みえ国際協力大使 小熊 裕子さんからの活動報告
赴任国:バヌアツ共和国 職種:小学校教諭 2007年9月派遣
1.バヌアツ共和国について
バヌアツ共和国はオーストラリアの東側の大洋州に位置し、南太平洋に浮かぶ83の島から成る島国です。日本人にとってはあまり馴染みのない国かもしれませんが、2006年、「地球上で最も幸せな国」と称され、近年メディアなどで取り上げられています。日本からバヌアツへ飛行機で行く場合、直行便はなく、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、ニューカレドニアから乗り継ぎをしなければいけません。
また、バヌアツは「バンジージャンプ発祥の地」です。現地ではランドダイビングと呼ばれており、この儀式が行われてるのは、ペンテコスト島だけで、しかもある一定の期間しかおこなわれていません。
バヌアツの魅力のひとつはなんと言っても海!町から一歩外に出るととてもきれいな海があります。また、エスプリッツ・サント島には淡水でできた湖、ブルーホールと言われているところがあり、そこはとても静かで神秘的な世界であり、旅行者に人気のスポットです。
2.サラカタ小学校について
私の活動場所であるサラカタ小学校は、エスプリッツ・サント島のルーガンビル市内に位置します。学年は1年生から8年生まで,各学年1クラスずつあり,計8クラスです。生徒数は282名、教員・スタッフは13名という市内でも大規模の学校です。
バヌアツの教育カリキュラムの中では現在、音楽科は独立された科目ではありません。Art(芸術)という科目の中に組み込まれているのです。しかし実際、学校では図工の授業がメインでおこなわれていたようで、私が赴任する前、音楽科の授業はほとんどされていませんでした。サラカタ小学校から音楽の授業をより普及、定着させたいという要請があり、私が音楽科教諭として派遣されました。
バヌアツ政府は2006年、初等教育を6年から8年へとする基礎教育の拡充が、比較的規模の大きな小学校を対象に開始されました。サラカタ小学校もその対象校でしたが、新たに必要となった7・8年生が使う校舎を増設するための予算が無いため、日本政府からの援助により校舎が建設されました。写真の後ろに見えるのがその新校舎で、この写真は体育の授業風景です。
3.活動内容
●音楽科の授業
普段の授業では、青年海外協力隊の先輩隊員が作成した音楽科教科書を教材として授業をしました。楽曲は日本語の曲や英語の曲、日本語の曲を現地語訳した曲、リコーダーや鍵盤ハーモニカで演奏する合奏曲などがあります。校内に音楽室は無く、体育館の一角を使って授業をしました。
授業の開始は、挨拶の歌「Hello」から始まります。その後、子どもたちに「次、何を歌いたい?」と聞くと、みんな歌いたい曲を次々に言ってくれ、それらの曲を一緒に歌います。「楽器を練習するよ!」と言えば、みんな飛び跳ねて喜びます。特に高学年は難しい楽曲にも挑戦できたので、楽器演奏は大人気でした。一方、低学年では、歌を歌いながら振り付けをするという、身体表現を使った授業が人気でした。
※楽器について
●リコーダーは、三重県、伊勢市の皆様より寄贈していただきました。
●鍵盤ハーモニカは、私の恩師である田島一成氏や知人等に楽器の収集を依頼、その後JICAの「世界の笑顔のために」というプログラムを通じてサラカタ小学校まで届けられました。
楽器の支援について、ご協力いただいた全ての皆様に、この場をお借りし御礼申し上げます。
●算数科の授業
現地の先生は、バヌアツ政府指定の教科書を使って算数科の授業をされていましたが、それとは別枠で私がメインで授業をする時間をつくってもらい、算数科の授業をしました。そのときの教材は、算数科教諭として活動している協力隊が作成した計算ドリルを使い、内容は主に四則計算の復習、強化をしました。
現地の先生は足し算、引き算の問題を扱うとき、子どもに指を折って計算するように指導します。確かに1+3や9-4などの計算はその方法で解けます。しかし、8+7や12-6など、繰り上がりや繰り下がりがある計算は両手10本の指では足りないため、手を使うだけでは計算できません。そんなとき子どもたちは、なんと足を使います!!
バヌアツの子どもたちは、皆ビーチサンダルを履いて登校し、靴下は履いていません。彼らは問題を見て10本の指では計算できないことがわかると、ゴソゴソとサンダルを脱ぎ、椅子の上に足を乗せ、手足20本を使って一生懸命に数えます。
「..15,16,17…あーわかんなくなっちゃった。もう一度はじめから!1,2,3…」と何度も何度も手足の指を数えなおす子どもの様子が印象的でした。
●校内音楽会の開催
年に一度、校内音楽祭を開催しました。この音楽祭は、学校の運営資金集めをかねており、主に入場料、音楽祭で販売する食べ物から収入を得ます。
2009年の音楽祭のテーマを「音楽を通じて何か伝えよう!」という意味を込め、「Unity In Music」としました。そして、学年毎にそれぞれに自分たちが音楽で表現したいテーマを決め、歌、劇、詩の朗読などプログラムを考え披露しました。また、3-6年生はリコーダーや鍵盤ハーモニカの楽器を演奏しました。
●近隣の幼稚園での活動
近隣にあるサント幼稚園から要請があり、週に一度幼稚園で音楽科の授業をしました。
私が幼稚園に到着すると、私の姿を一番はじめに見つけた子どもが「裕子先生が来た!」と叫びます。それを聞いた子どもたちは、我先にと、一斉に玄関まで走り私を迎えにきてくれます。そして、私の腕や足をつかみながら、とびきりの笑顔を私にくれます。私はそんな元気な子どもたちと一緒に音楽を楽しむのがいつも楽しみでした。
授業後は、楽譜が読めない現地の先生のために、私が実際に歌を歌って曲を教えたり、キーボードの伴奏法、コード進行などを指導しました。
4.二年間を振り返って
帰国後、知人から「二年間、どうだった?」とよく聞かれるのですが、この質問の返答にはいつも四苦八苦します。というのも、この二年間をどのような言葉で表現すれば良いのかとても難しいからです。楽しい、大変、充実、どの単語も間違いではないのですが、これらの単語は二年間の一部でしかなく、何かもの足りなさを感じます。「言葉では表せない」これが一番合っているかもしれません。それほどまでにたくさん泣き、たくさん笑った二年間。本気で怒ったことあったけれど、心から感動したこともたくさんあった二年間でした。
さて、話は変わりますが「本当の幸せ」とはどういうことを意味するのでしょう。日本では最近、学歴が高い人、いい会社に入り、お金や地位がある人のことを「勝ち組」と言うそうですが、勝ち組という言葉の響きが、私には「勝つことで幸せを得る」という風な意味にも聞こえます。そして世間でもお金がたくさんあること、贅沢な暮らしができること=幸せと考えられがちです。とすると、たくさんのバヌアツの人は幸せではない、ということになりますが、果たしてそうでしょうか。確かに彼らの生活は日本に比べ物質的に豊かではなく、贅沢はできません。しかし、彼らは自分の生活を寂しいと思うどころか、むしろ誇りにさえ思っているのです。例えば、生活上で何か必要なものが出てきても、経済的な理由や、店で売られていないという理由で、それが手に入らない事がたくさんあります。そんな時、彼らは違うもので代用したり手作りで作ったりします。そして、それを「ブラックマン・スタイル」と呼び、そんな生活を楽しんでいます。
また彼らは物が無いため、いろいろなものを共有し合います。お皿、カメラと言った日用品やココナッツ、バナナなどの食料品はもちろん、喜びや悲しみと言った心の感情まで皆で共有し合います。特に、彼らは楽しいことが大好きで、面白いことがあるとすぐに集まってきて、老若男女に関わらず、皆、大声を出して笑います。
このように彼らの暮らしは便利・贅沢とはほど遠いものです。しかしそんな暮らしだからこそ、人々はいつでもお互い助け合うという絆で結ばれていて、皆で協力して生きることが普通と考えながら生活しているのではないでしょうか。私は二年間、彼らと共に暮らす中で、彼らこそ本当の幸せを知っているのではないかとさえ思うこともありました。
活動中、大変なことは幾度なくありました。しかしそれ以上に、ここでしか学べない、大切な事をたくさん学びました。何より、こんなにもすてきな笑顔をもつ子どもたちと一緒に過ごすことができて、私はとても幸せです。今後、バヌアツがより幸せな国となることを願ってやみません。