識としてはなくてですね、むしろ実は、さまざまな企業庁を取り巻く課題は多うございました。そして、太平洋セメントの問題等々いろんな問題もございましたので、そういったことに精通してそしていわゆるその市町村との関係なんかもよく熟知をしておられる方に企業庁長にご就任いただくということがいいのではないかということから、私としては企業庁長に任命をしたと、こういうことがむしろ強かったという認識でございました。

○貝増委員 冒頭の例えと今の質問から核心に入らせていただくのですが、12月1日、当然議会中でございました。そして3月議会が終わって4月21日に知事は退職されたと。こうしたとき、正確に言えば平成14年10月28日から26市町村からの試作品といいますか完成品といいますか、RDFが桑名の施設に搬入されてきて、燃焼に入ってきたと。試運転されてきたと。そうして12月1日を迎えてるんですが。

 この間、知事を勇退されるまでの間、何回も大きな事故から小さな事件までございました。そして、先の委員にお答えされたように、企業庁には予備指示をし、報告を受けて指摘もし、指導もしてきたと、言いながら一番大事な県民あるいはこの県議会について、そういう2回の定例会がありながら説明もなかったと。これがやはり改革半ばにしてと言われるかもわからないですけども、一番大事なやめられてから事故が起こって我々も議決した責任もありますけれども、あの時もっと本当に企業庁なりそういった関係部局の報告聞いて指導したときに、指摘をしたときに、議会にもなぜ言えなかったか、これをもう一度ちょっと確認させてください。

○北川参考人 12月1日前後からですね、4月に至るまででございますが、たしかにいろんな議論をした中でですね、実は企業庁自体もわからなかったこともあったと思います。対応の仕方とか、そういうことについては議会からも当時ももっと情報提供するべきであるとかあるいはもっと事前にどうして情報提供できなかったかとかそういうご指摘もいただいて、何回も企業庁とそういう話をしたことはございまして、できる限り先に出していこうというようなお話はしたことがございました。

 そこでですね、私ちょっと今、議事録持っておりませんので申し上げかねますが、絶えず企業庁長中心といたしましてあるいは環境部を中心としまして議会には最大限伝えるようにという指示もしておったところでございます。だからその間でご指摘いただいたことは私も覚えておりますので、その点では至らなかった点は反省もしていかなければいけないとそう思っています。

○貝増委員 自由民主党・無所属議員団は分担制をとっておりますのでもう引き継ぎますが、最後にもう一点だけ参考人にお伺いさせていただきます。今日冒頭でこういう機会を与えていただいてと参考人、言われました。そしてオフィシャルの世界でいろんな質疑の中で今、答えられていただいております。

 ということは、今日はこれが終わったあと、現地をのぞいて2人のお亡くなりの方、負傷者は全快されているということですけれども、その現場行って手を合わされるかどうか、それをお伺いさせていただいて、質問を終わらせていただきます。

○北川参考人 私もですね、事故が起こった直後にそういうことを考えたことも事実でございます。あるいは今日お邪魔するのもですけれども。

 今ですね、総体的にお取り組みをいただいているという立場からいけば、前任者でございますから、私は一線引いていますから、そういったことについてはご遠慮申し上げ、個人的にご冥福をお祈りしたりあるいは本来こう申し上げたいということでとどめさせていただくことがいいんではないかとそう思っております。

○山本委員 昨年はマニフェストという言葉が流行語大賞ということで、大変全国的に名前がうれましてどうもおめでとうございます。RDF政策の方も今までお聞きをしますと、今日までご苦労いただいたわけでございますが、できれば本当に、RDFのマニフェストも早く作っていただいたならば、今日のようないろいろな事故が起きなかったかなと、こんなことを前知事の顔を拝見させていただきながら思いを深めたわけでございますけど、その上で少し質問させていただきたいと思いますが、だいぶ重複をいたすかもわかりませんけれども。

 企業庁が桑名の広域の方にいろいろRDF構想をですね、平成4年からもしくはまた北川知事時代になってから急速に進めてこられたわけですけれども、その当時私も県の側の方でいろいろ関係しておりましたから、当時いろんな構想の中では桑名広域が火付けだという当時のその状況の中にはたとえば本当に企業庁の県の方から温水プールを作ろうとか温熱を利用していろんな施設を作ろうというそういうバラ色の構想を一緒に引っ付けて話をされたもんですから、おそらく地元としても乗ったんじゃなかろうかとこうやって思うわけですけれども、現在はそういうものは何にもございません。そういう意味では、ある意味ではその構想は地元の方としては県の方に押し切られたとか、ある意味ではだまされたというような、こういう思いがあるわけですけども。

 知事、その辺のところをご意見があればお伺いし、前知事の本来のRDF構想いわゆる桑名のあの地でどんなようなRDF構想をえがいてみえたのか、ちょっとお伺いしたい。

○北川参考人 時間的な経過がございますので、最初は発電を中心とした発想のときに桑名広域さんとどういうお話がされたかというのは、ちょっと私は十分知らない点があるかというふうに思いますのでその点でですね、いろんなお話が、温水プールとかいろんなことがあったかもしれません。それについてはちょっと私はコメントできる資格というか立場にはないということでございますが、その辺はちょっと正式な書類なんか持っていませんからその点はご理解をいただいてお答えをしたいと思いますが、そういったお話があったかもしれません。

 あるいはもう資料ないとは思いますが実は平成7年に私が、知事に就任して、いわゆる環境面を重視した政策にRDFを変えていきたいということを徐々に県庁の中で議論を重ねていったところでございました。

 したがってそういう中で8月だったと思いますが、早い時期に桑名市をはじめ広域の組合の皆さん方からぜひにと。あの当時は処理にものすごくお金がかかっていたということと焼却炉がもう限界にきてたというようなことがあって強いご要請があったんです。したがって、私がRDF化構想に踏み出すひとつのきっかけになったことも事実で、翌年だったと思いますが、しばらく検討させていただいた結果、ぜひですね、じゃあお願いしましょうということで、これは両者の相合いの関係で成立したんだというふうに記憶をしているところでございます。

 したがって、私としてはあるときに、ああいった施設がくる以上はいろんなことを当然すべきではないかということを桑名広域からもお話をいただいて、それは話が私は違うと思いましたから、当時の市町村長さんにお寄りいただいて、これは両方で真剣に対応することであるから、これに対して何か見返りをということでは断じてありませんということを、相当強く申し上げた記憶はございましてですね、そのあたりはそういうこともあったということはひとつご了承をいただいておきたいと思います。

 そしてその後、立地的にも場所的に空いている部分もございましたから、あそこを中心として環境に優しいいろんな点でですね、できるものはないかということを県民局を中心に、12、3年ごろだったと思いますが、検討してみてはどうかということでございました。

 したがって、その間にいろんないきさつの中で、今ご指摘いただいたようなこともあったかもしれませんけれども、もう一方で一緒に本来の市町村の仕事であるごみ行政に、私どもも関係する以上はそういう立場もちゃんとご理解いただきたいということを申し上げながらやってきたことも、もう一方で事実であったということでございまして、私もご指摘いただいた点もあったと思いますし、私が今申し上げた点も、お含みをいただくというかご了解をいただいておきたいとそんなところが正解じゃないかと思います。

○山本委員 次に進みますけど、水谷委員ともちょっとだぶりますけど、知事は市町村分権をどんどん進めてみえましたけれど、このごみ行政というのはやっぱり市町村の専権業務ですから、それを取って、こう進めましたが今でもこれやっぱりこういう専権業務を県の方でやるというのがいいと思ってますか。

○北川参考人 政治行政の中で100%ですね、白か黒かとかですね、二項対立、二者択一ということは言いにくい点はあるかと思いますが、しかし消防とかあるいはごみ行政とか広域にまたがることは避けて通れない課題だと思います。したがって、そこの寄って来たるべき理由は峻別しないといけないとは思いながらも今、域内で一つ一つを徹底的に処理できるかといえば、現実的には不可能だろうし非効率ではないかなというような点から見まして、市町村行政にかかわることはもっと真剣に判断をしないといけないという前提はもっと強く持たなければいけないと思いますが、そういった広域行政的なことはこれから増える部分があるだろうと、そんな認識でございます。

○山本委員 引継時期の問題をちょっとお聞きしたいと思ってますのやけど、知事は引き継ぎのときには、ある面では形式的に引き継がれたとこういうお話をされましたのですけど、企業庁から作られた引き継ぎの書類というのがあるわけでございまして、それは去年の引き継ぎの時期に作られた中には、例えば製造されるRDFの性状を改善することが市町村の担当者とか施設管理者とか製造するRDFの性状が改善されるように市町村にお話をせえとか。それから貯蔵槽を改造し、貯蔵槽内のRDFの温度監視及び長期の滞留を行わない運用をせよとか。

 それから、なお、発電停止の間処理できなかったRDFを四日市等の倉庫で保管していますが、発電所再開後、順次それを焼却しなさいとか。それから異常発熱にかかる負担のあり方についても今後富士電機と異常発熱トラブルにかかわる費用とか損失についてはリスク分担に基づき協議をして負担額を決定しなさいとかこういう引き継ぎ事項が企業庁から出されて今の現知事に引き継がれてると思うのですがそんなことはご存じでしたか。

○北川参考人 引き継ぎは短期間でございますから、お互いよろしくということの形でございましたが、その中には厚い引き継ぎ書ということで引き継いでおりますから、その点については私は承知をいたしておりましたし、そういうことで努力もしてきておったということも承知しております。

○山本委員 そうしますと、それを忠実に実行して次の知事が忠実に執行しておったらおそらく今日のような事故が起きなかったというような気持ちはお持ちですか、お持ちでないですか。

○北川参考人 私は私の在任期間中のことでございまして、その後のことについてコメントはできませんので、それで皆さんでご審議いただくということでございますので、私は私の時期の責任においてそういう努力をしてきたとこういうことでございます。

○山本委員 その程度しかあれかわかりませんけど、それでもう一点ちょっとお聞きしたいんですけども、プロポーザルについてお伺いしたいと思いますが。

 やっぱり県民の声はプロポーザルの選考過程において、技術的にも未完成な、未知の分野であってですね、実績のなかったこの富士電機になぜ決まったのかという。これが大変多くの県民の皆さん方が疑問を持っておわれるわけですわ。

 それがですね、今となったらそのプロポーザルが技術をいただくところがですね、それがなくて、例えば中部電力なり学識経験者等の知識をいただいてそれで判断を仰がざるを得ないというこのような状況になっておるわけです。

 知事としていろいろ今日導入されたこのプロポーザル方式が、今でも良かったのかな、この辺をちょっとお伺いをしたいと思います。

○北川参考人 こういった新しい技術的なこととかですね、あとの管理も重要な要素であるというようなことからいけば、選択したプロポーザルというのはまあまあそういう形であったろうと、私は思わせていただくところでございます。

 したがって技術的にまだ未完成なものであったとかそういうご指摘については、あの当時、これはあらゆる点で言えるかもわかりません。そういったことで、結果的に見れば我々もあるいは企業庁の担当をいただく皆さん方ももっと真剣にということであろうということを今、振り返ってみてということで、当時としては精一杯の努力をした。しかし検証してみればまだまだ不十分な点があったというようなことだというふうに思います。

○山本委員 それからこのプロポーザルで、その富士電機が導入をされたということでございますけれども、知事は、入札検討委員会へも参加をせずに、おそらくこの業者の決定にかかわっていないように私ども見えるわけですが、平成12年の2月の25日に三重県RDF焼却発電設備事業提案審査委員会で、一応正式にプロポーザル方式で富士電機に決まった。

 また、同年の10月10日の9月議会でもこれでいくということで議会で決議されましたけれども、いろいろやっぱり以前から話をされてみえるように、富士電機の役員さんが知事にごあいさつにお見えになったというようなことよく話を聞くんですけれども、例えばそういう審査委員会あたりでプロポーザル方式で富士電機に決まったあとに、富士電機の役員さんが知事に正式にお見えになったんですか。あいさつに。

○北川参考人 正月なんかにですね、県内の大きな企業の方が何名かごあいさつにお見えになるというときに、富士電機さんもお入りになっていたかもわかりません。そういうふうなことがございました。

 そのあとは私どもにごあいさつがあったかどうかはちょっと記憶にございませんのでお答えできませんが、私が記憶のないような程度のことだったと思います。

○山本委員 その中で少し、これも憶測になるかもわかりませんけど、そういう役員があいさつに見えて、前知事はそのあとで職員をしかったというこんな話があるんですが、そんな記憶はございませんか。

○北川参考人 ときどきですね、職員も親切だと思いますけどね、何かの折にこういったことでこの建築やられたとかこういうことで事業やられたというのがあるときには、私も何回かは厳しく言ったことがあります。

 それは、そういった形で私どもに紹介とかそういうふうなことはすべきでないというようなことであって、そのことかどうか私わかりませんが、そういうことがありましたですね。

○山本委員 最後にもう一点だけ。富士電機に決まったということで、いろいろ憶測のお話があるかもしれないんですけど、例えば県会議員さんでそんなような方が一緒にあいさつについて引き回してこられたというそんな話は別にないでしょうな。

○北川参考人 正月なんかにごあいさついただいたときに、そういった議員さんとかですね、あるいは関係のいただく方がお見えになったことはございますから、その中には入っていたかもわかりません。日常のあれだったと思います。

○山本委員 どうも終わります、ありがとうございました。

○田中委員長 申し合わせの時間があと5分間くらいになってまいりましたのでよろしくお願いいたします。西場委員お願いいたします。

○西場委員 前知事、お久しぶりでございます。このように久しぶりにお目にかかると8年間のいろんなことが思い出されまして、ある意味ではあの8年間なんやったんかなと。そのような思いにもかられるんですが、今、他の委員からも言われましたようにこの8年間の総括というのがですね、やっぱり我々としても大事かなと改めて思っております。

 改革ということで三重県中走り回られて、いつの間にか走りすぎていかれたんでありますけれども、その中で取り組まれたことの多くありますけれども、この環境政策、環境先進県ということで取り組まれた部分の中で、RDF事業にかかわられた部分というのは非常に大きい。北川県政の中の最重要政策と言ってもいいんだろうと。就任からご退任までの間、終始、もちろんいろんな他の課題もあるんですが、この問題にずうっとかかわられてきたわけですね。北川県政とこのRDF事業というのは切っても切り離せない関係性があるということをこういう事態になって今日この場に臨んで改めて思わさせてもらうところであります。

 このRDF発電を所管する企業庁、これは日常の管理業務を総括していく立場でありまして、その総括責任者は企業庁長ですが、その任命は知事にあって、設置者、そういう意味においてこれから重要な判断というのは設置者の方に委ねられていると。こういうようなことを今までの議論の中で聞かせてもらってきております。

 そのときにこの我々が、設置者としての責任ということを委員会とか本会議でいろいろやっていく中で、昨年の5月にこの北川さんから野呂さんに引き継がれておる。こういう状況になっておるだけにですね、その設置者としての責任の所在というものが、非常に議論の中であいまいになってきておるわけであります。

 その中でいろんなところでこの話を現知事とする中で、現知事が言われるのは、今、昨年の5月から就任したとはいえ現在は私自身が現知事であるので、設置者としての責任は私にあるという気前のいい答弁といいますか説明をしておられるわけですが、この知事の責任所在という問題について8年間にわたっていろんな場面場面で重要なポイントのところでかかわってこられたそのかつての知事としてこの現知事の責任所在発言についてどのように感じられるかお聞きしておきたい。

○北川参考人 私は前任者の知事といたしまして個人的に申し訳ないことになったというようなことで責任は感じております。したがいまして8月の事故というのは新たに発生した事故ということを前提でいきますとそのことについて過去のことも含めて総合的に知見者の方のご意見を聞いたり、あるいは現実の問題をどう判断したりということで、総合的に現体制でご判断をいただくことが一番正しい思います。

 したがって私はそのあたりについては100%と言っていいか、全く知らない状態の中で私がそのことについて言及することは控えるべきだということを思っておりますので、先ほどからもそのようにお話を申し上げました。

○西場委員 先程からのお話の繰り返しでございまして、それ以上はお聞きできないかなとこう思うんでありますが、であれば個人的責任というものをどのように考えてどのように取られるか、どのように今、考えておられますか。

○北川参考人 個人的にも前任者といたしましてもお二人が亡くなられ多くの方が負傷されて、あるいはいろんな点で県政執行上ですね、不信感を持たれたりとかいろんなご迷惑がかかっているということについては、やはり前任の知事といたしましても責任を感じますし、亡くなられた皆さん方に個人としても私はお悔やみも申し上げなければならないし、まことに申し訳ないなという思いもございますとそういう意味で申し上げております。

○西場委員 事態が大変深刻な状況に結果としてなっただけに、やっぱりいま一歩、思いを深めてこの個人的責任というものについて考え、そして行動していただきたいとこんな思いをいたしますので、率直に意見として申し上げたいと思います。以上でございます。

○岡部委員 無所属.MIEの岡部でございます。私の方から二点ほどと永田委員の方から一点ほどお願いいたします。もうほとんどの委員の皆さんで重複するかわかりませんが、簡単にご質問させていただきたいと思います。今回ですね、今のご答弁で平成7年にRDFのことをということで最初に言われましたけれども、私の記憶によりますと、津市の大里の方で、いわゆる中部、今のサイエンスシティの一角で、RDFをという話があったように思うんですよ。その時期が平成7年かどうかわかりませんが、この7年の時点で北川さんは、これを取り組まれたというか、最初にやられたのか。それとももっと以前にその話があったのか。またその時期的なものがちょっと私わかりませんけれども、たしか大里の方でもそういう話があって、検討して中止になったということが実はあります。その時点が7年かどうかわかりませんが、この7年のときに初めてRDFというものを北川さんは知られて進められたのか。

 もし国の方からですね、指示があったとすれば、どなたから「北川さん、こんなんやってみやんか」という話があったのか。ご記憶があればお聞かせいただきたいなと。

 それからもう一つは、これは三重県の、我々の、事故で2人がお亡くなりになって、7人が死傷したということで、クローズアップされておりますけれども、先程冒頭に萩野先生もお話しましたけれども、全国の各地で大なり小なりの事故は起きとるわけですね。そうすると、国の指導あるいはそれによってやったわけだと思いますけど、国も県もそれから専門業者である委託先の富士電機も、あまりにも認識不足であったということを言わざるを得ない。

 そういうことからいきますと、私は、国にも大きな責任があるんではないかなと、こう思うのですが、その辺のご見解はどうか。

 それからこういう事故が起きて、そして専門業者である富士電機ではなくて、今、山本議員もおっしゃいましたけども、いわゆる中部電力さんにお願いをして、そしてこの事故の原因調査にあたっていただいた。その結果において、何点かの不備が出てきた。もしこの不備が、いわゆるきちんと安全性を確認されて、スタートして、このまま何もなければ、いわゆる現在、わからないままにやったということになるわけですね。

 いわゆる技術的にわからないまま。審査委員長もおっしゃっていた、発展途上の段階でありますよと、このRDFは。それについて事故が起きた。調査をした結果、中部電力さんに調査をしてもらった結果、何点かの不備が出てきた。それについて、うまくいくとすればわからないまま開始したということになります。そうするとこの事故は、人為的な事故であるとこんなふうに思うんですが、北川さんとしてどう思われますかお聞きをしておきたいと。まずその二点です。

○北川参考人 RDFの問題はですね、平成4年からスタートしていると思います。それでそのときは、やっぱり津管内の今ご指摘いただいたようなところを中心にいわゆる売電を含めてどうするかということ、さらにそのころに既に焼却炉の更新の時期があったということがあって、大変な議論がございました。

 そして河芸町からの反対等々があって、サイエンスシティへも断念をするというような状況の中で、私は平成7年に知事に就任をしているとそういう流れがございました。

 したがって、私はそれを受けて、いろんなNEDOとか化学的な知見とかその時点で調査されたこともございましたので、そういったことを踏まえて検討に入らせていただいて、やはりこれもしRDFを進めるとするならば、むしろ発電とかそういったことでサーマルリサイクルが必要なんだけども、むしろ環境負荷低減にウエートを置くべきであり、もう一方で、市町村の皆さんに環境行政としてもっと深い関係を持ちながらご一緒にということが必要であろうというようなことでございました。

 その中で桑名広域からですね、土地の問題も含めてさまざまな問題がございますから、ぜひあとのですね、RDF発電等はお引き受けをいただきたいというようなご要望もいただいて、そんなことを今度改めて検討してそして翌年にお引き受けさせていただきますというような返事をしたような記憶がございますので、流れとしては平成4年からスタートして、そして7年に私が受け継いで、そして今日に至っているというふうにご理解をいただいて結構かと思います。

 さらに国の方の指導も誰からかというのは、実は国から直接私の方にということではございませんで、4年、5年、6年という経験もあり、私が7年に就任してからもいろいろ勉強してそして私が国へ行ったことも事実でございまして、一緒にご指導もいただきご相談にも乗りあるいは新しい法整備をしようとか補助金を作ろうとかあるいは交付税措置が充当できるようにとか、そういったことについては相対の関係といいますか、のようなことでご指導いただいたといえばそういうまでのことでありますが、ご一緒に作り上げてきたということにもなろうと思います。

 当時私も含め国もですね、当時から県議会でもご指摘をいただいておりましたが、未完成な部分があったことは事実だと思います。だからこそ作り上げていこうというようなことでやってきておりますので、国におかれましても新しいことで試行錯誤があったというようなことからすればですね、共にこれから解決方にご努力ぜひいただきたいなというふうな認識でおるところでございます。

 さらに新たに知見者とか中部電力さんで原因調査をして、何点かの不備があったと、こういうご指摘をいただいているということでございますが、そのことを含めましてですね、トータルの話は、時間的な問題とか総合的な知見の問題とか、あるいはどなたがどうやったというのは総合的に判断してコメントするべきことだと思いますので、私が今この場でですね、ほとんどそういう状態はわからない中で答弁するということは、よけいな混乱を招く可能性があるということで、私自身も知らない部分がほとんどでございますのでご遠慮させていただきたいということをご了承いただきたいと思います。

岡部委員 時間もありませんので。お答えにくいかわかりませんが、爆発事故が起きて我々の委員会で富士電機さん委託業者を、呼びました。事情もお聞きしました。その時点で、いわゆる「こういうことが起きるとは夢にも思わなかった。県からも聞いていなかった」という業者に対して再度また委託しようとしておるのですが、お答えにくいかもわかりませんが、北川さん個人としてどうですか。

北川参考人 現体制で十分ご検討いただきたいと思います。

永田委員 それではもう時間もありませんので。参考人にはお忙しいところ本当にありがとうございます。私も参考人さんとは8年間一緒に議員として県政に携わらさせていただいてまいりました。

 爆発事故のあの日に県民の1人から「またやったぞ」という電話が携帯に入ってまいりまして、えらいことしたなと一瞬そう思いました。それからいろいろ考えますときに、県政史上に大きな過去を残してしまったなと、この、実は、思いでもあります。そういうことでですね、ここに参りまして、よくよく考えてみますに、萩野議員からもおっしゃられた、他の委員さんもおっしゃられておりましたけれども、やっぱり一つには技術的な情報不足だったんじゃないかなと、これにつきるのかなという感じでですね、おります。

 例えばこの水分の問題。あるいは粉体の問題、カルシウムの問題、これがやっと昨日の特別委員会で議員に明らかになってきたわけですね。

 そしてもう一つは、2人の死亡事故。この問題についても委員会で申し上げたと思うんですが、あの状況の中で、タンクの上から消火をさせるということは考えられないことなんですね。可燃物を入れたタンクを消火するのにその上に乗せて消火するなんて、あの方法は、考えられないことなんですね。それが実際に行われてしまってあのような痛ましい事故になってしまったと、こういうことを考えていきますと、まさしくこれは技術情報不足につきるなあと、こういうふうに思えてならんわけですね。

 そういうことを考えますときに、私は、今も議論がありましたプロポーザル方式、その中で、審査員、学識経験者、3人いらっしゃるんですね。3人もいらっしゃって、それなりの学識経験を持った方々が審査していらっしゃいます。そういうことの中で、今度その技術情報のそんな情報はなかったのかどうかと、これ非常に疑問でならんわけなんです。その中で。

 例えばRDFの水分がですね。これは世界にも起こられることだったということですし、あるいは日本の中ではかなりもう事故も起きているわけですからそんな情報はなかったのかなと。こういうふうな思いでもあります。

 それやこれや考えてみますときに、こういうやっぱり技術的な情報不足から起きたな、それがですね、考慮されないままにこういうふうな実施にうつってしまって事故に至ったと。こういうふうに思えてならんのですが。いろんな議論の中から技術的な情報という、技術的な面について解決されたといいながらも、どうもそこにあったのかなという思いでならんのですが。

 さて、そこら辺で、時の知事さんの見解だけね、所見だけお伺いしておきたいなと思います。

北川参考人 その時々にはですね、技術的なこととかさまざまなことを総合的に判断をしてきたんだと思います。しかし結果として、爆発事故が起こり、多くの方が死傷されたということからみましたら、至らない点があったのかなというようなことを個人的に思わせていただいております。

 したがって、すべてのことについて今後も慎重に対応しないといかんのだなと改めて肝に銘じさせていただいたというような、個人的な感覚を申し上げさせていただきますとそんな感じをいたしております。

永田委員 反省ということになっちゃうんですけれども、やはり環境先進県として走ってまいりまして、その中の一つはごみ政策であって。ごみ政策で一番大事なですね、省資源型のしかも再利用、これは発電という、これはもう非常に考えてみてもすばらしい政策であったと思いますが、やっぱりちょっとそこら辺でですね、走りすぎてしまったのかなという反省のもとであります。今後はこういうことで、いろいろと県政の場でそういう事態が発生する中で、こういう点については十分にいい反省材料として与えていただいたなと思えてなりません。以上でございます。終わります。

田中委員長 ほかに特にご質疑。松田委員お願いいたします。

松田委員 今日の特別委員会、いわゆる事故調査特別委員会なのですが、ここへ前知事が来ていただくことが本当に事故の調査につながるのかどうかといういわゆるこの委員会でもいろんな議論がありました。

 今回2人の方が亡くなっていて、死傷者が7名ということで、その方らの思い、そして地元の思い、広域でこれを取り組んでいただいている方の思い、そういう思いがですね、前知事はどのような考えで進めていたのだろうということに、県民の思いに応えるのもこの委員会のひとつのあり方なのかなという思いで今回来ていただいたと。ですから調査以外のご質問もいろいろ多岐にわたってありました。

 しかしやはり私もですね、来ていただくのはいかがかなと思っていたんですけど、やはり今の思いというのに答えていただくということも大きな我々の仕事なのかなということを踏まえてですね、あえて質問させていただくのですが、今、前知事、北川知事がですね、いわゆる事故が起きてから100日あまり経って、今日はもっと経っておりますけれども、先ほど何べんもコメントする機会があったけれども、個人とまた公という意味でそれを差し控えられたとそうおっしゃられました。100日ぐらい経って、12月8日だったんでしょうか、いわゆる特別委員会が終わってから副知事の方にですね、いわゆる大変な事態になっているということを聞いたのでということで、あえてご連絡をいただいたということで、今回こういうふうな形になったということなんですけども。私はそれまでに何回もコメントしていただく機会もあっただろうし、今言っていただくようなことをコメントしていただければいいと思いますし、もしその、何回もこの委員会でも参考人でということで、隣の水谷議員さんなんかもご指摘ありました。委員会の情報を聞かれて、副知事に言われたということであるのであれば、それまでに何回もあったわけですけども、100日経ってですね、あえてご自分から副知事の方へですね、かかる事態になってということで、この委員会に、いわゆる出てもいいぞというようなご返答といいますか意見といいますか考え方、きたわけですけども、そこ辺のところちょっとご説明いただきたいと、そのように思います。

北川参考人 実はですね、私は委員会で何が行われているかとかそのことについて全く知りませんでした。そこでですね、12月3日か、少し日時がずれているかもわかりませんが、ここでですね、野呂現知事がご出席をいただいて、その席でですね、私の参考人招致が決まったやに、という前提で、記者の方から知事室長かどなたかにお訪ねがあってコメントをということだったと思います。そのときに私は、具体的なことはわかりませんからね。だから今はコメントは差し控えさせていただきたいという返事だったと思いますね。

 翌日ですね、私は新聞でしたかね、何か、正式に決まったというようなことがですね、そのときも委員会で私が決まるということを聞いていたのですが正式なことではなかったもんですから、新聞情報で私が知り得たんだと思います。これは正式に決まったとするならば、しかも野呂現知事さんが招致されたということになって、私にもその結果、招致が決まったということになれば、これはやっぱりできる限り早くですね、お邪魔をして、私からも意見を、考え方を申し上げる機会、あるいはおわびを申し上げる機会があればと思って、あの当時少し忙しかったんです。それで最短の時期がですね8日でしたか、そういう時期でお願いできたらということでございますから、委員会の内部を事情を承知した上でということではなしに、正式に私の招致が決まったということが私にわかって、その上でやるときにお呼びいただくとすれば、前任の知事というようなことでございますから、直接私、今、県議会の皆さんとどなたともお話をしていなかったものですから、私が直接ですね、議会にお話するのはいかがなものかと、こう思ったものですから、これは特別職の方にお願いして、知事室の方でお願いするのが筋だと思ったものですから副知事の吉田さんにですね、お願いをして、知事のご了解をいただいた上でご手配を、議会とのですね、お手配をいただけませんかというのは、私からお願いしたというのは実情でございますので、実は内容、それまでの委員会を熟知してとか、そういうたんびたんび知っていたかということではございません。したがって正式に決定したことを受けて、それならば私としても公式にお話ができる場面ができたという認識で吉田副知事さんにお願いをしたというのが実態でございますので、ご了承いただきたいと思います。

松田委員 知事に今のお話を聞きまして、なにかどこかできちっと説明ができるところがあったらいつでも行きたいというようなお言葉があったものですから、委員会のですね、動向を見て、もっと早いお言葉をいただいとったらいいのかなというような気もあったもんですから、そのように申し上げました。あと一点いいですか。前知事にお伺いするんですけども、この環境情報、標榜してきたわけですけれども、その標榜を重視するためにこの事故が起こったのではないかなというようなことを率直に今、考えていらっしゃるのかどうか最後にお聞きしたいと思います。

北川参考人 結果としてそういうご指摘いただくこともあろうかと思いますが、しかし新しい時代の価値体系を作っていく上でですね、そういった政策というのは重要だというような認識でやってきたということでございます。

田中委員長 ほかに特に。木田委員お願いいたします。

木田委員 時間がきておりますけれども一問だけ聞かせていただきたいと思います。世間にこういう考え方があります。北川知事がやめられてこんな大惨事が起こった。北川知事は大変運のいい人で、野呂知事は馬鹿を見ている。こういう考え方もあります。そういう中で、私たちの質問に対して、野呂知事は「責任は全て私にある」と、こういうふうに言われております。そういう意味から言いますと、北川前知事は野呂知事に対してですね、もう少し思いやりがあってもいいんじゃないかな、ということを私は感じてきました。そして、今日のお話の中で、「総合的なことはよく解からないから、私は発言をしてこなかったし、また今日も差し控えさせていただきます」ということを言われましたけども、本当に野呂知事のことを考え、亡くなった人のことを考え、県民のことを考えるんであればですね、総合的なことを、勉強して知ってここへ出られるのが、私は本筋だというふうに思うんですけども。その点について一点お伺いします。

北川参考人 公式な立場とですね、私的な立場というのは、現にやっぱり分けて判断しなければいけないという思いが非常に私には強うございます。したがいまして、現体制でいろんなあらゆることをですね、総合的にご判断いただいて、やられるときに、例えば指示系統が二元にあって、解決がうまくいくかといえば、それは逆に混乱を起こすであろうとか、そういったことでございますので、私として、個人的な思いは、さまざまございますけれども、こういった立場の中で、現体制がおありの中で、私がコメントをするということは、むしろ逆効果だというようなそういう点でですね、私はそういう思いでおりますので、その点につきまして、ご了承をいただきたいと思うところでございます。

田中委員長 あと特にございませんでしょうか。無いようでございますので、以上を持ちまして、本日の調査を終了いたします。北川正恭氏におかれましては、長時間まことにありがとうございました。

以上、会議の要綱を記し、ここに押印する。

   平成16年1月27日

                       RDF貯蔵槽事故調査特別委員長

                                 田 中   覚

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