あたりまえに生きる~松田愼二さんの思い~
現在,障害者との共生社会の実現に向けて様々な施策が進められています。また,ノーマライゼーションという言葉も,一般的になってきました。しかし,まだまだ,いわゆる健常者の論理や環境が優先されることが多いのも現状ではないでしょうか。そこに,差別的な障害者観が見え隠れします。 障害者の思いや願いの中にこそ,共生社会の実現の鍵があると考えられます。
今回のニュースでは,「あたりまえに生きる」ことを願って日々生活している松田愼二さんを紹介します。松田さんの思いやボランティアの人の言葉から,障害者差別をなくしていく道筋が見つかるのではないでしょうか。
重度障害のある松田さん
松田愼二さんは,1956(昭和31)年,津市に生まれました。数年前にお母さんを亡くしてから,自分の生まれ育った家に一人で暮らしています。
ただ,重い障害があるので,ヘルパーさんだけでなく,一人暮らしを応援してくれるボランティアの人々の介助が必要なのです。
ヘルパーさんやボランティアのみなさんとの生活
ヘルパーさんの介助の契約は一日あたり17.5時間です。障害者支援の制度を最大限利用しています。しかし,ヘルパーさんがつかない,金曜日と土曜日の夜の「泊まり介助」の時間は,ボランティアの人々に来てもらっています。
ヘルパーさんやボランティアのみなさんは食事の準備,買い物,掃除,洗濯,入浴など,生活全般にわたって松田さんを支援しています。
もちろん,松田さんは様々なところへ外出します。例えば市民として市役所へ行ったり,障害者の人権を考えるための集まりを催したり,あるいは,学校での人権学習の場で子どもたちに話をしたりします。またパソコンを使って原稿を書くこともしばしばで,けっこう忙しい毎日を送っているのです。
松田さんの思いとは
松田さんはいつも考えています。一市民としてあたりまえに自分の生まれ育った町で生きることを。
それは,障害のあるなしにかかわらず,希望をかなえる道がすべての人に開かれている社会をつくっていきたいという思いでもあるのです。
松田さんは次のように語っています。
ぼくが養護学校へ行っていた頃の話です。朝,学校へのバスを母と二人で待っていると,近くの小学校に通う子と出会うのです。その子どもたちは,ぼくの前を通っていく時,ぼくのまねをして歩いていくのです。そんなことがあると,母は怒って,子どもたちに止めてもらうよう,小学校へ抗議をしにいっていました。でも,子どもたちのまねは,なくなりませんでした。
ある日,母はその小学校の子どもたちに自分から話しかけていました。「あなたたちは何年生?」「どんな勉強をしているの?」最初は注意するつもりだったのでしょうが,何度も話しているうちに,母と子どもたちには共通の話題ができていました。いつしか,お互いのことを知り合う関係になっていたのです。お互いの心のなかにある壁を取り払い,自然にかかわることから,人と人は理解し合えていくのだと,母の体験を見て感じました。
こんなこともありました。近所の友だちと「だるまさんが転んだ」をやっていました。ぼくの首や手は,じっとしていようと思っても動いてしまうのです。まずいことに,おにが振り向いた時に一番大きく動いてしまうのです。だから,最後はいつも,ぼくがおにになるのでした。みんなはおもしろくありません。すると,ある子が「ルールを変えよう!」と提案しました。腰から下が動いたらダメ,というルールに変えたのです。友だちは,ぼくのことを知っているからこそ工夫して遊ぶことができたと思うのです。プラモや将棋,折り紙で遊ぶ時は,自然にぼくの足もとに置いてくれます。ぼくにとって足が手の代わりであることをわかっていたのです。
おとなになってから,福祉マップを作ったことがあります。その時には,ボランティアを募集し,たくさんの人が参加してくれました。その最初のミーティングでした。全員そろったところで全体を見回して驚きました。ぼくが座る部屋の右側に障害者の人たち。部屋の左側に障害のない人たち。誰が決めたわけでもないのに,座る場所が見事に分かれていたのです。
ぼくはこの時,心のバリアというものを強く感じたのです。社会ではバリアフリーが進み,街の段差が減ってきても,私たちの心の中には,まだまだ大きなバリアがあると思ったのです。心のバリアを取り去らない以上,誰もが本当に暮らしやすい世の中をつくっていくことはできないと思うのです。
みなさんの周りを一度見渡してみてください。街の中で障害者を見ると,おやっと感じたことはありませんか? 障害者が珍しい存在ということはありませんか? みなさんと同じように,ぼくも同じ場所で,同じことをしたいと思っていることがたくさんあります。でも,ここから向こうは障害者,こちらは自分たちと,お互いに分けられていることに慣れてしまっているところがありませんか。ぼくは,そこに「心のバリア」があることを感じます。
いつも人前では「ぼくを見慣れてください。」と話すことから始めています。学校でも社会でも,分けることから始めるのではなく,一緒から始めることを常にぼくは考えています。
ボランティアの人たちにとっての松田さん
松田さんの介助をするボランティアの一人は松田さんとの生活について,次のように語っています。松田さんとのつながりの中で,ボランティア自身が得るものは少なくないことがわかります。
泊まりの介助に通うようになって4年目になります。松田さんと一緒にいたり出かけることで,自分の中や世の中のいろんなバリアが見えてきます。介助に行き始めた頃松田さんからはよく「無理をしないで。」と言われました。どうしても肩に力が入って無理をしてしまっていたのです。しかし今は,「とつぜんのキャンセルはしない,時間を守る,連絡を入れる」を最低限のマナーと決めている以外,自分の何かを犠牲にしているという思いはありません。「ボランティア」は,一方的に「してあげる」ものではなく,お互いに得るものがあるから続けられるのだと思います。私自身,泊まり介助に通い,松田さんと語り合うことで,ものの考え方や生き方の面で多くのものを得ていると感じています。松田さんは,どんな時も介助を必要とします。金曜日と土曜日の泊まり介助は全て「ボランティア」に頼っています。泊まり介助者を探すのは簡単ではありません。介助者探しに1日の大半を費やすこともあるそうです。重度の障害のある人の地域での一人暮らしは,公的な制度だけでは困難な状況です。
松田さんの思いを生かすために
三重県教育委員会が策定した「三重県人権教育基本方針」では,解決すべき重要な人権課題として「障害者の人権に係わる教育」をあげています。そして,その具体的方針の一つに「障害者自身の自己選択や自己決定を尊重し,その思いや願いを共有,共感することを通して,支援やネットワークの活動に主体的に関わる態度の育成を図る」と述べています。
松田さんの思いを生かすために,一人ひとりが今何をすべきなのか,障害者との共生とは何なのかを考えていかなければならないでしょう。