熊野市木本から和歌山県新宮市の熊野速玉大社に向かう道は、七里御浜街道(浜街道)と呼ばれ、この先新宮方面に峠道はなく、七里御浜沿いに歩く海岸線に沿った道でした。「西国三十三所名所図会」の挿絵には、七里御浜を歩く旅人の姿が描かれており、浜を歩いて新宮へ向かう参詣者も多かったと思われます。
七里御浜は、当地の名産品でもある那智黒石を含む砂礫海岸で、その海岸線は、熊野市から御浜町、紀宝町及び鵜殿村を経て、熊野川河口までの延長約25kmにもなります。しかしながら、この浜沿いの道も決して安全とはいえず、高浪や河川の氾濫により命を落とす巡礼者もいたようです。
現在鬼ヶ城とともに国の天然記念物及び名勝に指定されている獅子巌(ししいわ)は、咆哮(ほうこう)する獅子の姿に似ることから名づけられましたが、かつてはその南にある岩窟と合わせて「阿吽之岩(あうんのいわ)」と呼ばれ、当時から参詣者たちにとって七里御浜に広がる海原とともに名所の一つとなっていました。