三重県水産研究に100年(創立百周年記念誌)
目で見る100年
高山活夫場長
大戦後の困難な時期の場長は高山活夫であった。この人の功績は大きい。明治44年生まれ(宮崎県)、水産講習所養殖科卒、昭和62年没。昭和24年から28年まで場長。その後、国立真珠研究所の初代所長を勤めた。戦争中休刊していた「時報」を昭和24年に再刊。その巻頭で以下の再刊の弁を述べている。 『アメリカの高名な学者は最高司令官に「水産業を重要視し、寒天、真珠等特殊水産物の増産と日本漁船に、連合国の戦略地以外の地域の開放」を助言提唱している。「これらの動きはいずれも本県水産業界にとって極めて関係の深いものであり、水産試験場の進むべき道も、既にこれらを予測して樹立せられておる。水産業試験場の試験調査は現在極めて不自由の人員で行っておるが、吾々の握んだ僅かの資料もこれを速やかに関係者に報知して、これらの線に一臂の力を添えたい。・・今後各位のご鞭撻を切望して再刊の辞とする。」 ☆昭和24年の全職員数は42名(うち尾鷲6名、川越7名)だった。 |