亀山市関町にある正法寺山荘跡は、戦国時代に鈴鹿地方の有力国衆であった関氏一族と関連の深い寺院・居館跡です。山荘跡は鈴鹿川の支流小野川の西岸の河岸段丘上にあります。第1次~第9次までの発掘調査によって、遺跡の建物配置や構造等が明らかにされています。出土遺物には、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけてのものが含まれており、そのころには寺院として成立しており、その後、戦国時代になって関氏が当地に入り、その一部を山荘としたと考えられます。
戦国時代には寺院を核として、寺・館・支城を兼ね備えた大規模な施設であったらしく、京都の連歌師(れんがし)宗長(そうちょう)とも親交があり、大永2年(1522)~7年(1524)の間に何度か正法寺を訪れていることが『宗長手記』に記されています。昭和56年(1981)には、国の指定史跡となっており、現在は公園として整備されています。
おもな時代:室町時代後期(戦国期)
遺跡の所在地:亀山市関町鷲山