2012(平成24)年度人権学習教材「わたし かがやく」活用のための連続講座報告~障がい者の人権についての学習展開を考える~
三重県教育委員会事務局 人権教育課 調査研修グループ
1 はじめに
「わたし かがやく」には、障がいのある人にとっての自立生活や共生社会のあり方について考える教材「ここであたりまえに暮らしたい」があります。この教材では、自分の住み慣れた町や自宅で「あたりまえに暮らす」ことを望む松田愼二さん(脳性マヒによる重度障がいがあり、日常生活の様々な面での介助を得ながら自立生活を実現されています。松田さんのプロフィールや生活の様子については「わたし かがやく 教職員用活用資料集」及び当ホームページ「みえ人権教育News」参照)の生き方を取材しています。その生活や思いについて知ることを通し、障がいのある人とない人とが不合理に分けられることのない社会をつくるために、一人ひとりに何ができるかを問いかける内容です。
三重県教育委員会がこの教材を作成した2006(平成18)年、国連総会で「障害者の権利に関する条約」(以下「権利条約」)が採択されました。日本でもこの条約の批准に向けた法律や制度の見直しが進められてきており、そこには「権利条約」で示された様々な観点が活かされています。その一つとして、「障がい」のとらえ方が「個人モデル」から「社会モデル」へと転換していることがあります。二つのモデルについては、2011(平成23)年に、三重県人権センターが発行したパンフレット「ありのまま、ここで生きる」に次のような説明があります。
それに対して、「社会こそが『障害(障壁)』をつくっていて、それを取り除くのは社会の責務だ」とする考え方を「社会モデル」といいます。「人間社会には多様な人がいるにもかかわらず、社会は少数者の存在やニーズを無視して成立している。学校や職場、まちのつくり、慣習や制度、文化、情報など、どれをとっても『健常者』を基準にしたものであり、そうした社会のあり方こそが障がい者に不利を強いている」ということです。
「社会モデル」の考え方に基づいてこれまでの社会環境を見直すとき、同じく「権利条約」に掲げられた「合理的配慮」をどのように実行していくべきかは、私たち一人ひとりにとって、身近な場面で考える必要のある課題です。条約では「合理的配慮」について「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整」であると定義し、それを行わないことは差別に含まれるとしています。これまでの社会環境において障がいのある人たちに強いられがちだった不平等や不利益を、社会の側が変化することによって、解消していくことが求められているのです。
このように、社会のあり方との関係において「障がい」をとらえるという新たな視点を加えながら、あらためて教材を読み深め、授業での活かし方を考え合うことをめざして、人権学習教材「わたし かがやく」活用のための連続講座を開催しました。
2 連続講座 第1回(8月8日午前) ~教材の理解を深める活動~
はじめに事務局からの全体説明として、「人権教育ガイドライン」(三重県教育委員会)に基づきながら、障がい者の人権に係わる教育の方向性を確認するとともに、障がい者の人権をめぐる近年の動向として、「権利条約」の概要や2011(平成23)年に改正された「障害者基本法」の特徴について解説を行いました。その後、小グループ(4~5人)に分かれて、教材「ここであたりまえに暮らしたい」を輪読などの形で読み直し、話し合いを行いました。「教材を読んで心に残ったところは?」という、進行役からの質問をきっかけに、感想を出し合いました。それらをもとに、「この教材を通して、子どもたちと一緒に考えたいところはどこか」「子どもに気づかせたいことは何か」「子どもの実践行動につなげるにはどんな工夫やアイデアがあるか」について話し合いを進めました。進行役は出てきた意見をホワイトボードに書きとめ、視覚的に共有できるようにしました。「あたりまえに暮らすとはどういうことかを、あらためて考える必要がある」「心のバリアに気づかせたい」といった意見や、学習を進めるうえで「地域の人との出会い」や「障がいのある子どもや保護者の思いや考えを知ること」の大切さなどが話題となりました。参加者間で声に出して読み合わせをしたり、質問したりされたりすることを通して、互いに学び合う形の研修をつくっていきました。
3 連続講座 第2回(8月8日午後) ~松田愼二さんとの出会い~
午後は、教材に登場する松田愼二さんを講師に招き、「『障害者問題』と自立生活について~私の自立生活を通して~」と題して講演会を持ちました。松田さんが日々の生活の中で感じていることや、「障害者問題」について考えていることを中心にお話しいただき、障がい者の人権をめぐる社会の現状と今後の展望について理解を深めました。
講演会の内容から
「障害者問題」の「問題」って?
「障害者問題」というとき、「問題」という言葉はどこに視点を当てたものなのでしょうか。それによって意味合いは180度変わってきます。例えば「手や足の動作に不自由のある人が地域で生活しづらいのは、本人に障害という『問題』があるから」ととらえるのが従来の「個人(医療)モデル」による障害者観であり、日本社会では、まだまだこのとらえ方が多く残っていると思います。もう一方に「障害者が地域で生活していくうえで様々な問題が出てくるのは、障害者を受け入れない社会自体に『問題』がある」とする「社会モデル」の考え方があります。世界の潮流としてはこの「社会モデル」による障害者観が一般的になりつつあります。
自分の体験から
私が「障害者問題」と出会ったのは母親のお腹の中から生まれてきた時でした。「(生まれた当初)あなたは3日の命だと医者から言われて、最初は私も会わせてもらえなかった」という話を、のちに母はよく語ってくれました。身体機能に様々な悪条件をもって生まれてきた私は、「仮に育ったとしても重度の障害が残り、本人も親も苦労するだろう」と医者から判断され、ミルクも与えてもらえなかったということでした。
また、自分の幼年期(50年程前)には、障害のある子どもは義務教育もなかなか受けられない時代がありました。両親は「なんとか教育を受けさせたい」という願いを強く持っていました。その願いがかない、小学1年生の春、当時の養護学校に入学しました。しかし、正式な入学ではなく、テストケースとしての入学許可でした。その頃の私は歩くことはできましたが、手は全く使えず、食事やトイレの際には介助が必要だったためです。養護学校ですら、障害の重さによっては正式な入学が困難な時代でした。
新しい自立観
「自立」を「身の回りのことが自分でできること」「職に就くこと」「自分でお金を稼げるようになること」ととらえれば、私のように手足が自由に動かない者にとって、自立することはいつまでたっても難しいままになってしまいます。そこで、障害者の自立生活の実践から、新しい自立観が生まれてきました。自分のやりたいことは自分で選び、決定する。そのうえでもし失敗したとしても、責任は自分がとる。自己選択・自己決定・自己責任の自立観です。
これまで、専門家や親によって保護される立場におかれ、自分の生き方まで決められてしまいがちだった私たち重度の障害者にとって、新しい自立観は、自分自身を信頼し自己実現していくために必要な考え方です。例えば、朝食に味噌汁を作る時、具の大きさ、味噌の濃さ、煮立て具合について、ヘルパーに指示を出して作ります。もし味噌の量が多すぎて辛くて食べられなかったとしても、その責任は作ったヘルパーではなく、指示を出した自分にある……そういう生き方をしたいと思います。
失敗や間違いの積み重ねを通して、生活力や自立する力は自然に身につけていくものです。失敗したり間違えたりすることも権利なのです。
孤立でない自立を
ただ、この新しい自立観をすべての障害者に当てはめるのは難しいかもしれません。そこで私は「孤立でない自立」という考え方も必要ではないかと考えています。例えば、私が地域で暮らすためには、ボランティアの人、友だち、ヘルパー、家族兄弟……そういった人たちとのつながり、周囲のサポートが欠かせません。サッカーで例えるなら「サポーター」を自分の周りに集めることが自立だと思います。そして、このような考え方は障害のある人だけでなく、障害のない「健常者」にも当てはまるのではないのかな、と講演先で出会う子どもたちには問いかけています。障害の有無に関わらず、一人で生きていける人は誰もおらず、人とのつながりや関わりの中で孤立しないで生きる、そういった考え方で自立をとらえることが大事だと思います。
障害のある人が“社会資源”に
障害のある人は社会資源(ホームヘルパーやショートステイ、デイサービスなど)を使って生活すればよいと言われることがあります。しかし、そういった社会資源を「使う」だけではなく、「重度の障害のある私たち自身が、地域に暮らすことによって、社会を変える、社会を変革していく“社会資源”になる」という視点が必要ではないか、と考えています。そして、こういった視点で教育が行われ、共生共学が進んでいくことを望んでいます。
全体交流会の様子
再度小グループに分かれ、講演後の感想交流をしながら、午前中の協議を発展させていきました。松田さんから提示された「『障害者問題』の『問題』って?」という問いかけは、教材観をさらに深めていくきっかけになりました。また、松田さんに直接お会いして話を聞くことで、「あたりまえに暮らす」ために解決すべき課題が、より身近な自分たちの問題として浮かび上がってきました。最後に、各グループが協議内容について発表し、それぞれの内容を共有しました。
グループの協議内容から(一部紹介)
今回の教材に関して
- 「あたりまえに暮らす」ことをできなくさせているものは何なのか、というところにしっかりと問題意識を向け、「あたりまえの暮らし」ができる社会の実現について考える取組にしたい。
- 出会い学習の効果や意義について話し合った。教材と、松田さんのお話との効果的な組み合わせ方や、「出会い」後の学習の組み立て方について十分検討する必要があると気づいた。
障がい者の人権に係わる学習全般に関して
- 「自立と孤立の違い」「合理的配慮のあり方」など、障がい者を取り巻く今日的な課題も取り入れられるとよい。
- 車いすなどの体験学習とともに、障がい者の人権に関する知識面の学習もしっかりと行っていく必要がある。
- 障がい者の人権に係わる学習を通して、クラスの仲間について考える取組をつくりたい。
- 障がいのある子どもの進路について、進学そして就労まで見通した関わり方が求められている。
- 障がいの有無に関わらず、子どもたちが地域でともに育っていくために、小中学校の連携のあり方を考えていきたい。
- 一人ひとりの子どもの背景をつかむことが大切だとあらためて感じた。
4 連続講座 第3回(12月25日午後) ~各自の実践の交流~
第1・2回講座の後、参加者はそれぞれの学校の授業や教職員研修等において、障がい者の人権について学ぶための様々な実践を行いました。第3回講座では、それらの取組内容を持ち寄り、小グループでの交流を行いました。その中からいくつかを紹介します。
各校での取組
「ここであたりまえに暮らしたい」を用いて、共に生きる社会について考える実践
〔学習の流れ〕
①教材の写真を見ながら、松田さんの一日の暮らしを知る。
②「もっとあたりまえに暮らしたい」という言葉の意味を、自分たち自身の思いと重ねながら考える。
③ヘルパーの仕事や介助ボランティアを行ったことのある人の経験談(始めたきっかけや活動を通して感じたことなど)を紹介し、共に生きる生活の具体的な様子について知る。
④松田さんの講演を聞いて授業者が感じたことを子どもたちに伝え、誰もが暮らしやすい社会の実現に向けて、自分たちに何ができるかを考える。
松田さんの講演を踏まえて、授業者から子どもたちに伝えたかったこと
- 「自分のやりたいことは自分で選び、決定する。そのうえで、もし失敗したとしても、責任は自分がとる」という松田さんの自立観。
- 「失敗や間違いの積み重ねを通して、生活力や自立する力が身につく。失敗したり間違えたりすることも権利である」という視点。
- 「障がいの有無に係わらず、一人で生きていける人は誰もいない。人とのつながりの中で孤立しないで生きることが大切」という人間観。
子どもたちが考えた「自分たちにできること」
- 人権を守り、差別をなくすために、これまでどんな取組があったのかを学ぶ。
- 障がいの有無を含めた様々な違いに対する偏見をなくすために学習をする。
- 食事や遊びの時間を共に過ごすことで、互いを知り合い、心のバリアをなくす。
- 学んだり、気づいたりしたことについて、自分たちから周囲の人に発信する。
- 障がいのある人が支援を必要とする時に、進んで行動する。
地域に暮らす障がいのある人との出会いを通して、その人の生き方や考え方に学ぶ実践
校区在住のアンプティサッカー(※)日本代表選手との出会い学習をした。「障がい者に対して周囲はどのような意識を持っているか」「ケガで左足を失ってから、自分自身の『障がい』に対する考え方はどう変化したか」「アンプティサッカーにかける思いとは」等について話していただいた。また、一緒にアンプティサッカーを行った。学習を終えた子どもたちの中からは「自分は無理だと思ったことをあきらめることが多かった。でも、誇りを持って、大好きなサッカーを続けている選手に出会い、『絶対にあきらめない』という言葉を聞いて、『自分も変わろう』『あきらめない気持ちを持ちたい』と思った」といった感想が出された。〔小学校〕
※アンプティサッカー:主として、上肢・下肢に切断による障がいのある選手がプレーするサッカー。専用の器具を必要とせず、日常の生活やリハビリ・医療目的で使用しているクラッチ(補助杖)で競技を行えるため、足に障がいのある人々にとって、気楽に楽しめるスポーツの一つ。
「個人モデル」から「社会モデル」へと変わりつつある、「障がい」のとらえ方について、理解を深める実践
「障害者の権利に関する条約」の条文を教材にして、「社会モデル」による「障がい」のとらえ方を学んだ。条約や法令に関する知識面の学習を充実させたいと考えた。〔中学校〕
「障害者の権利に関する条約」を子ども向けに解説した冊子「It’s about ability」(2008年、ユニセフ発行)は、(財)日本障害者リハビリテーション協会情報センターの協力により、その日本語版が制作・公開されています。
日本語版「わたしたちのできること―It's about ability」
この冊子の解説を参考に、条文を子どもたち自身にとって理解しやすい言葉に書き直す活動を通して、条約の基本的な考え方について学ぶこともできます。
学校行事の機会に、障がい者の人権について考える実践
- 1学期に、特別支援学校との交流や車いす体験、ブラインドウォークの体験を通じた学習を行った。その時に生徒たちが学んだことや考えたことをもとに、文化祭でクイズ形式の舞台発表や壁新聞の掲示を行った。また、生徒会によるプレゼンテーションでは、交流時の写真を映し出し、生徒たちの活動の様子を、来場した小学生や保護者、地域の人々にも知ってもらった。 〔中学校〕
- 松田愼二さんに学校に来ていただき、話を聞かせてもらって、その内容をもとに人権劇を創作し、文化祭で発表した。シナリオの中にどのようなセリフを入れるかについては、生徒実行委員会で検討を重ねた。シナリオ制作をする過程で、自分の考えや思いを振り返ることができた。また、キャストとしてセリフを覚えることは、自分とは異なる考え方に触れ、仲間について深く考える機会になった。〔中学校〕
障がい者の人権をテーマにした教職員研修
夏季休業中の教職員研修で、連続講座で学んだことや、松田さんの講演内容について還流報告を行った。意見交換の中では、学級の取組に関する悩みや、自分の家族に関することなども話し合うことができた。また、介助ボランティア経験者の話を紹介してくれる職員がおり、支援する側からの視点も交えながら考えることができた。
5 おわりに ~連続講座を振り返って~
講座全体を振り返って、感想や学んだことについてグループで交流しました。
参加者アンケートより(感想・意見)
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夏の講座(第2回)でお話をうかがった松田さんと子どもたちとを出会わせたいと考え、学校に招いた。子どもたちだけでなく教職員にとっても、よい出会いになった。
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小、中、高と各校種からの参加者がいたため、いろいろな角度からの実践を聞かせていただき、大変勉強になった。特別支援学級の担任として、もっとすべきことがあると感じながら過ごしている毎日だったので、今後の参考にしたいと感じた。松田さんと出会えたことが自分にとって一番価値があった。
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今までとは違った視点での学びがあり、新たに気づいたことが多い研修だった。行事や教科指導に追われる毎日だが、しっかりと目の前の子どもたちを見つめて教材研究・実践を行っていかなければ、とあらためて思った。私自身、松田さんについて初めて知ったことも多かった。確かな知識や技能が身に付くようにじっくり考えて取り組んでいきたい。
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毎回グループ活動があったが、そのグループが3回とも同じメンバーで構成されていたので、効果的に研修を深めることができた。また、「講義・講演→実践→実践報告」という流れがあったので、講座で考え学んだことを実践に活かすタイミングがつかみやすかった。
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教職員研修に活用した。子どもたちの現状や学習課題をどのようにとらえるのか、そのうえで、どのようなタイミングで教材や人との出会いを設定すると効果的なのか等について話し合った。
※「障がい」「障害」の表記について:三重県では、原則として「障がい」とひらがなで表記していますが、本文中の条約や法令の名称については、現在、国の使用している表記に準じています。また講演に係わる部分については講師の意向により、「障害」と表記しています。