インドネシアにおいて環境教育活動に取り組んでいる小林裕司です。前回に引き続き、インドネシアの様子や活動内容について報告します。
インドネシアの紹介(新たな赴任先であるバンドン市)
10月から配属先が変わり、西ジャワ州にある「バンドン市環境局」に配属となりました。バンドン市は西ジャワ州(ジャワ島西部)の州都であり、首都ジャカルタの南東方向(ジャカルタから高速鉄道等で約2時間)にあります。人口 | 約250万人(名古屋市よりも多い住民が名古屋市の半分ほどの面積に生活しており、交通渋滞が慢性化) |
地形 | 周囲を山に囲まれた盆地で標高700m(三重県内で比較すると丸山千枚田とほぼ同じ高さ)に位置しています。2023年の平均気温は 24.25℃(最高気温は 36℃で最低気温は 15.4℃)で、赤道が通る国でありながら涼しい気候です(エアコン要らず)。 |
街並み | オランダ領時代から開発が進み、歴史的な建造物がいくつも現役で使用されています。開発の歴史も古く、例えば鉄道の開業は三重県よりも早いなどの特徴があります。 |
→1800年代から1900年代前半にかけての建造物が残る街並み(この通りは、バンドン発展のきっかけとなったジャワ島を東西につなぐ輸送道路の名残です)
←Gedung Sate
1920年にオランダ領東インドの首都をバタヴィア(現在のジャカルタ)からバンドンに移転する準備が進められましたが、1930年代の世界恐慌の影響で中止となりました。既に完成していたこの建物は、現在は西ジャワ州知事の事務所(※)として使用されています。ちなみに、現在インドネシアでは首都移転の計画があり、ジャカルタのあるジャワ島からカリマンタン島へ段階的に移転予定です。
※インドネシアにおいては、一般的に州政府や市役所の各部署は1か所に集積せず、「環境局」などの部署ごとに事務所が別々に設置されています。
※インドネシアにおいては、一般的に州政府や市役所の各部署は1か所に集積せず、「環境局」などの部署ごとに事務所が別々に設置されています。
JICA 海外協力隊(環境教育)としての活動
配属先の変更に伴い、北スマトラ州環境・林業局において取り組み始めていた活動が中止になりました。新たな配属先(バンドン市環境局)から活動内容や抱える課題を教えてもらう予定なのですが、例のごとくインドネシア時間が流れ、待っている状況です(活動内容の提案を少しずつ行っている状況ですが、リアクションがない…)。ちなみに、インドネシアではこの時間のことを「ゴム時間」と表現します(インドネシア産出品の一つであるゴムのように、時間が伸びたり縮んだりして守られないことから名付けられたとのこと)。このため、今回は前配属先(北スマトラ州環境・林業局)地域における、配属先以外の活動について紹介します。
メダン在住時、地域におけるごみ拾いボランティア団体の活動に参加するなど、配属先以外の活動にも取り組みました。ごみに対する関心の低いインドネシア人の中にも問題意識を持っている人々がいて、彼らの活動は SNSでPRしながら定期的に実施されています(活動主体は、大学生などの若い人々)。
彼らに対しては、ごみ拾い活動に参加するだけでなく、日本のごみ処理制度の概要についてプレゼンしたりコンポスト作成を実演するなど新たな知見を伝えたほか、ごみ拾い以外の新たな活動として「集客イベントにおける住民向けごみ分別体験ブースの設置」を提案しましたが、配属地域の変更に伴い実現には至りませんでした。
←王宮にお けるごみ拾い活動の様子
メダン地域では、活動した公園等の全てにおいて、ごみ袋が満杯になるほどごみが落ちていました。
インドネシアの歴史における日本との関わり
上記の事情により三重県を紹介・PR する機会がなかったため、今回はテーマを変え、インドネシアの歴史における日本との関わりについて少しだけご紹介します。 メダン在住時、日本人墓地と軍隊英雄墓地(英雄墓地にはインドネシア軍人のほか、インドネシア独立戦争をインドネシア人と一緒に戦った日本軍人も埋葬されています)をお参りする機会がありました。日系二世の方を中心として大切に続けられているものです。彼らはインドネシアと日本の両国を大切にする気持ちを強く持っておられます。父親が日本軍人である日系二世の方(メダン軍隊英雄墓地にて)
一方で、日本軍による占領期には多くのインドネシア人が戦争の影響で亡くなり、「Romusya(日本軍による強制労働を意味するインドネシア語)」などの歴史もあります。こうした歴史を抱えつつも、総じてインドネシア人は親日の人が多い印象です。
インドネシアでは、イベントの開会に際して国歌である「Indonesia Raya」を歌うのですが、歌詞の中に「Merdeka(インドネシア語で「独立した」という意味)」という言葉が繰り返し登場し、インドネシアにおいて国の独立が大きな意味を持っていることが窺えます。