当日は穏やかな天気に恵まれ、地元の方や、近くの学校に通う子どもなどを中心に、約300名の参加者がありました。中には県外からの参加者もあり嬉しいかぎりでした。
参加された方には、鈴山遺跡、大久保遺跡の順で現地をご覧いただきました。
○ 大盛況!縄文の集落(鈴山遺跡) ~集落からみた東西文化の交流~
鈴山遺跡では石鏃(せきぞく・いしのやじり)、石斧(せきふ)、磨り石(すりいし)、石錘(せきすい・漁業用石のおもり)などの石器類や、装飾豊かな縄文中期の土器など、いろいろな遺物をみていただきました。
石鏃に関しては信州産出の黒曜石や、奈良と大阪の県境にある二上山のサヌカイト、下呂地方(岐阜県)の下呂石など、さまざまな産地の石材で製作されています。また土器のうずまきや矢羽状の模様、貫通する丸い穴などの特徴は、美濃地方の土器の特徴と似ています。これらのことから当時の人々がさまざまな地方と交流し、色々な道具を作り、使用していたことを説明しました。調査員2名のかけあい方式の説明に参加者の方々は熱心に聞き入っていました。
次の遺構説明では、県内四例目となる縄文時代中期の掘立柱建物や落とし穴、煙道付炉穴や集石炉について各調査員が交替で説明しました。また、竪穴住居の説明では二人の寸劇を交えた説明を行い、「学びと笑い」の程良く混ざった遺構説明になりました。
「東西文化の交流」をテーマとした今回の説明会では、会終了後も「今後この遺跡をどうするのか」「どうやって遺構の穴を見つけるのか」など熱心に質問が相次ぎ、大盛況、大好評の現地説明会となりました。
○伊勢神宮神領の痕跡か!?(大久保遺跡)~大型掘立柱建物を発見~
大久保遺跡では、今回の調査でみつかった5棟の掘立柱建物跡や溝などを現地で見ていただきながら、かなり大きな掘立柱建物跡がみつかったことや、平安時代末から鎌倉時代にかけて営まれた集落の跡で、潤田地区にあったとされる伊勢神宮の神領である「潤田御厨(うるたのみくりや)」との関連が推測されることなどを説明しました。
また、出土した土器や陶器、石器などについても実物を前に説明を行いました。山茶碗の底に墨で書かれた記号のようなものも間近で見ていただき、記号なのか文字なのか、いろいろと想像を膨らませていただけたことかと思います。
参加された方からは、「大きな建物が建っていたことに驚いた」、「畑の下にこんな遺跡があるとは思わなかった」、「御厨についてもっと明らかになるといいと思う」など、さまざまな声をいただきました。
今後も発掘現場での説明会等を通じて調査の成果を紹介してまいります。ご期待ください。