尾鷲市曽根と熊野市二木島を結ぶ古道で、その峠は甫母(ほぼ)峠と呼ばれていました。中世には峠が志摩国と紀伊国の境でもあったために、志摩国側の曽根村にとって自領と他領に分かれることから、その名があるといわれています。
古道沿いには一里塚がよく残っており、峠には「ほうじ茶屋」と呼ばれた茶屋の跡が残っています。二木島側には熊野市の有形民俗文化財に指定されている寛保元(1741)年銘のある猪垣記念碑があり、古道沿いに連綿と猪垣が連なっています。
尾鷲市曽根と熊野市二木島を結ぶ古道で、その峠は甫母(ほぼ)峠と呼ばれていました。中世には峠が志摩国と紀伊国の境でもあったために、志摩国側の曽根村にとって自領と他領に分かれることから、その名があるといわれています。
古道沿いには一里塚がよく残っており、峠には「ほうじ茶屋」と呼ばれた茶屋の跡が残っています。二木島側には熊野市の有形民俗文化財に指定されている寛保元(1741)年銘のある猪垣記念碑があり、古道沿いに連綿と猪垣が連なっています。