伊勢茶の沿革
901年~922年 |
(延喜年間) |
飯盛山浄寺(現水沢一乗寺)住職玄庵が先代の住職より空海直伝の製茶法を伝承し、当寺に播種された唐伝来の茶樹より摘採し喫茶を進める。(水沢村郷土史稿) |
1191年 |
(建久2年) |
明恵上人(高弁)、栄西禅師が宋から持ち帰った茶の種子を伊勢の川上などに分植する。(背書国史) |
1393年~1572年 |
(明徳~元亀) |
「異制庭訓往来」に室町時代の銘茶として伊勢の河合、伊賀の八鳥が揚げられる。 |
1598年 |
(慶長3年) |
地頭、茶株1株に3.5文税を課す。(水沢村郷土史稿) |
1678年~1709年 |
(元禄~宝永) |
伊勢茶を敦賀、越前、羽後、秋田で販売。(茶説集成) |
1739年 |
(元文元年) |
伊勢茶大阪市内で販売。(大阪市史) |
1818年 |
(文政元年) |
伊勢茶江戸で販売される。(日本茶業史) |
1830年~1843年 |
(天保年間) |
四日市室山で伊藤小左衛門、自己山林30アールを開墾、茶の実を播く。 |
1849年 |
(弘化元年) |
常願寺住職中川宏教京都遊学中、宇治の茶業を見て帰村後宇治より茶種子を取り寄せ30アールの山林を開墾茶園を造成。(水沢村郷土史稿) |
1859年 |
(安政6年) |
海外貿易始まる。同年の茶輸出額40万斤、その大半は伊勢茶であった。 |
1859年 |
(安政6年) |
駒田作五郎敷地10アール開墾茶を播き付ける。その後慶応3年山林を開墾、合計4.4ヘクタールの茶園を栽培する。 |
1866年 |
(慶応2年) |
竹川竹斎「四木植方の書」を著し、茶の畦仕立、山草塵埃の施肥を論ずる。 |
1868年 |
(明治元年) |
大谷嘉兵衛横浜で茶の販売に従事する。その他横浜における茶問屋として「伊勢店」と呼ばれる本県出身の店数多く活躍する。 |
1874年 |
(明治7年) |
勧業寮布達示及び三重県布達紅茶の製造勧励。 |
1877年 |
(明治10年) |
多田元吉茶視察の際インドより持ち帰ったインド系の茶種子を南牟婁郡御浜町に播種。 |
1878年 |
(明治11年) |
駒田作五郎紅茶の製造を試み1万斤を製造、12年に9,000斤を輸出する。 |
1886年 |
(明治19年) |
山田角五郎本県に適する栽培方法を研究、山田式製茶法を確立する。 |
1890年 |
(明治24年) |
大谷嘉兵衛 茶業組合中央会議長に就任。 |
1893年 |
(明治26年) |
アメリカシカゴ市龍閣台博覧会に参加、伊勢茶の宣伝を図る。 |
1896年 |
(明治29年) |
津市で全国茶業者大会開催、日本茶の輸出方針決定、政府に製茶販路拡大費の補助を要請。県内で機械製茶始まる。 |
1897年 |
(明治30年) |
アメリカ政府製茶に課税。(1封度につき10セント) |
1899年 |
(明治32年) |
大谷嘉兵衛、全国茶業者の代表としてフィラデルフィアにおける万国博覧会に出席するとともに、大統領マッキンレーに茶税廃止を訴える。アメリカ政府明治36年関税廃止決定。 |
1909年 |
(明治42年) |
大谷嘉兵衛茶業組合中央会議所の初代会頭になる。 |
1917年 |
(大正6年) |
県下で紅茶製造盛んになる。 |
1920年 |
(大正9年) |
第4回全国茶業品評会津市で開催。本県紅茶1等賞に入選する。 |
1926年 |
(大正15年) |
茶業試験場県に移管され三重県茶業試験所となる。 |
1927年 |
(昭和2年) |
摘採鋏初めて県内で使用される。 |
1936年 |
(昭和11年) |
茶業試験所津市より亀山市に移転整備される。 |
1941年 |
(昭和16年) |
茶戦時不急作物として改植および作付け制限を受ける。 |
1945年 |
(昭和20年) |
全国的な茶不足となり、製茶需給調整規則交付される。本県においても県外移出の許可制をとる。 |
1946年 |
(昭和21年) |
国内食料見返り品として茶が政府間貿易となり荒茶供出割当制となる。 |
1947年 |
(昭和22年) |
第1次茶業振興計画を樹立し茶業の振興を図る。 |
1948年 |
(昭和23年) |
第2回関西製茶品評会で開催される。 |
1950年 |
(昭和25年) |
試験研究機関の整備統合により農業試験場茶業分場となる。 |
1951年 |
(昭和26年) |
第2次茶業振興計画を樹立し、優良品種の普及を図る。 |
1953年 |
(昭和28年) |
第8回全国製茶品評会が四日市市で開催される |
1954年 |
(昭和29年) |
多気郡川添村(現大台町)に県南勢茶指導所を設置する。 |
1958年 | (昭和33年) | 水沢茶農協設立され茶の市場取引開催される。 |
1959年 |
(昭和34年) |
三重県茶業会議所を結成し県下茶業関係団体の一本化を図る。 |
1962年 |
(昭和37年) |
第16回関西茶品評会が鈴鹿市で開催される。 |
1963年 |
(昭和38年) |
動力噴霧器県内で始めて使用される。 |
1964年 |
(昭和39年) |
大型粗揉機、一連式製茶機導入される。 |
1965年 |
(昭和40年) |
亀山茶農協設立、昭和42年の市場取引開始。 |
1966年 |
(昭和41年) |
第20回全国茶業大会伊勢市で開催される。 |
1969年 |
(昭和44年) |
台湾緑茶7,000トンが輸入される。 |
1970年 |
(昭和45年) |
県農業試験場茶業分場が農業技術センター・茶業センターと改称される。 |
1971年 |
(昭和46年) |
第24回茶業振興大会松阪市で開催される。 |
1973年 |
(昭和48年) |
昭和24年鈴鹿市農協茶事業所としてスタートの茶取引が経済連北勢茶センターの改組。 |
1976年 |
(昭和51年) |
茶園再開発整備事業開始する。 |
1979年 |
(昭和54年) |
第32回関西茶業振興大会四日市市で開催される。 |
1985年 |
(昭和60年) |
第39回全国お茶まつり、四日市市、鈴鹿市で開催される。 |
1987年 |
(昭和62年) |
第40回関西茶業振興大会亀山市で開催される。 |
1989年 |
(平成元年) |
北勢地域晩霜被害蒙る。被害総額34億円。 |
1990年 |
(平成2年) |
三重県茶業会議所創立30周年記念式典開催される。 |
1994年 |
(平成6年) |
第48回全国お茶まつり、南勢地域で開催される。 |
1995年 |
(平成7年) |
第48回関西茶業振興大会鈴鹿市で開催される。 |
1998年 |
(平成10年) |
農業技術センター・茶業センターが、科学技術振興センター・農業技術センター・茶業センターと改称される。 |