1.かんきつ栽培の歴史
カンキツの生いたち
三重県のカンキツ栽培の歴史は古く、江戸時代の慶長年間(約400年前)にさかのぼると伝えられています。当時は農家の庭先に小みかんや八代みかんが植えられていた程度で、本格的に栽培が始められたのは明治中期以降、温州みかんが導入されてからになります。
明治・大正時代から昭和の第2次世界大戦まで
明治後半から大正初期にかけて、北勢地域の多度町、桑名市、中勢地域の多気町、松阪市、南勢地域の南勢町、鳥羽市にかけて温州みかんが増殖されました。また、東紀州地域では温州みかんとともに夏みかんが増殖されました。第2次世界大戦までの栽培面積は約1350ヘクタールに及びました。
第2次世界大戦から現在まで
戦前に増殖されたみかんも戦争により廃園寸前まで追い込まれました。しかし、昭和25年頃から戦後復興ブームに乗って再び増殖が始まり、昭和30年代後半からは選択的拡大施策により県営や団体営農地開発事業での開畑が進められ、急激な増加となりました。昭和49年には3150ヘクタール、6万トン近くにまで達しましたが、昭和47年の大暴落を境に昭和50年以降、生産調整施策が実施され、平成9年度で1720ヘクタールにまで減少しています。
現在も栽培面積は徐々に減少してきていますが、中北勢地域では青島温州等高糖系の貯蔵出荷、南勢町では早生、中生温州の年内完熟出荷、東紀州地域では極早生温州の早期出荷と優良中晩柑の完熟出荷を柱として地域毎に特徴のある産地形成が図られています。
御浜国営開発造成地 |
金山パイロット植栽風景 |