限界集落の漁村で女性の雇用を創出!
PROFILE
石田 元気さん【2016年ファイナリスト】●合同会社き・よ・り(尾鷲市)
業務執行社員
業種:鮮魚の通信販売・移動販売など
宮城県出身。東京で会社員生活を送っていた2011年、東日本大震災が発生。以後、ふるさと創生事業への関心が高まり、2014年に尾鷲市早田地区の地域おこし協力隊員に応募し就任。地域のミッション“女性の雇用創出”のため力を注いだ。2015年に『合同会社き・よ・り』を設立、鮮魚や地域女性のスキルを都市へ売り込んだ。2017年に任期満了。尾鷲での経験を活かし、故郷宮城で漁業や漁師を報じる業界新聞記者として活躍中。
私の使命
漁業の町で“陸の仕事”を創出する
おとと(鮮魚)の町、三重県尾鷲市。沿岸部はリアス式海岸が広がり、入江に点々と集落が営まれています。早田(はいだ)地区は人口150人を下回る限界集落。宮城県出身の石田さんは、2014年に地域おこし協力隊員としてここへやって来ました。「尾鷲に来るのは初めてでした。東日本大震災から、ふるさと創生に関心を持ち、東京の仕事を退職して来ました」。早田でのミッションは、“女性の雇用創出”。早田では『早田漁師塾』の取組により漁師の若返りに成功、今度は“陸上の仕事”のてこ入れが求められていました。石田さんは丹念に町を歩き、①町のみんなが魚を捌けること②定置網に依拠した多様な魚食文化が根づいていることに着目しました。早田の鮮魚と女性のスキルを外へ売る
「早田の基幹産業である定置網漁は、とても不思議で面白いんです。何が獲れるか分からない。台風前後の1日で、網にかかる魚の種類がガラリと変わります」。石田さんは協力者と力を合わせ、この“何が獲れるか分からない魚”をネットで通信販売しようと考えました。名付けて『うみまかせ』。魚の捌き方や、美味しく味わう調理法を紹介したレシピも同梱することに。さらに早田の女性が近郊の都市へ出張する、魚の捌き方教室『さばき会』も開催。2017年には移動販売車も購入できました。これらの事業が始動したことで、ネット通販の保守/パッケージデザイン/料理コーディネート/商品発送/出張デモンストレーターなど、多彩な仕事が創出されました。私流リーダーシップ
率先して汗を流し、地域住民と二人三脚。
「リーダーシップなんてとんでもない」と石田さんは笑います。それもそのはず、早田の高齢化率(65歳以上が人口に占める割合)は60%超で、町の大半が高齢者。それに右も左も分からない県外出身の若者だったため「早田の皆さんに、助けてもらってばかりでした」。『うみまかせ』の事業に必要な魚の仕入れは、「漁船に乗せてもらい、水揚げ作業を知るうち融通してもらえるようになりました」。他の仕事を進めるにあたっても、“自分から率先してやってみる・どれだけ大変か体感してみる”ことをモットーに活動していたといいます。「汗を流していると、どこからか手を差し伸べてもらえました」。ある時は、自宅に夕食が置かれていたこともあったとか。中身はお楽しみ! 鮮魚『うみまかせ』発売中
地域おこし協力隊員の任期は最長3年。石田さんは2017年に任期満了し、地元宮城県へ帰郷しました。『き・よ・り』は後任の地域おこし協力隊員が引き継ぎ『うみまかせ』『さばき会』『移動販売』などの事業は現在も続行中。一方、石田さんは宮城で再就職しました。「早田で得た知識や経験が、実は今、大いに役立っているんですよ」。尾鷲で魚が大好きになり、漁業関係の業界新聞記者に。『き・よ・り』の行く末も気にかけ、宮城で売上を確認し、アドバイスをするなどしています。離れていても心は早田の一員。早田が“家族が安心して暮らせる漁村。女性も男性もすべての人材が輝ける漁村”になるよう、自身が立ち上げた会社を今も見守ります。社外メンターとして
お話&アドバイスできる内容
■起業
■地域資源活用
■仕事創出の取組
こんな講演・相談に対応できます
■過疎地域の女性の仕事創出例
■Webを利用した産直品販売
■移住者の地域産業への挑戦
■移住者を迎える環境整備
所属事業所概要
●合同会社き・よ・り
三重県尾鷲市早田町6-3
https://www.amikiyori.com/
社員数:2名
私の癒し
宮城で結婚しました。休日に妻と港町へ出かけるのが今の私の楽しみです。スーパーに並んでいるのは魚の切り身ばかり。けれど港町の産直コーナーに行くと、魚を1匹丸ごと売っています。それを買って帰り、早田で教わった方法で捌き、夕食時に2人で味わっています。
2018年8月 取材
※石田さんは2017年7月まで合同会社き・よ・りに在職し、その後地域おこし協力隊の任期満了により地元宮城県へ帰郷されました。