今回は、「木造赤坂(こつくりあかさか)遺跡の土器片から―伊勢平氏・平正度(たいらのまさのり)が見えたかも?―」と題して、三重県埋蔵文化財センター職員の水橋公恵(みずはしきみえ)が講演を行いました。一時雨も降るあいにくの天候でしたが、50名もの方に参加いただきました。
講演では、最初に平正度は伊勢平氏の祖である平維衡(たいらのこれひら)の子で、斎宮寮の長官(頭:かみ)または次官(助:すけ)であったこと、木造庄(こつくりしょう)は平正度によって開発されたことを話し、本論に入りました。
本論では、越州窯青磁(えっしゅうようせいじ)、石鍋を転用した温石(おんじゃく)、水晶製軸端(じくはな)3点の出土遺物に着目し、これらの貴重な品々はほとんどが九州の太宰府や平安京の高級貴族の屋敷から見つかっていることを説明しました。
また、平安時代後期の木造赤坂遺跡には、塀や土塁(どるい)でかこまれた立派な屋敷地があり、そこから出土した大量の土師器皿は、斎宮跡出土のものと大変よく似ていることを話しました。
さらに、平正度は、平安京や太宰府周辺に越州窯青磁や石鍋を入手できるだけの人脈を持っていたことも指摘しました。
これらをふまえ、文献とも年代的に合致することから、平安時代後期の木造赤坂遺跡は、斎宮寮の長官(または次官)であった平正度の屋敷地だったのではと結論づけました。
講演で取り上げた越州窯青磁、石鍋を転用した温石、水晶製軸端などの貴重な出土品をはじめ、多様な土師器などが展示されました。参加者の方々は熱心に観察され、講師に疑問点を尋ねておられました。
講演を聞く参加者のみなさん | 講師といっしょに出土品を観察 |
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