今年度は、三重県埋蔵文化財センター設立30周年にあたることから、過去30年の調査から選んだ遺跡について講座を実施してまいります。
今回は、「縄文人の集団墓地―大原堀(おおはらぼり)遺跡の調査から―」と「水・大地と格闘した人びと―朝見(あさみ)遺跡・中坪(なかつぼ)遺跡・堀町(ほりまち)遺跡―」の2つを、それぞれ三重県埋蔵文化財センター職員小山憲一(こやまけんいち)、中井英幸(なかいひでゆき)が講演しました。当日は、この季節らしいさわやかな晴天に恵まれ、講座を聞かれた方、出土品の展示をご覧になった方、合わせて120人にご参加いただきました。
一つ目の講座で取り上げた大原堀遺跡は櫛田川中流域の松阪市広瀬町にある縄文時代晩期の遺跡です。まず、発掘調査で煮炊き用の縄文土器を棺に転用した土器棺墓や、埋葬のために地面に穴を掘った墓、土壙墓が多数見つかったことを紹介しました。そして、土器棺墓は乳幼児のお墓と推定され、遺体のサイズによって棺の大きさを工夫・調節したらしいこと、土壙墓は穴の形状やサイズから成人のお墓と推定されることを説明しました。さらに、それらのお墓が集中する周囲には墓域を示す「立石(りっせき)」が認められ、お墓を営む場所が一定の範囲に決められていたことも触れました。
二つ目の講座で取り上げた朝見遺跡・中坪遺跡・堀町遺跡は櫛田川下流域の松阪市朝見地区に所在する、縄文時代~江戸時代の遺跡です。まず、調査で奈良時代の堰(せき)や、奈良~江戸時代の井戸が100基以上も見つかったことを紹介しました。そして、斎串(いぐし)、青銅鏡、墨書土器などが出土していることから、これらを用いて水にかかわる祭祀(さいし)が行われていたことを説明しました。墨書土器には、「たいらになる」という意味の吉祥句、「平成」と書かれた平安時代の土師器皿があり、平成から令和への改元直後で、注目を集めました。
完形に復元された土器棺、「平成」の墨書土器、堰に使われた杭などが展示され、参加者の方々が熱心に観察されておられました。
いただいたアンケートでは、「とても分かりやすかった」「また、参加します」などのご意見をいただきました。今後もよろしくお願いいたします。また、今回は多くの方がお越しになると考えられたため、いす席を中心に会場準備をさせていただきました。ご不便をおかけして申し訳ございません。今後とも、多数のご来場が予想される場合はいす席にして、着席して聴講いただけるよう会場設営をさせていただきます。何とぞご理解のほどお願いいたします。
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