戦争体験者インタビュー
〇戦争体験談のインタビューを公開しています。
令和6年度撮影
住所 |
氏名 |
体験内容 |
インタビュー |
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桑名市 |
伊藤 弘子さん |
昭和20年7月に桑名空襲に遭う。 |
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四日市市 |
近藤 賢次さん |
昭和20年6月に四日市空襲に遭う。 |
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亀山市 |
石河 豊さん |
鈴鹿海軍工廠で兵器や弾薬等の軍需品を製造する等、軍関係の仕事に従事した。 |
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亀山市 |
肥田 岩男さん |
空襲等の直接的な被害は無かったが、生活圏内に海軍がおり魚雷の試運転をする等、戦争の中で生活を送った。 |
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津市 |
亀井 カノンさん |
昭和20年7月に津空襲に遭う。 |
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津市 |
北出 清子さん |
昭和20年3月に東京大空襲に遭い、同年7月に疎開先の津市で空襲に遭う。 |
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伊勢市 |
坂本 照子さん |
昭和20年7月伊勢市で空襲に遭う。 |
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伊勢市 |
横山 公子さん |
昭和20年7月伊勢市で空襲に遭う。 |
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鳥羽市 |
山口 詔利さん |
昭和20年8月長崎市で被爆。 |
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伊賀市 |
亀山 成彦さん |
空襲等の直接的な被害は無かったが、連日空襲警報が鳴り、家の付近に弾薬を保管する穴がある等、戦争の中で生活を送った。 |
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尾鷲市 |
小池 康堂さん |
大阪から尾鷲市へ疎開。尾鷲港が熊野灘海軍部隊の軍港となり、米英の爆撃を受ける。食糧難の当時を振り返り、少年時代を「戦争一色」と語る。 |
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紀北町 |
加藤 二三子さん |
空襲警報で雨の中を避難したことが原因で1歳の妹を亡くした。 |
平成27年度撮影
住所 |
氏名 |
体験内容 |
インタビュー |
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津市 | 上山 因夫さん | 昭和16年9月に海軍入隊 昭和19年9月12日 乗艦していた駆逐艦「敷波」が米潜水艦の魚雷攻撃を受け戦没 約12時間漂流した後、救助される |
(ロングバージョン) (ショートバージョン) |
桑名市 | 伊藤 弘子さん | 昭和20年7月17日未明 10歳の時、桑名市内で 焼夷弾大空襲(桑名空襲)に遭い、母の実家に疎開 |
(ロングバージョン) (ショートバージョン) |
桑名市 | 伊藤 晶さん | 昭和20年1月から陸軍通信部隊員として広島市に赴任 昭和20年8月6日 広島市内で原子爆弾にあう 昭和20年7月24日の桑名空襲で、3人の弟を亡くす |
(ロングバージョン) (ショートバージョン) |
松阪市 | 堀 壽々子さん | 昭和19年7月 高等女学校2年で学徒動員により 中島飛行機工場へ 昭和20年2月の松阪空襲により、工場が焼失 |
(ロングバージョン) (ショートバージョン) |
紀北町 | 長井 芳幸さん | 昭和20年7月 旧制尾鷲中から松阪の軍需工場へ 学徒動員され、その後、浜松航空隊に入隊 列車警乗などの任務に当たる |
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津市 | 牛場 久子さん | 昭和19年 小学4年の時 津市で空襲にあう 昭和19年 ジャカルタの軍事工場へ行く途中、 東シナ海で運搬船が沈没し、父を亡くす |
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志摩市 | 濱口 冨士さん | 昭和16年 滋賀県八日市市の航空隊に少年兵として入隊 昭和17年 中国東北部(旧満州)へ渡り、 飛行機整備などを行う |
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松阪市 | 大喜多 逸子さん | 昭和14年 家族5人で中国東北部(旧満州)へ渡る 戦況の悪化に伴い、満州で逃避行生活を送るが、 チチハルの収容所で母と弟2人を亡くす |
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津市 | 後藤 ちづさん | 昭和20年7月 桑名の軍需工場で学徒動員中に空襲にあう 昭和20年7月 津で2度の空襲にあい、 新潟県で疎開生活を送る |
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四日市市 | 九鬼 多賀子さん | 昭和20年6月18日未明、小学5年生の時、四日市空襲にあう 祖父宅で疎開生活を送る |
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亀山市 | 伊藤 三枝さん | 兄がレイテ島で戦死 津市の空襲により、艦載機に狙われたが危機一髪助かる |
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桑名市 | 平屋敷 恒子さん | 5歳の時、母・祖母と名古屋市から桑名市へ疎開 昭和20年、疎開先の桑名市で空襲にあう |
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いなべ市 | 伊藤 さち子さん | 昭和19年、名古屋市で空襲にあい、母らと共に鳥羽市へ疎開 鳥羽市の空襲で母を亡くす |
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津市 | 伊藤 利男さん | 昭和17年、津市立神戸小学校を卒業後、 東京陸軍航空学校に入学 昭和18年、熊谷陸軍飛行学校で操縦を学び、中国へ渡る |
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津市 | 山腰 由紀子さん | 昭和14年、台湾で生まれる 昭和20年、台湾の日本人小学校へ入学したが、 戦況が悪化し、松阪市飯高町に疎開
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鈴鹿市 | 仲道 隆さん | 昭和14年 三重師範学校に入学 学徒動員により、四日市市楠町の工場で対戦車砲を作る 昭和20年4月 名古屋守山部隊・迫撃砲隊に入隊 |
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津市 | 三浦 美弥子さん | 昭和20年7月 学徒動員前日に津市で空襲にあう 兄がビルマで戦死 |
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伊勢市 | 吉川 貞夫さん | 昭和20年6月 13歳の時、伊勢市で空襲にあい、父を亡くす 同年7月29日未明 伊勢市で2度目の空襲にあう |
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鳥羽市 | 小村 幸太郎さん | 昭和15年4月 臨時召集で陸軍久居通信隊に入隊 同年12月 2度目の召集で中国・広東省に渡る 昭和19年9月 第5航空情報連隊として任務にあたる |
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松阪市 | 三口 武男さん | 昭和16年 呉海軍に入隊 岩国海軍航空隊などを経て 航空機の整備兵として、インド・インドシナ・太平洋諸島を転戦 兄はパプアニューギニアの山岳地帯で戦病死 |
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四日市市 |
清水 有さん |
昭和20年7月 7歳の時に桑名空襲にあう 目の前の女性が焼夷弾の直撃を受け、即死するのを目の当たりにする |
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名張市 |
境 和江さん |
京都平安女学院3年生の時、学徒動員により日本レースで飛行服を作る 昭和16年 伯父が八日市陸軍航空隊に入隊 |
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鈴鹿市 |
田中 弘子さん |
女学校1年生の時、四日市空襲にあい右腕を負傷 |
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朝日町 |
矢野 怜子さん |
9歳の時、津空襲により家を失ったため、 |
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津市 |
谷口 美治さん |
昭和19年8月 宇都宮陸軍飛行学校前橋教育隊に入隊 |
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津市 |
山本 保さん |
昭和20年2月 海軍飛行予科練習生として、奈良海軍分遣隊に入隊 | |
菰野町 |
佐久間 三郎さん |
昭和17年6月 高知開拓団の一員として家族で満州に移住 -30℃近い厳冬のなか、栄養失調と寒さによる死者を板切に乗せて運ぶ |
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津市 |
松田 芙佐子さん |
昭和19年 女学校3年生の時、学徒動員により三菱重工で ゼロ戦の配線を行う 昭和20年1月 工場で南海地震にあう |
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桑名市 |
柳瀬 肇さん |
昭和20年4月 清水海軍航空隊に飛行予科練習生として入隊 |
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伊勢市 |
中山 長子さん |
昭和20年3月 大阪空襲で自宅を全焼する 郊外に移った家も6月の空襲で焼失したため、能勢の山奥に疎開 |
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鈴鹿市 |
大石 幸生さん |
津市立誠小学校のとき、津空襲を体験 |
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松阪市 |
拓植 たづるさん |
学徒動員により軍艦用機材のハンダ付け作業等を行う |
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松阪市 |
伊藤 きぬゑさん |
学徒動員により津市の東洋紡績工場で変圧器の組立を行う 2度の津空襲にあい、防空壕にいた7人の技術指導員全員が 亡くなるのを目の当たりにする |
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津市 |
中西 茂さん |
昭和20年3月 20歳の時、勤務先の大阪東郵便局で 空襲にあい、自宅が全焼する |
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津市 |
浅野 健一さん |
昭和17年 呉海軍設営隊に入隊 |
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鈴鹿市 |
鈴木 幸雄さん |
小学6年生の時、東京から長野市に疎開 |
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津市 |
筒井 忠勝さん |
父は中国北京で産婦人科開業 小学4年生頃、中国から名古屋市に転校 学徒動員により名古屋市の愛知時計工業で魚雷用旋盤、ボール盤を操作する |
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津市 |
横山 暢夫さん |
昭和16年 父が戦死 |
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津市 |
中野 ゆくさん |
昭和20年8月 宇治山田電信電話公社での夜勤中に 空襲にあい、自宅が焼失する |
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津市 |
小原 かをりさん |
長野高女2年生の時、日本無線長野工場に学徒動員 |
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鈴鹿市 |
藤田 豊治さん |
昭和19年 香良洲町の三重海軍航空隊で 搭乗員教育を受ける |