記事作成:三重大学 水口・渡辺
今回は、志摩市に本社を構える株式会社田辺真珠養殖場にお勤めの田辺さんにお話を伺いました。田辺さんは、真珠の発祥の地である志摩で生まれ育ち、大学進学を機に名古屋へ。経営学を学んだ後、「東京や名古屋にはやりたい仕事がない」と感じ、慣れ親しんだ家業をやろうと決意し、地元志摩へ。現在は、家業である真珠の養殖業に入り、養殖から加工・販売までを手がける6次化に向けて取組んでいらっしゃいます。
明確な目標がなければ東京に行っても成功できないと思った。地元に戻り、真珠養殖の道へ
普段のお仕事について教えてください
4月から7月の天皇祭までは、貝の中に核となる玉を入れる「玉入れ」という作業をしています。これが、真珠養殖のメインです。夏は、夏に玉を入れる夏入れを行います。9月以降は、玉入れをした貝の手入れをします。貝の汚れを取ることで、外からきちんと養分を取り込めるようにするのです。寒くなってきたら、海水温に合わせて養殖場の場所を丸ごと移動させる事もします。最近だと養殖以外にも、真珠を加工する作業や養殖網の手入れなどもやっています。一年中忙しいですよ。
志摩の真珠に対する思いやお仕事でのやりがいについて教えてください
やはり、綺麗な照りの良い真珠が出来たときが嬉しいですね。どうしたら魅力的な真珠が出来るのかを試行錯誤して作っています。自分が作った真珠を使ったアクセサリーがディスプレイに今よりもたくさん飾られるといいなあ、と思って作っています。
また品評会で、愛媛県などの他県の真珠の出来を見て、志摩の真珠も負けられないな!と思います。地区ごとに潮の流れなどが違うので、照りや巻き方に違いが出るのですが、志摩は真珠養殖にとって良い環境に恵まれていますから、美しい真珠を作れるように頑張っています。
たとえ文化が終わるとしても見届けたい−地域の抱える課題−
養殖業者さんの中で、若手がいなくなっている理由はなぜですか?
仕事が大変なことと、都市に出て行って帰ってこないという2つが主な理由ですね。あと、3K(くさい、きたない、きつい)と言われる仕事だからか、新たに挑戦したいという若い人がなかなか来ないですね。また、どれだけ良い真珠を作っても売値が安いことがあるので、子どもに苦労をさせたくないから「継がせたくない」と思う方もいます。また、実家が養殖家の場合も、厳しく育てられ過ぎて「継ぎたくない」と思う方もいますね。
若い方にもっと真珠業界に入ってきて欲しいと思われますか?
そうですね、若い人には入ってきて欲しいのですけど、なかなか難しいですね。
共同体で養殖技術を教えようというのではなく、個人個人の家に親方がいて、その親方について学ぶという感じなので、指導方法が確立されているわけではないのです。以前、若い方が養殖を学びに来られたのですが、諦めて帰って行かれたこともありました。その方は「教本が欲しい」とおっしゃっていましたが、漁師の仕事の教本がないように、養殖業にも教本はないのですよ。今まで後身教育をするための努力が足りなかったのだと思いますね。でも、最近では漁師塾というのがあって教えてくれるようです。
どうしたら、養殖業が後世までつづいていくのでしょうか?
何をしたら若い人が入ってきてくれるのかはわからないのですが、真珠養殖の文化が終わるのだったら、その文化が最後で良いと思います。伊勢志摩の養殖業者で20代は僕だけなのですよ。でも、僕はその文化が終わるとしても、最後だけは見届けたいと思います。ただ、大規模な会社もあるので、そうそう終わることはないと思いますけどね。
養殖から加工・販売まで全て自分たちでやる!−6次産業化を目指すということ
田辺真珠さんが売りにしている「養殖から加工・販売まで全て自分たちでやる」ということに対してどんな思いがありますか?
もともと父が「養殖する人間が、商品を作って売るのが面白いのではないか」と思って、販売まで手掛けるようになったのですが、自分たちで作った物を売るのは簡単なことではなかったですね。しかし、思いの外お客さんが興味をもってくださったり、喜んでくださったりしたので、続けてくることができました。販売する時に、お客様の喜ぶ姿を見るのはやはり嬉しいですね。養殖から携わっているので、小売店の販売員さんではわからないような、真珠の成り立ち・養殖の大変さ・値段の理由まで全てお伝えできるので、お客さんも、納得して購入されています。誰が加工したかわかる物の方が安心して購入していただけるようです。
六次産業化の成功の秘訣は何だと思われますか?
もともと、養殖した真珠を仲介業者に買われていくだけだったので、その向こう側である加工や販売なんて全く知らなかったのです。「それでも、そこに飛び込んでやってみたい」という父の熱意・やる気が、成功の秘訣だと思います。
今後やっていきたいことなどはありますか?
現状維持に少し手を加えて変えていきたいと思っています。業界の人口は減少しているので、僕一人だけでは業界を盛り上げるのは難しいと思いますけど、志摩の真珠の認知度を伸ばしたいという思いもあるので、情報発信ももっとしていきたいですね。
取材を終えて
今回の取材で印象に残ったことは、「真珠の秘める可能性」と「価値ある産業を守るためのサポート体制の不十分さ」です。まず、「真珠の秘める可能性」については、若者にとって少しハードルの高い印象を受ける真珠が、どれだけ世代・性別を問わず身に着けられるアイテムかを知りました。日本人らしい奥ゆかしい透明感のある真珠の照りは、そのアレンジの方法により若い世代からお年寄りまで、性別問わず魅力を引き出してくれます。これは、実際に真珠を養殖して加工している田辺さんから教えていただいたことで知ったことでした。そして、「価値ある産業を守るサポート体制の不十分さ」は、せっかく観光地で伊勢志摩の真珠を販売している店はあるのに、その魅力をお客様に伝えることができる販売員が少ないということです。田辺さんは、養殖から加工、販売までを一貫して行っているため、お客様に対して直接詳細に真珠の説明を行っており、多くの真珠ファンをつくってきました。今回私もその一人となります。こうした取り組みが広がることが、真珠産業の衰退を防ぐ大きな一歩だと感じました。(水口)
田辺さんに取材をさせていただいて、真珠業界は厳しい現実に直面しているけれど、それと同時に希望もあるのだ、という事を痛感しました。どこの業界でも、時代に合わせて変化しなければ生き残れないし、人口が減っていく中で今まで以上のことをやるという事は、とてつもなく大変だと思いますが、そんな中で真珠業界の未来を切り開いている田辺真珠さんは、とても素晴らしいと思います。取材前私の抱いていた真珠のイメージは、「母が結婚式などの大切な場面で身につける高価なもの」でした。しかし、田辺真珠さんの作られた素敵なアクセサリーを見させていただき、真珠はどの年代でも身につけられるものであると知りました。また、田辺さんが向上心をもち真珠養殖と向き合われている姿を見て、第一次産業も若い方が新しい世界に挑戦できる産業なのだと気付きました。真珠、第一次産業についてイメージが大きく変わった1日になりました。これから、志摩の真珠の素晴らしさを私も発信していきたいと思います!(渡辺)