八鬼山(やきやま)越えは、伊勢路で一番の難所の峠道とされ、馬越峠越えの古道と同じく、石畳道としてよく残っています。一里塚をはじめ、峠のやや下った所に三寶荒神(さんぽうこうじん)を本尊とする日輪寺と呼ばれる荒神堂があり、古くはこれに並んで「荒神茶屋」と呼ばれた茶屋跡がありました。八鬼山越えの道には、他に「麓茶屋」「風吹茶屋」「十五郎茶屋」と呼ばれた茶屋跡もありました。
八鬼山から三木里に向かうには、急峻な尾根筋を一気に下る江戸時代の参詣道(江戸道)と明治時代に入ってから谷筋を多少緩やかに下る古道(明治道)があります。
また、八鬼山越えの道には、町石と呼ばれる路程を示す道標が備えられていました。現在もいくつかは現地に残されています。八鬼山の町石は石仏であり、光背に天正年間銘のあるものもあり、これらは現在の伊勢市内にあたる伊勢山田の豪商や全国各地に伊勢参りを呼びかける広告塔的存在であった御師(おんし)らが願主となって熊野への参詣者のために設置したものでした。