77. 花垣(はながき)のヤエザクラ
伊賀市予野 花垣神社
奈良の興福寺にある八重桜を、一条天皇の后であった中宮彰子が京都に移そうとした。これを知った奈良の僧徒は腹を立てて止めさせた。彰子は奈良の僧徒が風情を解するものだと知り、花の時期には花の守を置くことにされた。この花守には原産地の余野の村人を当て、庄を賜った。以来この地を「花垣の庄」と呼ぶようになった。
- 県天然記念物(昭和12年)
- 樹高6m・胸高周囲80cm
三重の森林づくり
奈良の興福寺にある八重桜を、一条天皇の后であった中宮彰子が京都に移そうとした。これを知った奈良の僧徒は腹を立てて止めさせた。彰子は奈良の僧徒が風情を解するものだと知り、花の時期には花の守を置くことにされた。この花守には原産地の余野の村人を当て、庄を賜った。以来この地を「花垣の庄」と呼ぶようになった。