<目次>
寄稿にあたり
三重フィルハーモニー交響楽団50年の歩み
練習風景
矢崎彦太郎さんのお話
団員さんからお聞きした話
1)コンサートミストレス(マスター) 荒木弓佳さん
2)最年長団員 野島敏子さん
今後の展望
寄稿にあたり
第59回 県民功労者表彰の文化功労として、三重フィルハーモニー交響楽団が受章者となられました。
県民功労者表彰とは、最高位の知事表彰として、本県の「公共」「福祉衛生」「産業」「生活」そして「教育文化」などの各界において、県民の模範となり、かつ県勢の伸展に寄与した方を顕彰するため、毎年表彰するものです。
県民功労章
三重フィルハーモニー交響楽団の「文化」における長年の功績が県民功労者としてふさわしいものとして、令和5年、三重県知事より、表彰状と県民功労章が授与されました。
そこで、この機会に、三重フィルハーモニー交響楽団のこれまでの道のりと、これからの展望などをご紹介いたします。
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三重フィルハーモニー交響楽団の50年の歩み
三重フィルハーモニー交響楽団は、昭和46年(1971年)に創設されました。昭和50年(1975年)に開催されることが決まっていた三重国体の芸術展で演奏する県民オーケストラとして、約80人の県内の演奏家が集結したものです。創設の翌年に第1回演奏会が開催されました。
それ以降、毎年6月に開催される定期演奏会を軸に、多くの演奏会を開催してきました。また、昭和54年(1979年)に三重県で開催された第7回全国アマチュアオーケストラ・フェスティバルをはじめとする、三重県で開催される大きなクラシック音楽イベントでは、三重県を代表する楽団として舞台に上がってきました。
長い歴史の中で、何人もの日本を代表する指揮者が指揮台に立ってきました。また、県内外の著名な演奏家をソリストとして迎え、ともにコンサートを作ってきました。平成6年(1994年)、三重県総合文化センターに三重県文化会館が開館し、国内屈指の響きを持つといわれる同会館大ホールを拠点としてからは、さらに本楽団の活躍は加速していきました。
こうした長年の活躍が高く評価され、平成24年(2012年)には、三重県文化賞において最高賞である文化大賞を受賞しました。そして、令和5年(2023年)、最高位の知事表彰を受章しました。この年の定期演奏会は、「第50回記念定期演奏会」と銘打たれ、創立50年の節目を祝うものとなりました。
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練習風景
「第50回記念定期演奏会」を控えた某日、同演奏会に向けた定期練習にお邪魔しました。
本楽団では週に1~2回の定期練習会を行っています。アマチュアオーケストラである本楽団は、楽団員を広く募集しており、入団前には練習を見学できます。
演奏会を控えていないときには、パートごとの練習だったり、団員だけの練習だったりが中心になるのですが、この時期の練習会は、全パートが集結し指揮者の先生も参加する本格的なものが含まれていきます。
練習開始前、徐々に団員の皆さんが集まってきます。おそらくは軽いウォーミングアップとして、個々の団員が思い思いに鳴らしているだけの音に、相当な聴き応えを感じました。
この日の練習には、現在、本楽団の名誉指揮者を務め、「第50回記念定期演奏会」を指揮する矢崎彦太郎さんが参加しました。
矢崎さんは、一度は上智大学数学科に入学しながら、東京芸術大学指揮科を受験し直して音楽の道に進んだという、異色の経歴を持つ音楽家です。日本フィルハーモニー交響楽団指揮研究員として小澤征爾さんの助手を勤めた後、ヨーロッパの各地でキャリアを重ねて、世界で活躍しています。
三重県と矢崎さんのつながりができたのは、三重県文化会館の「三重音楽発信」シリーズへの出演がきっかけでした。本楽団で指揮棒を振るようになって20年が経ちます。本楽団を指導するのは上記演奏会で18回目になりました。その指導力で楽団の実力を引き上げ、またその人脈で、演奏会に著名な演奏家を呼んでいます。
そんな高名な事前情報を得て見学に入ったため、とても厳しい指導を想像していたのですが、全くそんなことはありませんでした。優しい口調で語り、ときにユーモアを交えた指導をして、団員の皆さんの笑いを誘っています。個別のパート、ときには個々の演奏者に具体的な指示を出し、「この曲のこの部分に相応しい音を出すためには」と、弦を引く弓の使い方のような、演奏の基礎的な部分の指導もありました。その指示を経て演奏し直すと、音楽には全く素人の耳にも、演奏がさらに素晴らしくなったと感じられました。
「高名な指導者を前に緊張感あふれる練習風景」のような事前の想像は良い意味で裏切られ、団員の皆さんがリラックスして練習に臨み、そのことで個々の実力がさらに発揮されていると感じました。
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矢崎彦太郎さんのお話
「怒鳴って演奏が良くなるなら、そんな楽な話はないです。
練習はしんどいものです。それでも、演奏者が演奏を楽しんでいないと、お客さんにだけ『楽しんでください』と言っても無理というものです。しんどくても、楽しんで演奏してもらいたいです。
日本では儒教の影響なのか、『楽しむと真面目ではない』と捉えられる風潮がありますが、やってる人が楽しんでいないと、感動を与えるのは難しいです。我々は良い音楽を聴いてもらいたいのであって、一生懸命やってる姿を見てもらいたいのではないですから。
演奏会は時間芸術だといわれています。時間に色付けがなされ、次の瞬間には消えています。その時間が楽しいものであれば、ある楽譜を全く違う解釈で演奏しても、どの演奏も感動を引き起こします。それに対して、わざわざ時間かけて『禅問答』にしてしまっては、何を聞いても楽しくないでしょう。
誰も音楽に嘘はつけません。演奏には演奏者の人柄まで全部出てしまいます。もちろん一生懸命やりますが、楽しんで演奏していなければ、それも全部伝わります。
三重フィルハーモニー交響楽団はアマチュアオーケストラです。しかし、作品に向き合うときにプロとアマの差はありません。プロは演奏で生活費を稼いでいるというだけで、音楽にアマ用の曲とプロ用の曲があるわけではないですから。誰でも音楽に感動することができます。演奏する側にとっても同じことです。
リラックスして集中する、矛盾しているようですが、それが重要です。三重フィルというオーケストラは、そのことをわかっている楽団です。ここには、本当に音楽を好きな人が集まっています。当たり前のことのようですが、なかなか当たり前にはいきません。」
※なお、一度は数学を学んだことについてお聞きすると、「全く違うものと思う人が多いですが、数学と音楽は近いものです。とくに現代音楽ではその傾向が強いですよ。」とのお答えをいただきました。
※この後、ある団員の方にお話を伺ったところ、矢崎さんについて、「矢崎先生のご指導は確かに優しいです。しかし、要求されている内容はとんでもなくレベルの高いことです。付いていくのに必死です。」とお話しいただきました。指導の際に見せる優しさも、アマチュアであっても妥協のない厳しさも、全て良い音楽を作り上げることに向けられたものだと感じました。
(c)有田周平
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団員の方からお聞きした話
1)コンサートミストレス(マスター) 荒木弓佳さん
コンサートミストレスとは、ヴァイオリンの中で指揮者と一番近い場所に座り、指揮者とオーケストラのかけ橋となる立場の女性のことです。男性が就く場合はコンサートマスターと呼ばれます。最近では、男女問わず「マスター」と表現することも多くなりました。コンサートマスター(ミストレス)には、指揮者の指示をオーケストラ全体に指導的に伝え、調整する役目があります。人数が少なく指揮者がいない演奏会では、指揮者の役割を果たします。
荒木さんは、津市でヴァイオリン教室を開きながら、演奏活動をしています。「みえの文化団体」としてご紹介している「ムジカーノ」にも参加しています。ソロで個性を発揮するのも、楽団の調整をするのも、どちらも好きとのことです。
コンサートマスター(ミストレス)は、きちんと演奏するだけでは務まりません。全体を客観視する技能が必要になります。荒木さんがその立場になったのは、まだ20代の頃です。前任のコンサートマスターが突然転勤になってしまったためでした。矢崎さんの指示を真っ先に受け取る重責に食事がとれないほど気持ちが追い詰められたこともありましたが、真剣な思いが実り、今では矢崎さんと信頼関係を築いています。荒木さんがこの立場に就いて、15年が過ぎました。
今、三重フィルでは、コロナ禍で縮小した活動を取り返す意味もあり、少数の団員による小規模の演奏会が企画されています。社会貢献活動として、学校、企業、福祉施設などで、団員を中心に少人数のコンサートを開いていきます。そういった地域に根ざした活動は以前もありましたが、三重フィルとしてそのような活動を組織的に行っていくことになったことを、荒木さんに教えてもらいました。
50年以上の歴史がある楽団にも、新しい動きが生まれています。今の時代はどの楽団も活動の継続に苦労をしていますが、荒木さんは、長い歴史を経た今も、「ここからがスタート」と前を向きます。
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2)最年長団員 野島敏子さん
野島さんに失礼ながらお歳を尋ねたところ、なんと昭和16年生まれとのことです。令和5年現在、81歳です。舞台での元気な姿に、まさか戦前(戦中)のお生まれとは思わず、驚きの声を上げてしまいました。その節は大きな声を失礼しました。
野島さんにもお話を伺いました。
「音楽歴は70年です。
三重フィルの前身にあたる楽団の一つから参加し、三重フィルにはほぼ創設時に所属しました。子育てでオーケストラは休んだ時期がありましたが、室内楽には参加していて、その後再びオーケストラに戻りました。多くの楽器が一糸乱れず演奏するオーケストラの勘を取り戻すのに、しばらく時間がかかったものです。それからずっとここで演奏していますが、数年前に個人レッスンに付いて、練習曲を一冊基本から学び直し、音感が機能しているか改めて確認をしました。
ヴァイオリンの他に、週に数回卓球とバドミントンを練習しています。体幹をしっかりさせる目的です。体力以上に重要なのが目です。楽譜を正確に読み、また周囲の楽器や指揮者の動きを正確に捉えなければ、オーケストラで演奏ができません。視力の維持にも努力をしています。」
この度の表彰について感想をお尋ねすると、「万感の思い」とのお答えをいただきました。それは「一人ひとりが個々にレベルを上げて来た成果」であると。
誰よりも年長で、なおご自身のレベルを上げようとしている野島さんは、その成果を最も体現するお一人といえるでしょう。
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今後の展望
50周年を超えた三重フィルハーモニー交響楽団で、お話をお聞きした方が口を揃えるのが、「50年の歴史を支えることに参加できた喜び」と、「100年目を迎えられる楽団となるよう引き続き頑張ろうという思い」です。
50年の間に、楽団の存続が危機に陥ったことが何度かありました。
楽団を支えていた当時の事務局長が急逝してしまったことがありました。その穴を埋めるために何人もの人が頑張って立て直しました。
今でこそ非常に高い練習の出席率ですが、演奏会が迫るまで人がまばらという時期がありました。そのときも、皆で話し合い、徐々に意識を変えていきました。
最大の危機は、やはりコロナ禍かもしれません。2020年、2021年と定期演奏会が2年続けて中止になりました。集まって練習することもできない時期がありました。「もう誰も練習に来ないんじゃないか」、そんな不安を団員が抱く中、2022年に演奏会が再開したとき、ほとんどの人が戻ってきました。
いつでも、一人ひとりの力を合わせて、危機を乗り越えてきました。
本楽団にはオーディションがありません。プロオーケストラはもちろん、アマチュアでもオーディション行うオーケストラもありますが、入団するだけなら、三重フィルは広く門戸を開いています。しかし、団員が目指す演奏に向けて、一人ひとりが大変な努力を積み重ねています。団以外の活動の場を持ち、それぞれの音楽を追求し高めている団員がいます。団の練習とは別に、自発的に個人レッスンを受ける人も珍しくありません。
ある方の「矢崎先生の指揮に付いていけないとつまらないですから」という言葉が印象的でした。
また、別の方に大人数で一つの音を作ることの意味をお聞きしたとき、「本当に皆の音が合ったときは、自分の楽器から出る音が全く聞こえなくなって、遠い客席から音の塊が聞こえることがあります。」と教えてもらえました。
そんな音を実現する高い演奏技術と豊富な経験を持ちながら、まだ「もっと上手くなりたい」と思っている、心からクラシック音楽を愛する人がたくさん集まった場所、それが三重フィルハーモニー交響楽団です。
そんな人たちが、この先50年の歴史を切り開いていきます。
そんな仲間が、この三重県を代表するオーケストラに、もっともっと増えていくことを願ってやみません。
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