今回は、「森脇(もりわき)遺跡発掘調査結果からみる地方豪族のお屋敷」と「青川と石斧づくりのムラ―いなべ市宮山(みややま)遺跡―」の2つの講座を、それぞれ三重県埋蔵文化財センター職員森川常厚(もりかわつねあつ)、櫻井拓馬(さくらいたくま)が行いました。森脇遺跡、宮山遺跡とも当センターが過去30年の間に調査した遺跡です。
当日は、少々暑い日になりましたが、43人の方においでいただきました。
一つ目の講座で取り上げた森脇遺跡は伊賀市市部(いちべ)にある遺跡です。遺跡内には後鳥羽院や西行など一流の歌人が和歌に詠んだ「垂園森(たれそのもり)と哀園森(あわれそのもり)」(市史跡)があることをまず紹介しました。発掘調査では、格の高い掘立柱建物が規格性を持って整然と建てられていたこと、比較的大きい倉庫が並んで建てられていたこと等を説明しました。さらに、一画にある井戸の井戸枠は板材で精巧に組まれていたこと、井戸枠には組み立てる場所が墨で記されていたこと、井戸からは須恵器や土師器などがたくさん見つかり、達筆の墨書があったことに触れました。
朝明(あさけ)郡衙(久留倍(くるべ)遺跡:四日市市)、鴻之巣(こうのす)遺跡(名張市)、下江平(しもえびら)遺跡(菰野町)等の遺構と比較検討し、律令制度と盛衰を共にする森脇遺跡は、伊賀国伊賀郡の郡司(ぐんじ)の居宅ではないだろうかと推測しました。
二つ目の宮山遺跡は、青川が員弁川に合流する付近のいなべ市大安町片樋(かたひ)に所在する遺跡です。今回の講座では、弥生時代中期後半に石斧づくりが行われていたことを中心に取り上げました。
発掘調査で石斧の石材、未完成品(失敗品)や石屑がゴロゴロと出てきたこと、その石はハイアロクラスタイトという緑色岩で水の中では青く見えることに触れました。そして、この石でできた石斧は朝日(あさひ)遺跡(愛知県清須市)や納所(のうそ)遺跡(津市)等遠方まで運ばれており、石斧の生産地として注目されることを話しました。さらに、近くには同様に石斧づくりの小さな遺跡が点在していたこと、菟上(うながみ)遺跡、久留倍遺跡(いずれも四日市市)、西金井(にしかない)遺跡(桑名市)等周辺の大きな拠点的集落に流通していたことを説明しました。当時は農具や井堰の杭等、木を加工するのに多くの石斧が用いられ、やがて鉄器に代わっていくことを話し、最後に石斧と鉄斧で木を加工する様子をビデオで上映しました。
講演後、参加者の方々は、展示された墨書土器や井戸枠、石斧や石斧の柄(未完成品)等の出土遺物を熱心に観察され、講師に疑問点を尋ねておられました。
アンケートでは、多くの方に「非常に有意義・有意義」「良く分かった・分かった」とご回答いただきました。ありがとうございました。しかし、ご質問をお受けする時間や出土品を観察していただく時間を十分にお取りできませんでした。申し訳ございませんでした。