三重県議会 > 県議会の活動 > 委員会 > 委員会会議録 > 平成29年度 委員会会議録 > 平成29年9月21日 総務地域連携常任委員会 会議録
総務地域連携常任委員会
会議録
(開会中)
開催年月日 平成29年9月21日(木曜日) 午後1時3分~午後3時4分
会議室 301委員会室
出席委員 8名
委 員 長 下野 幸助
副委員長 石田 成生
委 員 田中 智也
委 員 東 豊
委 員 後藤 健一
委 員 津田 健児
委 員 長田 隆尚
委 員 青木 謙順
欠席委員 なし
出席説明員 出席を求めず
委員会書記
議事課 主幹 松本 昇
企画法務課 主幹 小端 邦彦
参考人 4名
AGF鈴鹿株式会社 管理部 衛藤 昂 氏
三重県立志摩高等学校 教諭 滝田 真 氏
公益財団法人日本障がい者スポーツ協会 スポーツ推進部長 水原 由明 氏
三重県障がい者スポーツ協会 会長 前田 浩司 氏
傍聴議員 4名
中瀬古 初美
岡野 恵美
山内 道明
杉本 熊野
県政記者 なし
傍聴者 7名
調査事項
第1 参考人からの意見聴取
1 スポーツの推進について
2 障がい者スポーツの推進について
第2 その他
【会議の経過とその結果】
〔開会の宣言〕
第1 参考人からの意見聴取
○下野委員長 本日は、スポーツの推進及び障がい者スポーツの推進について、参考人からの聞き取り調査を行います。
これまでの委員会で決定したとおり、本日は、AGF鈴鹿株式会社管理部、衛藤 昂様、三重県立志摩高等学校教諭、滝田 真様、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会スポーツ推進部長、水原由明様、三重県障がい者スポーツ協会会長、前田浩司様、以上4名の方に参考人として出席を求めております。
本日の調査の進め方についてですが、まず初めに、衛藤 昂様、滝田 真様からお話を伺い、質疑を行った後、着席休憩を挟み、午後2時ごろから、水原由明様、前田浩司様にお越しいただき、同様に調査を行いたいと存じます。
なお、参考人からの聞き取りは、質疑を含めてそれぞれ1時間以内といたしたいと存じますので、御了承願います。
また、参考人に御退室いただいた後に、委員間討議を行いたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
1 スポーツの推進について
(1)参考人意見陳述
○下野委員長 それでは、調査に入ります。
この際、参考人の衛藤 昂様、滝田 真様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、お忙しい中にもかかわらず、本委員会のために御出席をいただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して、心からお礼を申し上げますとともに、忌憚のない御意見を述べていただきますよう、よろしくお願いを申し上げます。
それでは、参考人からの意見聴取を行います。
参考人の方からは、選手及び指導者としての立場から、選手の育成・強化など、競技力の向上に向けた思いや取組状況、課題と思われること、また行政に期待すること、選手引退後のキャリアなどについて御意見を聞かせていただければと存じます。
それでは、まず初めに、衛藤 昂様、よろしくお願いいたします。
○衛藤参考人 御紹介いただきましたAGF鈴鹿株式会社の衛藤と申します。本日はよろしくお願いいたします。
事前に弊社のほうに御来場いただきました際に、スポーツの推進について、このようなことを議題として取り扱いますというふうに質問事項をいただきましたので、そちらの内容と、あとお配りさせていただきました資料をもとに説明させていただきます。
まず、1番の選手の育成・強化など、競技力の向上に向けた思いや取組状況、課題についてですが、私は現在、選手としてやっておりまして、育成のほうは、選手の誰かを見て教えているという経験はございませんので、自身の課題であったり、取組状況についてお話しさせていただきます。
まず、練習状況、取組状況なんですけれども、資料の4ページ目の練習状況のところで、年間9試合、10試合が夏に行われていまして、もうこの時期、9月から冬の間はシーズンオフということで、陸上競技のシーズンで取組を行っております。週に5日間練習しまして、母校である鈴鹿高専のグラウンドと、あと市の競技場、AGF鈴鹿陸上競技場のほうで主に活動しております。1日の流れとしましては、平日、会社のほうに午前8時から午後4時ごろまで出勤しまして、その後練習に行くという形で、年間を通じて行っております。
今後の目標としましては、走り高跳びの日本記録が今2メートル33センチで、私の自己ベストが2メートル30センチまで来ておりますので、その更新と、3年後に来る東京オリンピックでの入賞に向けて取り組んでいる状況であります。
次の課題に関しましても、自身の取組に関する課題なんですけれども、やはり走り高跳びの競技上、身長の高い選手、外国の選手のほうが有利ではあるんですが、そうはいっていられませんので、体力、筋力面の継続的な強化と、跳躍技術の向上、効率よく自分の体を使って跳ぶという技術のところと、あと、どうしても海外のレベルが非常に日本から離されているところがあるので、海外の経験、ハイレベルな試合であったり、海外の雰囲気や気候も全然日本と違いますので、そこで結果を出すこと。より高いレベルの試合に出てよい結果を出すことというのが、東京オリンピックに向けての課題かなというふうに考えております。
年間の海外遠征としましては、5ページに書かせていただいたんですが、アジアの試合であったり、世界選手権、ヨーロッパ遠征に個人で参加していたり、というところで、2015年の6月のアジア選手権は優勝することができてはいるんですけれども、なかなか世界選手権とオリンピック、先月行われた世界選手権も予選落ちで終わっておりまして、世界のベスト12に入るにはもう少し、あと10番ぐらい成績を上げる必要があるのかなというふうに考えています。
次の、行政に期待すること、2つございまして、1つは練習環境の充実、もう一つはスポーツの価値向上ということを挙げさせていただきまして、鈴鹿市の陸上競技場、AGF鈴鹿陸上競技場になるんですけれども、照明がなくて、10月から3月は、もう午後5時に閉まってしまうということで、午後3時半から4時、仕事が終わってから練習し始めると、1時間、1時間半ぐらいしか使うことができなくて、ウォーミングアップで終わってしまう。それから鈴鹿高専に移動して、グラウンドをお借りし、照明をつけて練習するというような状況が続いていますので、できれば、四日市は照明がありますし、そこはもう少し時間を長く競技できる環境があればうれしいなというふうに感じております。
もう一つ、資料の6番にもあるんですけれども、スポーツの価値向上ということで、2016年12月に、鈴鹿市のときめきスポーツ大使に就任させていただきまして、非常にスポーツの価値を高く評価いただいたと感じております。今回もこのような立場でお呼びいただきまして、非常にスポーツの価値、スポーツをやることを高く評価いただいているのかなというふうに実感して、非常にありがたく思っております。
今回の議題でありますスポーツの推進について、スポーツの推進を進める上では、競技人口の増大、ピラミッドの底辺を大きくするのが必要になってくると思うので、先ほどの競技施設の充実とは別視点で、やっぱりスポーツの価値を高める取組に今後取り組んでいけたらなというふうに考えております。
もう一つ、最後の選手引退後のキャリアについて、県内で後進の指導に当たってもらうための課題についてですが、私は今、AGF鈴鹿のほうで正規社員として働きながら競技を続けておりますので、今後も会社に残ることも選択肢としてもちろんありますし、7ページのアスリートのセカンドキャリアということで、いろいろアスリートのセカンドキャリアがある中で、後進の指導に当たるというところも選択肢には含まれると思うんですが、今のところはちょっと考えておりませんでして、自分目線でというよりは、こうなるといいのかなという形で書かせていただきました。理想を書いた部分が多くて、世界大会に出場すること、後進を育てるのであれば、やっぱり世界に出ていく選手になってほしいなというところがあるので、そうなると、対象はやっぱり大学生とか社会人、種目によっては高校生が出るような種目もあるかもしれないんですけれども、三重県において1人でも多く日本代表選手を出そうと思うなら、私自身は鈴鹿高専の高校レベルのグラウンドでやっているんですけれども、やっぱり夜遅くまで自由に使える競技場であったり、自分の学校の競技場が環境的に整うと、非常にやりやすいのかなというところも感じる部分があるので、まず練習環境が大学にある、大学が所有しているというものがあると、やはり競技力が向上できるのかなというふうに思います。
今の三重県は、中学生、高校生で非常に強い選手もたくさんいるんですが、なかなか県内にとどまれずに県外に行くことが多くなっているので、選手が県内の大学に残ったり、県外に行ったとしても、また帰ってきてできる環境があると、これから私たちの世代が後進の指導をするに当たっても、非常にやりやすくなるのかなというふうに感じております。
以上になります。
○下野委員長 ありがとうございます。
せっかくなので、プロフィールはよろしいんですけれども、資料3枚目のオリンピックの道のりのところを飛ばされたと思うので、もう少しお話いただけますか。
○衛藤参考人 私自身、白子中学校を卒業しまして、中学校時代は、全国大会に出場するレベルに全くありませんでした。当時は1メーター86センチが全国大会の出場レベルで、1メートル71ということで、東海大会にやっと出られるようなレベルだったんですけれども、そこから鈴鹿工業高等専門学校という5年制の学校に通うことになったのがいい方向に働きまして、継続的に5年間はできる環境を与えてもらったのが、非常によかったと思っています。そのおかげで、身長が伸びたという要因もあるんですけれども、継続的に練習ができる環境を確保されていたというところで、日本選手権に高専5年生のころには出られるようなレベルになっていましたので、そこから少しずつ記録を伸ばして、1センチ、1センチ、1センチというような中だったんですけれども、オリンピックに何とか間に合うことができて、今年も自己ベストを更新して、世界選手権に出ることができたという経歴になります。
○下野委員長 ありがとうございます。
自己ベストが2メーター30センチということで、委員の皆様、2メーター30センチは、こっちに時計がありますけれども、時計のちょっと下のところに附箋が張ってあります。あそこが2メーター30センチということで、衛藤参考人が跳ぶベスト記録だというところで、身長は183センチで、2メーター30センチを跳ばれるというところです。イメージ的にはあそこの高さまで跳ぶということで、参考までに御認識いただければと思います。ありがとうございました。
それでは、次に滝田 真様、よろしくお願いいたします。
○滝田参考人 失礼いたします。志摩高等学校の滝田と申します。特に資料等はないんですけれども、御容赦ください。
志摩高校に赴任しまして、教員として働きはじめて3年がたちました。そうして働いていく中で感じたこと、本日は教員の立場というか、目線からお話しさせていただけたらなと思っております。
教員として3年間働く中で、選手としては、昨年度の岩手国体において、団体準優勝の成果をおさめました。指導者としては、今年度から相撲同好会を設立し、自分の稽古だけでなく、子どもたちへの指導に奮闘する日々を送っております。
ただ、自分の稽古時間はとても少ないです。なかなかレベルも高校生とは違いますし、基本の稽古はできるんですけれども、やはり実践練習となると、合宿に出向いたりですとか、毎年国体で入賞することを目標にやっておりますので、それまでの大会は、正直調整のための大会というか、その大会と合宿を重ねながら、感覚を毎年取り戻して、9月、10月に仕上げるといったことを毎年やっております。
ただ、私自身そうして選手として、指導者として、両面で取り組んではいるものの、なかなか周囲の理解を得るのには苦しい状況が続きました。実際、同好会を設立する際も、反対意見も多くありまして、志摩高校に赴任して3年目にしてようやく実現することができたということになっております。
部活動は教育課程外で、すなわち教員にとってはボランティアと考える先生方もいらっしゃって、部活動を新たに設立するということになると、新たに顧問を配置しないといけないですとか、ほかの教員の方の負担が増えることになります。ただ私は、顧問は自分1人で大丈夫ですし、同好会で部費もないんですけれども、部費もいらないと、そういった気持ちでとにかく形をつくりたいという思いがありましたので、今年度、何とか同好会としてスタートを切ることができました。ただ、やっぱり現実は、資金面とか引率、私がいなかったときの稽古をどうするんだとか、そういった面で苦労することが多いです。また教員として、授業や文書業務にも追われる日々です。やると決めたらとことんやるという性格なので、どれに対しても決して手を抜きたくはないと考えております。しかし、選手として競技をして、指導をして仕事をするということに対しては、若干大変だなという気持ちもあります。
ただ、私はとても幸せです。自分を成長させてくれた相撲という競技に、今年26歳になるんですけれども、指導者として、また選手としても携わることができております。こんな幸せなことはないと考えております。
しかし、私は幸せと感じているんですけれども、ほかの教員の方々は、正直部活動にかかわって幸せに思っていないという先生もいると私は思っております。私も働きながら感じておりますが、現在の教員の多忙感というのはとても大きいです。多様な生徒や保護者の対応、教育相談、授業面においてはアクティブラーニングに対応するためにスタイルチェンジしたりですとか、教材研究など、いろんなことが複雑化している状況です。世界と比較して、日本の教員の多忙感はトップクラスと言われておりますけれども、まさしくそのとおりではないかと思います。
そんな中、やはり部活動というのは教育課程外で、私自身は専門の競技ですので、一生懸命やりますけれども、そうじゃない先生方も多くいらっしゃいます。私は相撲を指導することは自分の使命だと思っておりますし、相撲が大好きです。そのように感じて、考えている教員にとっては、全く問題ないと思うんですけれども、担当する部活動の競技経験がなかったりですとか、教員は授業で勝負とよく言われますけれども、そちらに全力を注ぎたいと思っている先生方にとっては、部活動はとても大き過ぎる負担になっていると私は考えております。
そうした状況は、いろんなところで悪循環を生み出していると思っております。授業においては100%のパフォーマンスで臨むことができない。部活動においても、わからない指導法に苦戦してよい指導ができない。教員がそのような状況になってしまって、誰が一番影響を受けてしまうでしょうか。それは全て、将来有望な子どもたちに降り注ぐことになると考えております。
そこで、私はそれらを解決する策として、部活動指導員の充実を求めたいと思っております。本年4月から、学校教育法施行規則が改定され、部活動指導員が顧問となり実技指導を行い、学校外での活動の引率をすることも可能になりました。部活動指導員を導入することで、専門的な知識を持った人が指導するようになり、生徒にとってより効率のよい練習をすることが可能になると考えております。
現在ある外部指導者も似たような位置づけになりますが、やはり教員の多忙感の減少という観点から考えると、顧問として教員と同等の立場となれる部活動指導員の充実が求められるのではないかと思っております。
また、教員も部活動に行く時間が削減されることで、教材研究等に充てる時間も、生徒対応に充てる時間も確保でき、授業力等の向上にもつながると考えます。
ただ、まだ大会等の引率においては、中体連とか高体連とかとも連携をとる必要があって、規定の改定をする必要もあると思いますので、早期に整備されることを強く願います。
引退後のキャリアですが、私自身はそのまま教員としてということなんですけれども、ほかの方々のことを考えたときに、先ほどの部活動指導員というのは、引退後の立場というか、指導する場所や立場ということを考えても、働きやすい環境づくりをすることを進めていけるのかなと思っております。
ただ、一番ネックになる部分は、やはり金銭面とか、その辺の部分になるのかなと思いますので、ここはぜひともお願いしたい部分ではあります。金銭面の補助支援と早期の制度の整備をお願いしたいと考えております。
県を挙げて取り組むといったことで、それに応じた支援と環境の整備が必要になると考えておりますので、何とぞよろしくお願いいたします。
以上です。
○下野委員長 滝田参考人、ありがとうございました。
滝田参考人は資料がないので、事前にプロフィールを委員の皆さんにも御紹介いただければなと思うんですが。
○滝田参考人 出身は大阪なんですけれども、小学校5年生のときに三重県に来まして、最初は松阪にいたんですが、伊勢に引っ越しまして、ずっと宇治山田商業高校の先生に御指導いただいて、中学校は倉田山中学校というところにいたんですけれども、中学校選手権で優勝しまして、高校は宇治山田商業高校に進学しまして、インターハイ3位、国体2位、あと選抜の全国大会で優勝。大学は日本体育大学に進学いたしました。選抜の全国大会で2つ優勝しまして、全日本選手権で2年生のときに3位に入賞しました。卒業後、三重県に戻ってまいりまして、昨年度の岩手国体団体戦準優勝をはじめ、教員大会で昨年度は優勝、今年度は3位だったんですけれども、そのような実績を残してきました。
以上です。
(2)参考人への質疑
○下野委員長 ありがとうございます。
それでは、ただいまのお話を受けまして、委員の皆様から御質疑等をお願いしたいと思います。
なお、念のため申し上げますが、参考人は、委員長の許可を得て発言し、また委員に対しては、質疑をすることができないことになっておりますので、御了承願います。
それでは、御質疑があればよろしくお願いを申し上げます。
○青木委員 衛藤参考人にちょっと聞きたいんですが、スポーツ環境の充実、これも一番大事なので、照明も含めて徐々に考えていかなきゃならんことやと思っています。
海外経験が必要だと。その場も内容も、選手の刺激にもなって、いろいろ思うんですけれども、実際、年に何回ぐらい海外に行かれる機会があるのかというのと、そのときに、交通費とかいろいろあろうかと思うんですけれども、その辺の負担状況というのはいかがなものかなと思いまして、えらい突っ込んだ話で申しわけないですけれども、よろしくお願いします。
○衛藤参考人 海外に行く回数は、年に二、三回。ジャパンのユニフォームで行くのがおよそ1回、もう一回は個人でヨーロッパのほうに参加しに行くという機会で、大体2回から3回ございます。費用は、日本陸連という日本陸上競技連盟のほうから負担していただきますので、個人の負担はありません。
○青木委員 それでちょっとほっとしたところですけれども、さらに回数を増やそうと思うと、自己負担しなければならんことも出てくるんでしょうから、回数は関係なく日本陸連のほうで見ていただくという話にはなっとるんでしょうか。
○衛藤参考人 回数が増えても、日本陸上競技連盟のほうに、世界選手権に出るレベルになると、割とたくさんつけてくれるところはありまして、まだ世界に出られるレベルの前は、なかなか行けない状況があったんですけれども、今はとても充実している状態です。
○青木委員 ありがとうございました。
あとは、照明をはじめとする環境と練習時間の確保ですね。
滝田参考人にもお聞きしようと思ったんですけれども、部活動指導員、結局はそこの充実が子どもらのレベルアップになるし、滝田参考人自身が安心して子どもらを公務があるときとか、いろんなときにでも任せられるし、さらには多忙感を少しでもというような、いろんなことを思うわけですけれども、それは相撲部を通してという話なのか、他の競技のことも広く思って、言ってみえるととっていいんですかと。
もう一つは、その高校の部活動指導員ですか、名前がちょっとわかりませんけれども、例えば滝田参考人から見て、高校だけでいいのか、それとも中学校もそれは必要じゃないかとか、そういう思いはあるのか、その辺の幅の広さを教えてください。
○滝田参考人 どちらかといいますと、相撲じゃないほうです。ほかの競技とほかの人たちのことを考えての発言です。正直私自身は充実していますので。
というのと、中学、高校問わずといったところです。手元にある資料が、運動部活動において、顧問のうち、保健体育以外の教員で担当している部活動の競技経験がない者は、中学校で約46%、高校で約41%というデータもありますので、それほどの人は経験がないままやってしまっていると、させられていると。言い方はちょっと難しいですけれども、といった状況は、やっぱりよくないのではないかなと思っております。
○青木委員 後藤委員や僕らは中学校教員出身なので、身につまされるというか、思いは非常にわかるわけですし、特に僕は、高校の相撲部出身なので、思いも深いんですけれども、十分わかりましたので、皆さん、またお時間とってください。
○下野委員長 はい、ありがとうございます。次、ほかの委員の方、お願いいたします。
○長田委員 まず、衛藤参考人のほうにお伺いしたいんですが、練習状況のところで、勤務表というのをつけていただいてあります。これはスポーツをする方用に、例えば練習日なしのところは10時間勤務になっているんですが、これは変形労働時間制かなんかを採用していただいて、こういうふうな勤務になっているのかどうか。遠征中は有給休暇扱いになるのか、勤務扱いになるのか、その辺のところがスポーツの振興に対して、会社側にどういうことをしてもらえばやりやすいのかということを含めてお伺いしたいと思います。
○衛藤参考人 勤務表に関してなんですけれども、10時間は、「36協定」で、変形労働時間制を会社のほうは提出していまして、私、定時は午後4時25分になりますので、少し早目には行ってはいるんですけれども、練習ありの日は通常の社員よりも少ない勤務時間になりますので、それを続けていくと、どうしても、たまりたまって滞納してしまう仕事があるので、そういった練習なしの日に返済というか、追いつけるようにという形で、このようなスケジュールでここ二、三年は1週間を過ごしています。
海外遠征に関しては、出勤という形で、AGF鈴鹿に初めて、味の素グループとしても選手を抱えることは初めてのことでしたので、入社する際に、こういった日の丸をつける試合の遠征は出勤扱いとするであったり、遠征も日曜日等の試合は、全国大会、日本選手権は振りかえ出勤とするというような規則をつくっていただきまして、それに基づいて活動しております。
○長田委員 ということは、いろんな遠征に行ったりするときは、全部出勤扱いという形の中で行くことが可能やということと、勤務時間については、練習で勤務時間が短い日もあるので、それを1週間か何かで調整しながらやっている的な感じですね。
○衛藤参考人 おっしゃるとおりです。
○長田委員 最後の引退後のキャリアってあるんですが、実際に企業として会社に残留する割合というのはどうですか。その後、指導者として残ってくださいというのは少ないですか。
○衛藤参考人 やはり、前例が少ないので何%というのはなかなか、私もいろんなオリンピック委員会が開くセカンドキャリア研修とかの冊子とかを見ていても、長距離の駅伝の選手とかもたくさんいる中で、実際にその人たちが最終的にどうなったかというのは、なかなか見せてもらえなかったりとか、どうなっているかというのがデータとして入手できない。自分もすごく興味があって探してはいるんですけれども、そこがキャリア研修といえども、生の現実を知りたいところがなかなかわからなくて、それも今、最終的にセカンドキャリアをどうしようかなと考えている要因の一つでもあります。
○長田委員 そうすると、例えば制度的に、現役時代はいろんな企業から支えていただけるとして、現役引退後についての身分保障というか、そういうような制度があると、スポーツの推進にとってはええということですね、当然ながら。
○衛藤参考人 おっしゃるとおりでして、私は正規社員という形でAGF鈴鹿に入社しまして、その部分による心の安心感というのは、非常に高いものあります。
○長田委員 ありがとうございました。
○下野委員長 セカンドキャリアに政治家も入っていますね。ほか、委員の方。
○田中委員 ありがとうございます。
衛藤参考人のお話の中で、中学時代は全国大会すら行けずにということで御苦労いただいて、ただ、その中でも競技を続けようという強い意志でずっとやってこられて、高専時代に継続的にトレーニングができる環境がよかったというふうに御自身でおっしゃっていましたけれども、そのモチベーションみたいなものはどうやって維持されたか、今の時点で過去を振り返ると、どんなことが大きな要因でしたか。
○衛藤参考人 モチベーションは、やはり高専のときに、2メートル24センチというところまで行きまして、ロンドンオリンピックが2年後に控えた状態で、2メートル28センチが当時オリンピックの選考基準だったので、手の届きそうなところに来たなというのが一つ続けられた要因と、あとやはり、やめるタイミングは卒業であったり、修了であったり、いろんな区切りはあったので、幾らでもあったんですが、やめるにやめられない状況、もうちょっとやりたいという気持ちがあったのが、今も続けている要因なのかなというふうに考えています。
○田中委員 ありがとうございます。
その中で、私の御近所で、高校生なんですけれども、先般の愛媛国体の選手に選ばれて、そこで県のコーチに少しだけ指導を受けたことでぐっとタイムが伸びて、6位入賞を果たしたという子がいまして、そんな中で、やっぱりいいコーチに恵まれるということも非常に大きな要因かというふうに思うんですけれども、衛藤参考人の中では、今までのキャリアの中で、高専の中でやっぱり指導者に恵まれたというふうに感じておられますか、記録が伸びているところを見ると。その辺はどうですか。
○衛藤参考人 非常に指導者には恵まれたと思います。あと、この高校1年生、15歳から26歳の11年間、同じ先生と一貫してぶれずにやってこられたというのも一つよかった要因かなというふうに思います。
○田中委員 滝田先生、相撲という競技は、プロの大相撲は非常に注目を浴びて観戦人口は非常に多い。しかしながら、競技人口は非常に少ない、逆ピラミッドを形成しているような競技だというふうに思うんです。そんな中で、衛藤参考人がおっしゃったように、スポーツ価値の向上という中で、国技である相撲という競技をもう少し競技力を高めていくというか、アマチュア相撲の部分で、競技人口を増やしていく取組というのが必要なのかなというふうに感じているんですけれども、御自身で今も現役として御活躍する中で、ヒントになるようなコメントがありましたらお願いしたいんですけれども。
○滝田参考人 競技人口の拡大というのは、アマチュア相撲界にとっても、以前からずっとなんですけれども、大きな課題でして、幸いにも今は大相撲がすごく盛り上がっておりまして、私は高校生だけではなくて、小学生も見たりとかする機会もあるんですけれども、少しずつやりたいという子どもたちも増えてきています。
ただ、待っているだけでは、相撲という競技は見ているのは楽しいんですけれども、やると痛いとか、また回しを巻くのが恥ずかしいとかといったのがありますので、こちらからもホームページですとか、伊勢市の宇治山田商業高校でやらせてもらっているんですけれども、伊勢市とタイアップしてですとか、あとは最近は女子相撲です。男子だけじゃなくて、女子相撲も割と盛んになってまいりまして、来年度からは志摩高校も、相撲部になっているか同好会かわかりませんけれども、女子が入るかもしれないです。
そういったことで、実際に今、1年生の3人しかいないんですけれども、その子たちも自分で中学校に行かせてもらって、魅力を伝えて、そういったことをやっていますので、待っていても来なければ自分で動くと。楽しいこと、どんどんいろんな手段を使って発信していくと、おのずと競技人口は増えていくのかなと思っております。
○田中委員 ありがとうございました。
青木委員は相撲部員だったそうで、私も志摩の出身でして、大王町波切のわらじ祭りの相撲大会で、大将で出たことがございまして、相撲には少なからず、非常に体幹を鍛えたりとか、いろんな要素というか、コンタクトスポーツにとっては、その後にサッカーもさせていただいたんですけれども、ラグビーとかをやらせてもらう中で、非常にいい要素を相撲というのは持っていて、国技でもあるし、もうちょっと子どもたちがなじめるようになればいいのになというふうには思っていまして、三重県もそんな土壌があると思うんです。だからそのあたりは、今お話いただいたとおり、待っていても来ないので、そういう熱心に御指導いただいている方と行政がともに頑張っていく可能性というのは、ちょっと感じさせていただきました。
以上です。ありがとうございました。
○下野委員長 ほか、委員の方、いかがでしょうか。
○津田委員 ちょっとこの委員会とは離れるかもしれませんけれども、教員の仕事が非常に忙し過ぎるというのが、最近よく聞かれることだと思うんですけれども、授業時間というのは、滝田参考人は月何時間ぐらい持っていらっしゃるんですか。
○滝田参考人 週で15時間、私は担任もやっていますので、その辺を入れますと17時間、18時間、それぐらいです。
○津田委員 ほかの先生方も、平均十五、六、七時間なんですか。
○滝田参考人 うちの学校は、15時間という数字をベースにしているんですけれども、ほかの学校によっては、20時間がベースだったりとか、大体15時間から20時間です。担任になると、ほかの会議ですとか委員会も入ってくる場合があるので、大体20時間におさまると思います。
○津田委員 顧問をされる方というのは、授業時間をちょっと減らしたりはしてもらっているんですか。
○滝田参考人 特に、部活動の顧問をやるからといって、軽減というのはないです。なので、当然顧問をされている先生方は、ほかの先生に比べてしんどいといったような状況になっていると思います。
○津田委員 海外と比較すると、授業時間について日本はそんなに多くないというふうに言われるんですけれども、やっぱり生徒指導なり、部活動なり、いろんなもろもろの対応が非常に忙し過ぎるというところで、やっぱり分離していったほうが、授業と、例えば指導員だとか、生活指導であればSSWだとか、そういうのをやっぱり分業していったほうがええということですか。
○滝田参考人 まさしくそのとおりで、最近はスクールカウンセラー等も充実されてきていますけれども、それと同様な感じで進めていくといいのかなと、私自身は思っております。子どもたちも非常に多様化していると言わせてもらいましたけれども、やはり、何といいますか、やることが増えてきているのは、子どもも大人も一緒なのかなと。
だからといって、子どもたちに直接影響することなので、一切手を抜くことはできませんし、実際、私も2月、3月ぐらいに、1つ事案が発生して、余り言えませんけれども、手をかけなければだめなことになってしまって、そうするとトレーニングの時間も減っていく。もう手を抜くことはできないので、やっていくとなったときに予想外のことが起きやすい。そういったことの積み重ねが多忙感を生んでいるのかなと思います。
以上です。
○津田委員 志摩というのは、非常に相撲が盛んだというふうに伺っているんですけれども、学習指導要領が数年前に変わって、武道の時間を設けなければならないと。その一つの選択肢として相撲もありというふうになったんですが、志摩の中学校というのは、相撲をやっているところってかなりあるんですか。
○滝田参考人 そんなに多くはないですけれども、授業の中でやっている学校もあります。あと、志摩はすごく盛んなところで、相撲部というのはないんですけれども、各学校、夏に中学校の大会があるんですけれども、それに向けてほかの部活をやっている子を集めて、大会に出てくれるんです。なので、私自身も誘いやすいですし、実際、今いる部員というか生徒もその大会に出ていた生徒です。大王町わらじ祭りというのもこの間もありましたけれども、本当に地域に助けてもらっているなというようなことが多くあります。
以上です。
○津田委員 何校か相撲の時間というのを設けている学校があるということなんですね。
○滝田参考人 はい、あります。なので、1校、2校ぐらいだと思うんですけれども、中学校は武道が必修ですので、実際にそれで、女子でもやりますから、「先生、私、相撲を授業でやったよ」という生徒もちらほらいます。
以上です。
○津田委員 じゃ、三重県で相撲の時間を設けているのが1校か2校ということですか。他市ではやっていないですもんね。
○滝田参考人 ちょっと中勢、北勢はわからないですけれども、志摩でも1校か2校なので、それだけか、やっていたとしても1校程度かなとは思います。
以上です。
○津田委員 済みません、私ばっかりで。ちょっと離れてしまいますけれども、やっぱり原因というのは指導者、それから施設、土俵がいるだとか、あるいは女の子だったら回しをつけたくないだとか、何か理由があるんですか。
○滝田参考人 やっぱり指導者が不足しているというのがあると思います。実際、中学校だけじゃなく高校の部活動も、県内で志摩高校を入れて4校しかありません。指導者もその4校に1人ずつ4人ぐらいといった状況ですので、やはり指導者が不足しているというのは否めません。回しがとか、そういう部分は、特に回しを巻かなくても、柔道の帯を巻いたりですとか、土俵もなくても、グラウンドやマット土俵みたいなものもあり、代用できますので大丈夫かなとは思うんですけれども、やっぱり柔道とか剣道に比べて、どうしても選ばれにくいかなという印象は受けています。
○田中委員 競技人口を増やしていくこと、それから競技力を向上していくことについても、やっぱり優秀な指導員の方、指導者の方が必須条件だというふうには改めて感じたところなんですけれども、現状人口180万人くらいの三重県では、なかなか大阪や東京などのような大都市圏の地域とは違うという実情があります。
そんな中で、私が思っていますのは、レベルの高い競技者、アスリートへの指導というのは、なかなか難しいかもわからないけれども、競技経験はもちろんあって、実績がそんなに出せていなくても、後に指導方法を学んだ方とか、意識の高い方であれば、それをある程度補えるんでないかなというふうには、素人考えですけれども思っているんです。そのあたりは、トップレベルで戦っておられるお二人から、それぞれ御意見を伺いたいんですけれども。
○衛藤参考人 私が鈴鹿高専のときにお世話になっている先生は、どちらかというと基礎トレーニングのほうを継続的に教えてもらっていまして、二十歳のころに日本陸連の合宿でたまたまお会いした神奈川の高校の先生なんですけれども、先生は高跳びはやっていたんですが、2メートルも跳んでいない選手で、2メートルというと中学生でも跳ぶようなレベルではあるんですが、その先生は、先生として一流になるんだということで非常に勉強されて、今は私も非常に信頼を置いて、東京まで、ぜひ教えてもらいたいなという形でお世話になっています。
○滝田参考人 レベルの高い優秀な指導員と、レベルが高いイコール優秀かどうかわかりませんけれども、そうじゃなくても、何といいますか、しっかりとしたというか、すばらしい指導者の方は多くいると思います。レベルが高いからすごい指導ができるんだということではなくて、いかに子どもたちと目線を合わせてやるといったことが、指導においてはすごく大事なことだと思いますので、あとはしっかり、自分自身も、指導者自身も学び続ける姿勢というか、幾らレベルが高くても、そういったことがなかったら優秀な指導者にはなれないと思いますし、競技レベルは高くないとしても、そういった指導者の人は多くいると思います。
以上です。
○田中委員 ありがとうございました。
ただ、学校でのスポーツ活動については、部活動が中心になっていくので、そのあたりは教員の多忙化の問題があるので、外部指導員のさらなる活用というのは、非常に有用かなと思います。ただ、やっぱり指導者に対する指導というか、指導方法に対する、そのあたりのところも、本県としては取り組んでいくと、時間はかかるけれども、競技力が向上していったり、ひいては競技人口の拡大につながるんではないかなというふうに感じさせていただきました。
以上です。
○下野委員長 ほか、委員の方、よろしいでしょうか。
それでは質疑を終了いたします。
この際、参考人の衛藤 昂様、滝田 真様に対し、委員会を代表して一言お礼を申し上げます。
本日はお忙しい中、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。このたび頂戴いたしました貴重な御意見は、今後の本委員会での議論に反映し、役立てていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
ここで参考人が退出されますので、委員の皆さん、着席のまま暫時休憩願います。
〔参考人退室〕
(休 憩)
〔参考人入室〕
2 障がい者スポーツの推進について
(1)参考人意見陳述
○下野委員長 休憩前に引き続き、委員会を再開いたします。
この際、参考人の水原由明様、前田浩司様に、一言御挨拶を申し上げます。
本日はお忙しい中にもかかわらず、本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして、心からお礼を申し上げますとともに、忌憚のない御意見を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
それでは、参考人からの意見聴取を行います。
水原由明様には、全国障害者スポーツ大会にかかわる立場から、大会開催の意義や課題、障がい者スポーツの普及を見据えた開催のあり方等について、前田浩司様には、競技者及び指導者としての立場から、三重とこわか大会の開催についての期待と課題について御意見をお聞かせいただければと存じます。
それでは、初めに、水原由明様、お願いいたします。
○水原参考人 今、紹介いただきました公益財団法人日本障がい者スポーツ協会の水原と申します。座って説明させていただきますけれども、よろしくお願いいたします。
まず、本題に入る前に、当協会の概要等を少しお話しさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
お手元の資料2の2ページのほうを見ていただきますと、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会ができた経緯を書かせていただいております。
昭和39年、パラリンピック東京大会の開催後に、この協会の前進であります財団法人日本身体障害者スポーツ協会というものが設立いたしました。したがって、昭和39年のパラリンピック東京大会が、日本における障がい者スポーツの大きな変化のきっかけになったということで、御理解いただければというふうに思います。
その後、冬季パラリンピックが長野県で開催され、この時点で、障がい者スポーツの見方が、競技スポーツへというところへ変わってきております。そういった関係で、平成11年の冬季パラリンピック後、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会の中に、日本パラリンピック委員会、いわゆるJPCと言われる組織が設立いたしました。そういった中で、国内における障がい者スポーツの課題、それから国際大会に向けての課題等含めて、当協会の中でいろんな形で対応していこうというような組織ができるようになりました。
平成23年、スポーツ基本法により、国の責務として障がい者スポーツの振興を進める団体として、改めて明記され、今に至っております。
ここで、一つ皆さん方に御説明しなきゃいけないのが、表記の中で、障がいの「がい」という字が、平仮名になったり漢字になったりしております。非常に見方からすると見にくい部分があると思うんですが、当協会の会長が、音としては変わらないんですけれども、視覚的に訴えたときに、「害」という言葉に対して不愉快な思いをされる方がおられるのであれば変えましょうということで、当協会が使う場合には、平仮名で「がい」という形にさせていただいておりますので、これから先の資料の中でも、非常に漢字を使っている部分、これは法令とかいろんな法律の用語等含めて漢字になっておりますので、その点は御理解いただければというふうに思います。
皆さん方のお手元に、リーフレットがございますので、1ページをめくっていただきますと、日本障がい者スポーツ協会というイメージのもの、右側のページには、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会コミュニケーションマークということで、これは東京2020年を見据えて、さらなる発展をしていきましょうというようなイメージで、マークを変えてきております。その下が、現在も公益財団法人日本障がい者スポーツ協会のシンボルマークということで使っているマークになります。
次のページ、3ページをごらんください。
日本障がい者スポーツ協会の組織図ということと、それから大会開催事業、こういった内容のものを担当しながら、国内、国外の障がい者スポーツに向けて活動しているというような団体でございます。詳しくは、またお時間のあるときに見ていただければと思いますけれども、一応全国の障がい者スポーツの統括団体ということで活動をしております。
資料に戻らせていただきますけれども、資料3ページにめくっていただいて、上の段に全国障害者スポーツ大会というようなものが、どういう経緯で今現在行われているかといいますと、先ほどお話しさせていただきました昭和39年、1964年の第2回パラリンピック夏季競技大会東京大会で行われたのを契機に、翌年から、岐阜県で第1回全国身体障害者スポーツ大会というものが開催されました。この大会において、初めて国内で定期的に大会が開催されるようになりました。
ただ、パラリンピック夏季大会の際の対象者というのは、脊髄損傷者といいまして、パラプレジアというようなものと、パラリンピックという言語というものをつくってきたのが日本でございますので、当時は下肢麻痺者の人たちだけの大会で、パラプレジアとオリンピックをかけてパラリンピックという言葉にしたというのが歴史的に伝えられていることですけれども、今のパラリンピックは、パラレルという、「もう一つの」というような意味合いで使っておりますので、当時のものと今のものとは意味合いが違ってきております。そういうような大会があって、翌年から全国身体障害者スポーツ大会が岐阜県から始まりました。2000年までこの開催をしております。
一方、知的障がい者のスポーツ大会に関しましては、1992年、平成4年に第1回全国知的障害者スポーツ大会、当時の名称は全国精神薄弱者スポーツ大会という名称で開催されていましたが、今現在、精神薄弱者という言葉を使っておりませんので、あえてここでは、全国知的障害者スポーツ大会というような形で表記をさせていただいております。同じく2000年まで開催をされました。
次の4ページですけれども、2001年から第1回全国障害者スポーツ大会といいまして、今まで、身体と知的を別々に行った大会を1つの大会にしましょうということで、宮城県大会から、対象を身体障がい者、知的障がい者をあわせた大会ということでスタートいたしました。21世紀に向けてということで、2001年からスタートを切ったということで、21というような数字がシンボルの中に入っているというような形で見ていただくといいかなと思います。
これがお手元にあります全国障害者スポーツ大会ガイドというところに書いてあり、この真ん中がシンボルマークで、それを21という21世紀に向けて新しいスタートを切りましょうというような大会が開催されました。
毎年、都道府県、指定都市単位での障がい者スポーツ大会として開催をしてきております。この大会は、全国の障がい者の一つの大きな大会ということでスタートしておりますけれども、この大会に参加するに当たり、各都道府県、指定都市単位での、地域での障害者スポーツ大会が普及したというようなきっかけになっておりますので、この全国障害者スポーツ大会があるがゆえに、各地域でもこの大会が行われるようになったというような流れができております。
2008年、大分県大会より精神障がい者を対象とした団体競技、バレーボールが正式競技としてこの大会の中に組み込まれるようになりました。したがって、この時点から三障がいを対象にした国内唯一の大会であるというような形に変わりました。
今年、第17回全国障害者スポーツ大会が愛媛県で開催され、対象は、身体・知的・精神という形の対象の競技が行われるという形になってきております。
次のページをごらんいただきたいと思います。
5ページですけれども、国民体育大会本大会、夏季大会と言われるものですけれども、それと全国障害者スポーツ大会の開催の比較という形で書かせていただいております。どの程度の違いがあるかというところを見ていただくと、まず実施競技の正式競技が、国体と言われる本大会は37競技、特別競技が1、公開競技4、それに対して全国障害者スポーツ大会というのは、実施競技が13、団体競技が7、個人競技が6ということになります。参加人数のほうでいいますと、選手、監督というようなところでいいますと、国体のほうは約7万人近い方が参加します。一方、全国障害者スポーツ大会のほうでは、選手団5500人という言い方をしますが、知的障がいの方が1200名、身体障がいの方が1200名、個人競技は合わせて2400名を限度としております。それから団体競技のほうは、1099名、84チームということで、全国を6ブロックに分けまして、そのブロックから代表、団体競技を勝ち抜いたチームが戦うという形になっておりますので、都道府県対抗ということにはなかなかならない部分がここにあります。それから大会役員の規模ですけれども、競技役員、国体のほうでいうと、10万人を超えた規模の大会、一方、全国障害者スポーツ大会のほうは、7000人から8000人という大会の役員の関係が出てきます。
こういった中で、規模感、または日数的なものも、かなり違ってはきていますけれども、実際、国民体育大会は、9月中旬から10月中旬までの11日間で開催されますが、全国障害者スポーツ大会そのものは3日間で開催すると。非常に会期が限られております。
そういったものも含めて、多少、国体と障害者スポーツ大会の違いというものが御理解いただけるかなと思います。
それから、目的のところで簡単に説明いたしますと、国民体育大会、これは開催基準要項の中に書かれているものですけれども、大会は、広く国民の間にスポーツを普及し、スポーツ精神を高揚して国民の健康増進と体力の向上を図り、というところの文言が書かれております。一方全国障害者スポーツ大会の部分でいいますと、障害のある選手が、障害者スポーツの全国的な祭典であるこの大会に参加して、競技等を通じ、スポーツの楽しさを体験する、それから国民の障害に対する理解、それから社会参加というところが大きな目的となっております。
それから、どうしても競技性がないというような言われ方をする部分もあるんですけれども、社会参加が大きな目的ですよというところから、どうしても競技性が低いんじゃなかろうかというようなことが言われます。ただ、実際には、競技に関して選手たちは一生懸命強化をしながら、各都道府県、指定都市の選手団は競技を競っているのが現状であります。
ただ、表彰等の形が変わってきているので、そういった面で、最終的にナンバーワンを決めている大会ではないというところが、なかなか御理解いただけない部分かと思いますので、そこの競技方法、それから個人競技、団体競技の表彰のところも含めて説明をさせていただきたいというふうに思います。
国体のほうは、当然ナンバーワンを決める大会というような形になっておりますので、表彰にしても、全正式競技の男女総合優勝都道府県に天皇杯、女子総合優勝都道府県に皇后杯を授与し、8位までの都道府県を表彰するという形になっておりますが、そういった団体に関する表彰というものは、この全国障害者スポーツ大会の中にはございません。あくまでも個人、それから団体競技への入賞、優勝というような形のものの表彰しかございません。
また、個人競技のほうでいいますと、障害区分と言いまして、障がいに合わせた競技の選考が限られておりますので、全ての障がいのある方が全ての競技種目に参加するということができません。そういった意味で、年齢区分等含めて、参加人数に応じてグループを構成し、グループの中で1位から3位までを決定するという形になります。簡単に言いますと、100メートル車椅子の方が例えば10人いたら、5人、5人でグループを組んで、そのグループ単位で1位、2位、3位を決める。したがって、1位、2位、3位は、2組の中から出ますから、当然1位が2人、2位が2人、3位が2人というような形になります。そこを最終的にナンバーワンを決めるというような、決勝戦みたいなものはつくりませんので、その時点で順位が決まってしまうと。そういった意味では、競技性がないというところの一つの理由づけになってしまう部分がありますけれども、これは日数の問題も含めて、会期が3日間で開催しなきゃいけないというところが大きな違いかと思います。
一方、団体競技は、先ほどちょっと触れましたけれども、6ブロックプラス開催県のチームで、トーナメント方式で行いますので、これは1位から3位まで決めて表彰するという形になっております。
次のページに移りますが、次のページからは、大会が今まで開催される中で、いろんな働き、役割を持ってやってきたということを簡単に説明させていただきたいと思います。
大会が歴史的に果たしてきた役割としましては、一番大きなものとしては、先ほど最初のほうに触れました身体障害者スポーツ大会、36回の開催、それから障害者スポーツ大会が16回、今年で17回になりますけれども、過去52回の歴史を刻んできた、国内の大会としては唯一の大きな大会であると同時に、三障がいを対象にしているんですよというような位置づけでおります。これはパラリンピックがありますけれども、パラリンピックの場合ですと、身体障がいの中でも、肢体不自由の方、それから視覚障がいの方、それから一部の知的障がいの方が対象ですので、そういった意味では、パラリンピックと全国障害者スポーツ大会というのは、ちょっと違うというふうに御理解いただければなと思います。
それから、2番目に挙げてありますが、その三障がいの参加の機会を公平にこの大会は持っているんですよというところ。障がいの程度、年齢とか性別にとらわれず、機会を均等につくりながら、社会参加を含めた、障がいのある方が参加できる大会であるというふうに位置づけております。
それから、3番目に、日本体育協会加盟競技団体やスポーツ関係団体が、障がい者スポーツ関係団体等の協力連携が図られるようにと。これは、スポーツは一つと言いながらも、日本体育協会と日本障がい者スポーツ協会があるように、それぞれ分担しながら今まで活動してきておりますけれども、この大会に関しては、各県の県体協に登録している競技団体が主管となって競技運営をしたり、審判をしたりすることが多い。その中で協力しながら、障がい者スポーツ協会と協力してこの大会を盛り上げていくというような形で考えておりますので、その後の関係構築にも大きな役割を持っているだろうというふうに考えております。
それから、4番目、スポーツを通じた心身の健康・維持増進や社会生活上での体力維持増進につながると。スポーツを継続的に行うということは、やはり社会生活を行うための体力をつけていくということと、健康に関する意識を高めていくということが大きな目的かと思います。そういった意味では、総合的なリハビリテーションの成果につながっているんではなかろうかということです。
それから、5番目、生涯スポーツへのきっかけづくりと人のつながりをつくるきっかけとなっていると。これは地域社会へ社会参加の機会を拡大していくと。要は家から少しでも多く出て、スポーツに参加することで多くの方々と接することができる、社会参加ができるであろう、そういうような大きな目的を持ってスポーツに参加できるというような形で、家の中に閉じこもらないように、できるだけ積極的に外へ出ましょうという一つの動機づけになっているであろうというふうに考えております。
それから、次の8ページには、6番目から競技スポーツへの登竜門となっている大会であると。これは各県の中の選手選考に関しては、ある県は、初めての方を中心に個人競技の選抜をして参加される県もございます。ある県は、半分ずつの県というような形で、いろんな形でこの大会の取組の中で考えて、工夫されて参加していると。したがって、県内のナンバーワンだけを集めて大会に参加するという形ではございません。例えば、三重県でいいますと、今年の愛媛県大会ですと、身体障がい者の方16名、それから知的障がい者の方15名、合わせて31名が参加枠の数字になっております。この参加枠というのは、各都道府県、指定都市の障がいの割合によって案分化された数字をもって参加をすることが可能となっておりますので、全ての方がナンバーワンだったから出られますよというような状況ではないんです。そういった部分では、非常にこの大会を利用するその各県の思いがそこにはあらわれているという形になります。
説明を続けます。
7番目、障がい者に勇気と感動を与える世界で唯一の日本の誇れる大会となっている。世界を見ても、このような三障がいを対象にした大会を毎年開催する国はございませんので、そういった面では、唯一の大会として誇れるんではなかろうかというふうに考えております。
8番目、社会生活への気力・体力・精神力を身につける効果につながっている。社会の中で、自分たちの存在というものをしっかりと意識できる。その中でスポーツを習慣化するというような意識を持って、社会の中に参加できるというようなところで、いろんな効果が生まれているんであろうというふうに考えております。
9番目、国民の障がいについての理解・啓発に寄与し、ノーマライゼーション、共生社会の構築につながっている。まだまだ障がいへの理解というところは、非常に難しい部分でもありますが、こういう大会を開催するに当たって、全国から、先ほど申し上げたとおり3000人近い障がいのある方が来県されます。そういったことを地域の中で体験していただきながら、障がいのある方との距離感をいかに縮めていただくかと。この契機に、障がいについて理解をしていただくというような大きな目的もそこにあるように考えております。
それから、10番目、大会開催に伴い、スポーツだけでなく、文化活動の発信する機会がつくられている。当然、皇太子殿下等含めて、皇族の方も来られるときには、いろんな展示会が行われたり、または発表会が行われると。そういうようなものもあわせて、文化的な部分も行われるというのが、この大会の特徴でもありますので、そういった大きな意味合いも持っているだろうというふうに考えております。
今まで申し上げたのが、大会が歴史的に果たしてきた役割というふうなことで、協会としてまとめたものになります。
続きまして、大会開催の課題に関して、今現在、幾つかの課題が浮き彫りになってきておりますので、そこを簡単に説明させていただきたいというふうに思います。
1番目、一過性のイベントに終わらないような企画・運営をしていただきたいと。この大会を契機に、やはりビジョンを持っていただきたい。各県が開催するに当たって、この大会後に何を残すかというところをしっかりと位置づけて実施してほしいというふうに考えております。当然、2020が終わった後、2021年以降の日本における障がい者スポーツの方向性、またはどういう形が残るんだろうかということも、同じように考えております。そういったビジョンを持って企画・運営をしていただきたいと。
それから、2番目に、女性の参加者の拡大。昨年度の岩手県の大会でいいますと、個人競技でいうと3割程度が女性というところ。これをできるだけ多くの女性が参加できるような工夫をしていきましょうということが課題になっております。そういった一つの方法として、陸上競技のリレー等では、男女混合でのチームづくりをしましょうとかいうような工夫をしておりますが、なかなか女性の参加が思ったより増えてこないのが現状であります。これは大きな今後の課題かというふうに考えております。
それから、開催日数と選手負担の軽減。3日間の開催ですので、どうしても集中した移動があったり、または開会式、閉会式という後の動きに無理があったりしますので、そういうところも含めて、軽減を考えられたらなというふうに考えております。
4番目、競技力の強化と裾野拡大のバランスのとれた参加。やはり2020東京大会が間近にあるので、この全国障害者スポーツ大会をもう少し競技力のある、パラリンピックにつなげる大会にしてはどうかという御意見も多々ありますが、一方で、裾野を広げる大きな目的を持っておりますので、バランスのとれた開催内容にしていくように、今後考えたいというふうに思っております。また、昨年以降行われております大会のあり方委員会等も含めて、毎年そういうような位置づけを考えながら、バランスのとれた大会にしていこうというような課題を持っております。
それから、5番目、開催終了後の県体協と障がい者スポーツ協会の連携というところで、県体協にはいろんな大きな目的を持って活動されているので、障がい者スポーツの部分までというのは、なかなか難しい部分がありますけれども、非常に今、国内の障がい者スポーツ協会というのは、県単位のレベルまでは組織化されていますけれども、市区町村単位まで支部的な要素があるようなところはございませんので、障がい者スポーツを普及するときに、やはり県体協、それから市町の体協との連携をしていかないと、なかなか住んでいるところでの障がい者スポーツの振興につながらないという現状がありますので、そういった部分も、今後いろいろ協力していただくような方策を考えていけないだろうかというふうに考えております。
それから、10ページですけれども、第21回三重とこわか大会の開催に向けた期待と障がい者スポーツの普及を見据えた開催の在り方について。これは我々が勝手に考えていることですので、こういったことができたら一番いいのかなというふうに思っております。
1番目、障がいの重度化・高齢化に対応した競技の導入というところで、2021年、ボッチャ競技というものをこの大会の中に、改めて新しい競技として行います。これは高齢化、それから重度の障がいの方々が対象になる競技ということで、唯一今までの大会とちょっとイメージが変わってくるかなというふうなものになります。それを三重県大会で開催していただくという方向で動いてきております。
それから、先ほど触れましたけれども、女性選手の参加の増加。
それから、大会期間中だけでなく、障がい者スポーツ・レクリエーションの紹介や体験会の開催というのを各地域でやっていただきたいと。なかなか障がい者スポーツを体験する、また見る機会が少ないというのが、一般の方も含めてありますけれども、障がい者の方が何かやりたいなと思っても、すぐ近くでそういうような活動がないというのが現状ですので、そういった機会を多くつくっていただくことが、この大きな大会の後に残るといいのかなというふうに考えております。
それから、4番目、開催市町を核とした障がい者スポーツの拠点づくり。
それから、5番目、「みる」・「支える」人づくりのための地域ごとの応援活動の推進。
こういった五つぐらいのテーマを今後検討していただければ、我々としてはうれしいかなというふうに考えております。
最後のページですが、大会の開催目的が周知されるような広報活動の進め方。これは我々がどういう方法がいいのかというのは、なかなか言いにくい部分があるんですけれども、県内の市町や県体協加盟競技団体等を通じて、連携した開催周知や参加者の拡大など、広報活動を積極的に進めると。より多くの人たちに、この大会の位置づけを知っていただいたり、どういう大会であるかという内容について御理解いただくことが大事なのかなというふうに考えております。
2番目に、障がい者スポーツ指導員やスポーツ愛好者に団体競技のチームをつくり、三重県代表チームと練習・強化活動を推進するなど、応援する仲間づくりを積極的に行うということも、一つの方策かなと考えております。というのは、県内に1チームしかないというような団体競技がほとんどでございますので、対外試合をしようと思っても、各県外にその場所を求めなきゃいけないと。これはお金もかかりますし、非常に大変な苦労があるかなと。地域の中でそういったチームと対戦しながら強化を図れると、お互いの理解促進にもつながるのではなかろうかというふうに考えております。
最後になりますけれども、ボッチャ競技の正式競技の導入など、パラリンピック競技大会後の初めての大会ですので、いろんな方々の注目がある大会になろうかというふうに思います。そういった意味では、大会後のレガシーをどのように表現できるか、様々な角度から注目を集めておりますので、そういったことも含めて、関係者の1人としては、今後とも応援をしていきたいなというふうに考えております。
非常に煩雑な説明等も含めて、簡単ですけれども、これで私の説明を終わらせていただきたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。
○下野委員長 水原参考人、どうもありがとうございました。
続きまして、前田浩司様、よろしくお願いをいたします。
○前田参考人 改めまして、こんにちは。
三重県障がい者スポーツ協会の前田と申します。よろしくお願いします。
資料等はございませんが、口頭で思いをこの場でお話をさせていくためにはいい機会かと思いますので、しばらくお時間をください。
まず、最初に、今回4年後に三重とこわか大会を開催するに当たって、一アスリート、また選手、指導者の立場から、今の正直な思いをまずは述べさせていただきたいなと思います。
まず一つは、今の世の中の大きな動き、どういう動きかというと、東京オリ・パラと、オリンピックとパラリンピックが横並びになってきた時代です。この三重とこわか大会に向けても、三重県はじめ、各市町で準備室を設置するに当たって、国体、障がい者スポーツ大会と、横並びの組織の向上が今すごく目立ってきています。こういう世の中が、今まで縦に区分されていた2つの大会が、横並びになってきたこの時代に、私たち本当にど真ん中で、選手、指導者として4年後、東京オリ・パラ、また三重とこわか大会を迎えられることは、すごくうれしく感じています。これが今の正直な私の立場の本当の思いだと思います。ただ、その思いはそういうことなんですけれども、やっぱりそこまでにはすごく大きな課題とテーマが山積みなのかなともひとつ感じております。
もう一つ、アスリート、競技者、指導者の立場から一言つけ加えさせていただくと、私ら選手、指導者は、ふだん障がい者スポーツを戦っている、練習している、大会をしている中で、誰ひとり、私たちは体にハンディがあるから、私たちは健常者の方に比べて動きが悪い、何々できない、その中で頑張ってスポーツをやっているよと。だから周りの人が私たちを見て、努力しているな、かわいそうだな、感動するなという思いはあるかもわからないですけれども、やっている私たちからすると、普通にスポーツをやっているだけなんです。普通に日常どおり、私たちは自分たちの体でできる最大限の能力を発揮してスポーツをやっている。でも、よく障がい者スポーツを見られた後に、すごいね、かわいそうだねという言葉を、確かにそういう言葉は減ってきていますが、やはりまだ感想で耳にすることが多い時代である。でも、私たち選手にとったら、同じ体にハンディを持った者同士が、同じルールの中で勝つために、勝利するために戦っているだけなんです。ここであえて健常とか、障がい者スポーツと区分してしまうのもどうかと思うんですが、健常のほうだと、例えば区分があります。年齢とか、競技によっては体重とか、いろんなルールづけの区分があると思うんですけれども、私たちも障がい者スポーツをやっている中で、体に応じた、よく似た体の状態の者同士が、普通にそのルールで戦っているだけなので、何も「かわいそうだろうな僕たち」という思いでは、一切やっていないんです。本当に限られた体、残った体を使って、本当に純粋にスポーツを楽しんでいます。
そういう思いを、ひとつこの場で一言添えさせていただければうれしいなと思います。
今、ずっと水原様のほうから、全国障害者スポーツ大会の概要等を御説明していただいたんですが、いよいよ4年後に、三重とこわか大会が開催されることが内定しております。今、三重県の障がい者スポーツの現状はどうかというと、やはり正直にいうと遅れていると思います。何が遅れているか。まず強化です。強化が遅れている。ほかに何が遅れているか、正直、三重とこわか大会の登録種目に、今、団体競技で全てが登録できる状態ではないんです。一つの例を出してみると、バスケットボールの女子です。知的障がい者のバスケットの女子は、4年後に控えてチームがまだ組めない状態であります。全ての競技に今エントリーができるかといえば、正直厳しい状況。この4年間で、せっかく地元で開催されるものですから、今頑張って練習している選手をもう少し強化して、何とか本大会には、地元として出場できれば、全競技にエントリーできればうれしいなと思って、今努力をしている最中でございます。
今、強化という話を言わせていただいたんですけれども、強化するには場所が必要なんです。じゃ、三重県で体にハンディを持ったアスリートの方々がどこで練習しているのという質問をさせていただいて、恐らくどこどこだよねと、なかなか返事が出ない状況というのが現実です。三重県津市に、三重県身体障害者総合福祉センターがございます。ここは本当に古い建物で、以前からあるんですけれども、僕らはそこでもある程度の競技は練習しています。ただ、わかりやすくいうと、正式なバスケットコートが1面とれないぐらいの範囲の体育館しかないんです。またグラウンドもまだ砂の状態、テニスコートも大分古くなっている。またそれを使うためのハード面、トイレ、更衣室、シャワー室等も、本当に老朽化が進んでいる状態なので、そこが唯一、三重県で今、障がい者スポーツの体にハンディを持った方々が、ふだん本当にストレスなく活動できる場がそこだけなんです。これが本当に、これから強化という上でいくと、近々でいえば、大阪府であったり、愛知県であったりする。例をとってしまうと、大阪府の舞洲には、大きな障がい者スポーツセンターがございます。そこは宿泊所から全て備えて、バスケットコートも2面とれる、あらゆるスポーツが楽しめる状況になっています。ただ三重県においては、今はその三重県身体障害者総合福祉センターが、唯一のそういう拠点になっていて、なおかつその現状なんです。私ら選手、指導者の立場から考えても、強化をするという言葉を発するんですけれども、なかなかその強化をする場所がないというのが現実で、今問題となっています。
今、三重県の各市町に大きな体育館、アリーナの建設が進んでいます。津市においても、来週10月1日にオープンするかと思います。では、そこを私ら障がい者スポーツを愛する、ふだん頑張っている選手が使おうとしても、なかなか使えないのが現実なんです。なぜかというと、まず一つ目の大きな問題として、使用料が関係してきます。話が矛盾するかもわからないです。今、障がい者スポーツと健常者のスポーツは、横並びになってきましたよと、平等に考えましょうと。すごくそれがうれしいですよという言葉を発したにもかかわらず、そこで料金の話ってなってしまうと、矛盾するかもわからないんですけれども、正直、やっぱり新しいアリーナ等を使用しようと思うと、ある程度の使用料金がかかってきます。そこで、やっぱり私たち、体にハンディを持った団体と、中には、仕事にはなかなかつけない、体に重度の障がいがある、でもスポーツはやりたい、正直、生活は年金で生活していますよと。その中で、なおかつ練習、愛するスポーツをやるために会場を借りるのに、ある程度のお金がかかってしまうというところで、どうしても借りられないよねということになってしまいます。また健常者等の団体競技に比べて、どうしても団体競技は少ないです。よーいどんで各会場を予約しようと思っても、やはりもうなかなかとれないのが現状なんです。そういうことから、障がい者スポーツをやっている人間が、いろんなところで強化練習がしたい、なかなか厳しいというのが現実なので、この場をお借りして説明しておきたいなと思います。
そういう中でも、努力をして、いろんな場所を探して練習はしています。どこかの体育館、ちょっとした中学校、高校の体育館を借りようと思っても、なかなかやっぱりバリアフリーの関係で上がれないところが多かったり、実際ここ最近はほぼ行けるんですけれども、反対に今度は車椅子で上がることによって、学校等のフロア等に傷をつけてしまう等で、学校や教育委員会のほうがいいよと言っても、今度は反対に私たちが、もし傷をつけたらいけないなと思うことで、やっぱり下がってしまうということで、ふだんから本当にストレスなくいろんな競技ができる公共の施設があれば、本当に強化、また強化だけではなく、それぞれの競技団体との交流、また先ほどお話もあったように、市民、県民とそういう場を使って、障がい者スポーツの体験会とかも開けるのかなと、すごく夢が広がっていく一つの障がい者アスリートにとっての拠点があれば、本当に夢が広がるなと思っています。
今から4年後に三重とこわか大会が来るんですけれども、ちょっとこういうところくらいで話が前後してしまって申しわけないんですが、すごくわくわく感はあります。わくわく感プラス、本当に期待があります。東京オリ・パラの翌年に最高のタイミングで全国障害者スポーツ大会を三重県で迎えられるのは、本当に期待とわくわくと、反面怖さはあるんです。恐らく今、テレビ、コマーシャル等で、本当に障がい者スポーツというのは、すごく取り上げていただいています、東京オリ・パラへ向けて。果たして、東京オリ・パラが終わった翌年、やっぱりその火がどれだけ残っているかという怖さは多少あります。もし、その火が残っている段階で翌年を迎えて、第一歩、東京オリ・パラからその先の未来に対して、日本の障がい者スポーツを根強いものにしていくには、この三重県のとこわか大会というのは、すごく大きな責務があると思います。だから、私たちが今、実際に競技にかかわっている者として、何とか東京オリ・パラの火が残っている翌年に、その火を消すことなく、三重とこわか大会を通じて、全国にもう一度、東京オリ・パラが終わっても、とこわか大会を通じて、全国に障がい者スポーツを普及していきますよ、楽しいものなんですよと、みんなでやりましょうということを継続できれば、三重とこわか大会は、すごくいい意味のある大会になるのかなと思っています。
かなり大きな話をさせていただいていますけれども、大きな思いとしては、やはりそういうところの思いを持ちながら、ふだん練習であったり、強化であったり、コミュニケーションであったりをしていきたいなと思っております。
実例として、もう随分前なんですけれども、富山県のほうで全国障害者スポーツ大会が行われて、一つの例をとると、車椅子バスケットにおいてなんですけれども、富山県で行われた全国障害者スポーツ大会の後、それを残すように、その大会が行われた記念として、それから毎年記念大会として車椅子バスケットの大会を開催してもらっていると。先ほど、水原様のほうから話があったように、大会が終わった後に各市町、開催した市町が、そのレジェンドを残すように、そこで開催した競技を例年、全国からチームを呼んで大会を開くことによって、本当に三重県に、ハンディを持った障がい者スポーツが普及し、根強いものになっていくのかなと。そういうとこわか大会まで、当然強化もします。準備も頑張ってします。ただ大事なのは、とこわか大会が終わった後の5年後、10年後に、三重県にどれだけ障がい者スポーツというものがきれいに残っているか。東京オリ・パラ、三重とこわか大会以前よりも、もっとすごくいい感じになっているな、いいものになっているなということになるような、いいきっかけ、いいスタートのとこわか大会を迎えたいなと思っております。
前後して、本当に汚い言葉で申しわけなかったんですが、私の思いは以上です。ありがとうございました。
(2)参考人への質疑
○下野委員長 ありがとうございました。
それでは、ただいまの御意見を受けまして、委員の皆様から御質疑等をお願いいたします。
なお、念のため申し上げますが、参考人の方は委員長の許可を得て発言し、また委員に対しては、質疑をすることができないことになっておりますので、御了承願います。
それでは、質疑等ありましたらよろしくお願いを申し上げます。
委員の方、よろしくお願いいたします。
○青木委員 詳しい説明、また大会に向けていろいろ御準備いただいている部分につきまして、敬意を表したいと思います。
これはスポーツ外になるんですけれども、ふだんからいろいろ泊を伴う大会とかなどで、三重県内にも来てもらっているんだと思いますけれども、やっぱり何日か連泊される大会になってくるわけでございますけれども、今現状、皆さん方から見て、三重県内のホテルとか旅館の宿泊施設等、安心してスポーツに専念できるような環境に整っているかどうかというのは、その辺は調査されたり、話しをされたりというのは、まだこれからになるんでしょうか。それともどんな形の捉え方をされているのか教えてください。
○水原参考人 各開催県において、一番大変なのが、輸送と宿泊の分宿の確保という形で、そこには精神障がいの方もおりますし、知的障がいの方、それから重度の車椅子の方、片麻痺の方という、いろんな障がい区分の中で選手団を構成してこられますので、それに適応した宿泊施設が全て整うのかというと、なかなか難しいのが現状というふうに聞いております。今年の愛媛大会でも、やはり畳の部屋にじゅうたんを敷いて、車椅子の方にはそこに簡易ベッドを設置して寝泊りしていただくというようなケースも出てきております。
これは、大会のためにということではなくて、対応できる範囲内で対応していただくということで、恐らく準備委員会等の中で、その調査等も含めて、今一生懸命にされていると思うんですけれども、皆さん、それぞれ非常に苦労をしてされているのが現状かというふうに思います。
あと、大会会場といかに近いかというところで、宿泊施設を確保できるかできないかで、輸送の大きな負担というようなところが増えてきますので、そこを含めて、これから幾つかの課題が出てくるのかなというふうに思っております。
以上です。
○青木委員 一旦これで。
○下野委員長 ほか、委員の方いかがでしょうか。
○田中委員 水原参考人にお伺いしたいんですけれども、先ほど、資料の5ページのほうで御説明いただいた、国民体育大会本大会と全国障害者スポーツ大会との違いを御説明いただいたんですが、もし御存じでしたら、観客数の差というのも非常に大きなものがあるかなというふうには思うんですが、このあたりについては余りデータとしてはないですか。
○水原参考人 実際は、各競技団体の規模感が違いますので、動員数も含めて、競技日数が多いので、当然国体のほうは多いと思います。関係者も多いですし、都道府県対抗になっておりますので、関係者の方も多く来られるだろうと。
ただ、一方、この全国障害者スポーツ大会というのは、どうしても関係者が中心になったりしてしまって、なかなか他県から応援に来るというような状況がないものですから、非常に観客が多い競技、車椅子バスケットだと、ほぼ満員に近いようなケースが見られますけれども、地元開催ですので、三重県の選手が頑張ると人数は増えますけれども、というような形です。陸上競技になると、どうしても関係者だけの、余り応援団が多くない、地元の小中学生の方々が応援団を組んで応援されたりということが多いので、そういった面では大きな差はあるのかなというふうには思っております。
○田中委員 ありがとうございます。
やはり、そもそもその下の6ページのところにあります障がいに対する国民の理解を深めていくということからすると、やはりこの一つの目標というか、メルクマールというか、とこわか大会の観客数、三重県民のいかに多くの方に障がい者のスポーツを御理解いただくかというところも重要なのかなというふうには感じたところです。
あと、もう1点、ボッチャがこのとこわか大会から正式に採用されるということを伺っておるんですけれども、実は、私の地元のほうで、市民スポーツ、聞いたことございますか。タスポニーとかテニポンとかって、いわゆるニュースポーツというもので、高齢者の方、または経験のない方もなじみやすいような形で、テニスを少しアレンジしたような競技がありまして、そういう活動を熱心にしている方と、ふだん私もやらせていただいているんですけれども、この間、ボッチャの練習会に参加したとおっしゃるんです。今度は、とこわか大会でボッチャが正式競技として採用されるということもあって、ぜひ何か支援をしたいと申し出があったんです。大会関係者というか、競技役員とか、そういうのがどれくらい必要なのか私も存じ上げませんけれども、そういう形でどうぞというふうにお話をしたら、いや、ちがうんだと、やってみたら楽しいし、ぜひ障がいがある方で競技している方と対戦してみたいという、そんな御発言がありまして、なるほど、これも一つの方法だなと。障害者スポーツ大会とこわか大会を県民が大会役員として支えるということもそうなんですけれども、先ほど、競技人口が少ないもので、対戦相手がいないというお話がありました。そういう相手として支えるという方法もあるかなというふうには思っておるんですけれども、ほかにも県内で、これ前田参考人のほうがお詳しいかもわかりませんけれども、そういう対戦相手を求めているような、そういう競技というのはあるんでしょうか。
○前田参考人 先ほども話があったんですけれども、例えば、バレーボールであったり、バスケットボールであったりとなると、どうしても三重県のチームは1つしかないわけなんです。健常者のスポーツみたいにいっぱいチームがあるわけではなくて、三重県には、知的障がい者のバレーボールであれば、1チームを継続するために努力している。対戦相手がいないので、反対に、中学生とかママさんバレーとか、そういう方々に本当は相手をしていただきたいです。反対に、先ほど言ったように、練習場の確保にもつながるんです。例えばふだん、健常のママさんバレーであったり、中学校の子がバレーボールをやっているところにお邪魔をしてやることによって、交流もつながりますし、体験もできますし、なおかつこちらからすると強化にもつながるという、すごくいい循環で回っていくということが考えられるんですけれども、今なかなかそこの接点がないのが正直なところです。そういう接点をつくっていくことによって、すごく普及にもつながるし、会場の場所の提供にもつながっていくのかなと思います。
先ほど、ボッチャの話があったんですけれども、確かにボッチャはすごくおもしろいんです。すごく重度の方がやる競技になるんですけれども、初めてこの重度の方のやる競技に、三重県ではすごくスポットが当たっていて、すごくいい方向に流れていると思います。先ほどボッチャで対戦したいとあったんですけれども、本当に重度の方とやっても、一生懸命にやっている方に勝てないんです。それがすごくいい意味をなしてくるのかなと。本当に重度で苦労されている方で、一生懸命にやっている競技と、こちら健常でやっても絶対に勝てないという、その勝てないという思いを味わっていただくのは、反対に楽しいのかなと思って期待はしています。
○田中委員 また後ほどで結構なので、ボッチャをやっている方と、もし対戦をしたいという、僕が確認をいたしますけれども、ぜひその接点をつくらせていただけたらなというふうに感じました。
あと、これは水原参考人のほうが御存じかな。先ほど前田参考人がおっしゃった練習場の使用料の課題というのは、これはもう少なからずあるというふうに想像できるところなんですけれども、全国的に見て、障がいのある方たちが使用するときに、公の施設であれば減免というような方法論というのがあり得るかなというふうに思うんですけれども、他県とか他市でのそういう取組というのは、御存じでしたら教えていただきたいんですけれども。
○水原参考人 全国的に見ると、公共施設でチーム単位で登録なんていう形でとったりしていますと、住民の方が数%が入っていれば減免措置をとるケースも多々ありますけれども、一般の体育施設の中で、そこに居住している人が何人いるかによって、減免にならなかったり、なったりするというような、やっぱり地域のものとしての位置づけがあるものですから、そこら辺は全国的にどうかって、平均的なものはなかなか出せないのかなと思います。
もう一つは、指定管理というところで、今、体育施設の管理をされているので、どうしてもその範囲の中で可能かどうかというところは、やっぱり費用負担、要は管理上の費用負担をするかしないかというところで差が出てくると思うので、地域によって大きな差があるのかなというふうに思います。
○田中委員 了解です。ありがとうございました。
○下野委員長 ほか、委員の方いかがでしょうか。
○長田委員 先ほど、国民体育大会と全国障害者スポーツ大会が、どちらかというと、縦であったのが横になってきたというイメージというふうにおっしゃいました。例えば、5ページ、6ページの資料で、国民体育大会、全国障害者スポーツ大会と書くと、当然よくわかります。オリンピックであれば、ちょっと違うかもわかりませんが、オリンピック・パラリンピックという呼ばれ方をしますが、国体になると、とこわか国体ととこわか大会になります。御存じでない方は、とこわか大会ってこれ間違っているのというイメージの方が多々見えるんですが、その辺に対して、この呼び方について違和感があるのか、その辺のところの御意見をちょっとお伺いしたいんですが。
○水原参考人 今現在、日本体育協会の名称が、来年4月から日本スポーツ協会に変わります。当協会の中でも、今、日本パラスポーツ協会にしようかどうかという検討に入っております。本当の名称というのは全国障害者スポーツ大会何々県大会という言い方をするんですけれども、それ以外に、とこわか大会ですとか、ふれあい何とか大会とかというサブネームをつけるのが一つの流れになってきておるので、なかなか県民の方に理解されていない。障害者スポーツ大会をできるだけ出したいという思いと、反面、障がい者というところのイメージを変えていきましょうという、今は両方の考えがありますので、逆に一つのスポーツ大会の中に、障がい者部門があったり、健常者の部門があるよというようなイメージで実施されていくようになるのがいいのかなというふうには考えていますけれども、現状の中では、どうしても各県の主催の団体で分けるというところの名称で、こちらは障がい者の大会ですよということを理解してもらうために、その告知をうまく利用していただきたいなというふうには考えていると思います。
○長田委員 ということは、理解していただければ、これで仕方ないなというイメージということと、趣旨が違うかもわかりませんが、本来なら国体の中におのおの2つの位置づけがあるんだよというようになったほうが好ましいというような、そういうイメージでよろしいですか。
○水原参考人 これは、非常に、主催が国民体育大会は日本体育協会が主催であると。一方の全国障害者スポーツ大会は文部科学省、それから日本障がい者スポーツ協会、それから開催される開催県、3つが主催という形で、ちょっとその辺、実際に運営するのに、一緒にというのはいきなりは難しいかなと。日本体育協会の泉専務等含めて、今後の形をどうしたらいいかという検討はしておりますけれども、どこで融合させるかという一つの大きな課題はあると思います。現在、そういうような話し合いをしているのが、段階としては今後どうなっていくのかということになるかと思いますけれども、国民体育大会の名称は、5年後に恐らく変わると。今年の11月の国会で、恐らく名称変更の法案が通れば、名称変更は5年後になると思いますけれども、その時点までに、ある程度この大会とどういうふうにしていこうかということが話し合われるんではなかろうかというふうに考えております。
○下野委員長 ほか、委員の方いかがでしょうか。
○津田委員 私の知り合いの方に、ボッチャを広めていこうという、事務局の方が見えるんです。私はバスケットボールをやっていたんですけれども、バスケットボールをするときに、バスケットボールをする人間が集まって、ボールを用意したり、ゴールを出して、バスケができる、スポーツができるんですけれども、健常者でない方は、スポーツをする人と用意をする人、事務局みたいな人が、やっぱりどうしても必要なんですが、そのボッチャを広めていこうと思っても、世話人の人がなかなか入ってくれなかったり、あるいは障がい者の家庭のお父さん、お母さんだと思うんですけれども、会場まで連れていき、協力してやっていこうという保護者の方の理解もいただけないという話を聞いたことはあるんですけれども、何かそういった課題を解消するために、協会のほうで何か取組をされているところというのはあるんですか。
○水原参考人 日本障がい者スポーツ協会としては、今、指導者の制度というものをつくって、今2万3000人ほど、全国で初級指導員、中級指導員、上級指導員という方々を輩出しております。その方々の役割というのは、支援者という言い方をしていますので、そういう方々が障がいのある方にスポーツの環境を整えるためのサポートをするという役割を位置づけておりますので、障がい者の方がスポーツをするというのは、そこまで行けるかどうかという問題、それ以前に今度は着がえができるか、それから排泄が自分でできるかどうか、これも含めて全部考えていかないと、スポーツの世界まで届かないと。それを全て、ある程度支援できるかどうかというところを環境整備というような言い方をしていますので、そういった指導者の輩出と同時に、10月に恐らく日本ボッチャ協会というものの組織が多少変わってきます。その中では、地域に普及するためのボッチャと、それからパラリンピックに向けたボッチャと、2つの組織をその中で融合させながら、1つの組織図をつくりながら、全国の支部をつくっていきたいというようなことを言われていますので、そういった中で、三重県の中でそういうような協会ができてくることによって、いろんな支援が生まれればなと。そこに指導者の方々が、できるだけ支援ができるような環境をつくれればなというふうに考えています。
○津田委員 立ち話で、こういう課題があるんですが、津田さんって言われて聞いて、そこで別れたんですけれども、三重県の我々に何か宿題として提言してもらえるようなことがあれば、ちょっと教えていただきたいんですけれども、特に大きな課題じゃないということなんですか。
○前田参考人 ボッチャに限らずということで、ボッチャを一つの例にすると、ボッチャって、県民がどこでもできるスポーツなんです。ボールがあれば、あとは線を引くだけなので、特に三重県は縦長の県になりますので、各地域にそういう応援してくれる方がいれば、そのボールさえそこに置いておけば、公民館とか、いつでもできる状況ですので、できればボッチャだけを言ってしまうとあれなんですけれども、ボッチャって本当に誰でも楽しめるスポーツだと思うんです。車椅子バスケットみたいに、あれだけのものをそろえなくてもいいので。でも、重度障がい者のボッチャを広めるということは、今後の三重県の障がい者スポーツに、すごくプラスになることを築いてもらうことが多いと思いますので、お願いというのがあれば、各地域に誰でも、子どもから、ハンディを持った方から、老人の方まで楽しめる本当のスポーツだと思うので、各公民館とか老人ホームとか、そういうところにボールを置いていただく努力をしていただければ、実はボッチャを通じて、ハンディを持った方のスポーツの普及にすごくつながるかなと思うので、そこはちょっとお願いしたいなと思います。
○津田委員 ボッチャってどこでもできるのかちょっとわからないんですけれども、例えばボールを投げるんですよね。ボールを投げたら、それを取りにいく人だとか、線を引く人だとか、意外とこじんまりしているけれども、人は結構たくさん必要なんですかね。だから、私の知り合いの人は、それでなかなかスタッフが足りないんですって言っていたんですけれども、そんなにあれなんですか。
○前田参考人 競技として正式にしようと思うと、そこそこのラインも引かないといけないですし、取りにいって細かい作業もあるんですけれども、まずボッチャというものを楽しむという意味では、そこまでやる方と、やる方は最低2人はいるんですけれども、2人と、もう1人だれかサポートしていただける方がいれば、十分楽しめるのかなとは思います、取っかかりとして。
○石田委員 障害者スポーツ大会の歴史について、水原参考人から御説明をいただきました。昭和39年に第2回のパラリンピックを東京でやって、日本もそれを契機に翌年から障がい者のスポーツ大会を始めております。
このリーフレットの1ページに、パラリンピック東京大会、1964年の白黒写真が載っていますが、これ国立競技場じゃないんですよね。
○水原参考人 織田フィールドという代々木公園の中にあったグラウンドで開会式をされたという話は聞いております。ただ私、オリンピックは見にいった覚えはあるんですけれども、パラリンピックを見た記憶が全くないのと、映像がなかなか残っていないので、これは織田フィールドでということで聞いております。
○石田委員 健常者の大会と、それから障がい者のスポーツ大会の歴史の始まりのところと、何ていうんですか、大会の地位的なところが、何か会場が違うということは、ちょっと軽いような位置づけにあったのかどうか、歴史の中でそういうことがあったのかどうかというのは、おわかりでしたら教えてほしいんですけれども。
○水原参考人 この東京のパラリンピックの大会は、車椅子の方が主だったということと、競技によっては代々木体育館の仮設体育館の外で、決勝戦を代々木第二体育館でやってたりということで、競技そのものの会場を差別化したということはないと思います。
ただ、オリンピックが終わってすぐだったので、なかなかその対応、仮設トイレの問題とか、いろんな工夫をされておられたというのは聞いておりますし、選手村は代々木の今ある公園の中にあった施設を使って宿泊したというふうに聞いておりますので、そこの差というのは、今は逆に言うと、全国障害者スポーツ大会は、国体後の会場地を主体にして企画をしていただくということになっておりますので、そこの差は余りないというふうには感じています。
○石田委員 こちらの資料の5ページのところの国民体育大会と障害者スポーツ大会の人数のところなんですが、障がい者の大会の選手団5500人の内訳で、個人競技に知的障がい者、身体障がい者とあるんですが、ここに精神障がい者の数字が出てこないのはなぜですか。
○水原参考人 精神障がい者のバレーボールという団体競技のみ、今は参加が可能になっております。もう少し詳しくいいますと、今現在、個人競技の精神障がいの方の導入は、検討中ということで、茨城県大会、あと2年後の大会から、卓球競技に精神障がいの人たちを導入するということで、今動きつつあります。
○下野委員長 それではよろしいでしょうか。
質疑をこれで終了とさせていただきます。
この際、参考人の水原由明様、前田浩司様に対し、委員会を代表して一言お礼を申し上げます。
本日はお忙しい中、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。今回頂戴いたしました貴重な御意見は、今後の本委員会での議論に反映し、役立てていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。本日は本当にお疲れさまでございました。ありがとうございました。
以上で、参考人からの聞き取り調査を終わります。
ここで、参考人が退席されますので、着席のまま、暫時休憩いたします。
〔参考人退室〕
(休 憩)
(3)委員間討議
○下野委員長 それでは、休憩前に引き続き、委員会を再開いたします。
委員間討議として、本日の聞き取り調査について、御意見のある方はお願いいたします。
○青木委員 特に、最初のお二人の話を聞いていて、多分、教育警察常任委員会とか、いろんなかかわりのあることが出てきたかなと思っていまして、教育警察の課題というか、話題にもしておいていただければありがたいなと。こちらではなかなか、それ以上は突っ込みにくいなと。
○下野委員長 ありがとうございました。
青木委員がおっしゃったのは、例えば部活動の指導員の確認とか、そういう部分はそうですね。
関係の委員会とも連携をして、情報共有させていただきたいと思います。ありがとうございます。
ほか、委員の方、よろしいでしょうか。
○長田委員 今、スポーツのほうと障がい者のほう、両方を聞かせていただいて、障がい者のほうは、どちらかというと厚生労働省の管轄みたいな感じのイメージで、オリンピック・パラリンピック、スポーツ、全て同じような感じで考えとったんですが、それからいいますと、今の青木委員の話ではないですが、障がい者スポーツについて語るには、今度は健康福祉も関係してくるのかなというような感じも得たのが一つですので、単純にスポーツの推進と言いながら、非常に幅広いなと思ったのが実際ですので、この総務地域連携常任委員会でするというよりは、常任委員会をまたぐことが多いような気もしてきました。
○下野委員長 入口がとこわか国体ととこわか大会ですけれども、今、長田委員がおっしゃるように細かくいくと、教育警察とか健康福祉病院とか違う常任委員会にも、そういうところにもつながっていくと思いますので、今日いただいた御意見は、そういった部分の委員会にもお伝えさせていただきたいと思います。ありがとうございます。
ほか、いかがでしょうか。なければ、これで委員間討議を終了とさせていただきます。
第2 その他
○下野委員長 この際、ほかに何かございますでしょうか。よろしいでしょうか。
〔発言の声なし〕
〔閉会の宣言〕
三重県議会委員会条例第28条第1項の規定により記名押印する。
総務地域連携常任委員長 下野 幸助