三重県水産研究に100年(創立百周年記念誌)
目で見る100年
マスの養殖試験はじめアメリカから虹鱒の卵をはこぶ
大正元年、水試は名賀郡矢持村(現・青山町)に鱒池中養殖試験池を造成し、マスの養殖試験をはじめた。
大正三年の事業報告に「米国産虹鱒(ニジマス)第一回移植試験」という報告がある。アメリカ合衆国の東部バージニア州ワイスビル孵化場を大正3年11月25日、10万粒の虹鱒の卵が日本へ出発する。「原産地ヲ発送セラレ十二月一日シャートル発日本二向フベキ郵船会社汽船丹波丸ニ積込ミ同月十九日横浜ニ入港」。入港した虹鱒卵は北海道5万粒・秋田3万粒・三重と群馬各1万粒に分けられた。その後、鉄道を乗り換え荷馬車と人夫に担がれ21日午後6時、三重県名賀郡矢持村の試験場孵化場へ到着した。この間、26日間。しかし、残念ながら、この太平洋を越えた試みは、全卵死滅の失敗に終わった。翌4年も試みられ、この年は1万5千粒が届き、うちl万粒が孵化する好成績だったが、その後の飼育過程で稚魚が死滅し残存はわずかに137尾だった。
三重県における鱒養殖は大正元年、名賀郡矢持村につづいて、櫛田川の多気郡丹生村でも始まっている。
荒廃地の活用をねらって作られた
名賀郡矢持村(現・青山町)のマス養殖池
マス卵のふ化装置・大正2年の要覧に
カルホルニヤ式鱒孵化器とある
アメリカからニジマスを運ぶために送られてきた特製容器の図