第45号 平成17年9月 伊賀市 種生地区
独自の住民アンケートをもとに住み良い地域づくりへ挑む
産業の振興、イベントの実施、都市住民との交流など、一口に地域づくり、活性化といってもいろいろなタイプがある。今回ご紹介する三重県伊賀市の種生地区は、住民が自らの地域を住みよく、暮らしよくしていこうとする地域づくり。その意味で外へ向けて発信するハデさやにぎやかさはないが、地域環境の着実な改善と向上、住民の元気度アップという、地域づくりの原点にもっとも近い取り組みといえる。
(過疎、高齢化への危機感)
三重県伊賀市は昨年11月に上野市、伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村、青山町の伊賀地区6市町村が合併、誕生し、伊賀忍者、松尾芭蕉(俳人)、伊賀焼(焼物)のふるさととして知られている。種生地区は旧青山町域にあり、伊賀市中心部から南へ15km、二つの川にはさまれた山あいの典型的な中山間地域。しかしその典型性とは裏腹に、地域づくり、活性化で目を見張る特徴をもっている。
種生地区が活性化への取り組みを開始したのは平成5年。過疎、高齢化への強い危機感、「このままほっといたら地域がダメになる」という思いからだった。
昭和30年に722人だった地区の人口は平成5年に393人となり、同25年には約205人へ減少すると試算されていた。それだけではない。同5年の60歳以上の人口割合はすでに約42%、同25年には約66%、高齢者の1人暮らしも多くなると見込まれた。地域の10年後、20年後の姿は具体的な数字として迫っていた。
この背景には、農林業の衰退、基幹道路の整備の遅れ、次世代を担う若者の流出など、中山間地域に共通した深刻な問題があった。
(全戸アンケートを実施)
平成5年1月、地区の45歳以下20歳以上の有志男女によって『種生地区の活性化を検討する会合』が開かれ、2月には地区集会において『活性化計画検討委員会』が設置された。ここまでならよくある話だが、種生地区はここからが大きくちがう。
「活性化といっても何から手をつけたらいいのか・・・」、検討委員会は困惑、作業は難航した。そこで、「まず住民の意識を知ることが前提」と、地区に求めるイメージ、何を整備するのか、農業活性化策、祭、伝統行事などについて全戸アンケートに踏み切ったのだ。
こうした住民アンケートはときとして行政がひな形を提示することがあるが、種生地区の場合は、住民でもある検討委員会が独自に考えたもの。住民意識を知ろうとする姿勢自体も貴重だが、実際に独自に作成したアンケートを全戸に行うというかたちでそれを現実化した例は、全国的にきわめて珍しい。質問は身近で具体的、68もの項目に及んだ。住民の意識、意向をくみあげ、優先順位をつけて活性化案とする。
そのうえアンケートの実施は、地域づくりへの住民の参加性を高め、過疎、高齢化に対する共通の問題認識、地域をよくしていこという意思づくりの面でも効果が期待できる。
検討委員会は、アンケートの結果と地理的条件が似ている他の優良地区の現地調査をもとに、半年以上をかけて討議し、提言書を提出。翌6年1月には地区集会において正式に活性化計画が承認された。
(ハードとソフトの両面で)
活性化計画にそって最初に着手したのが中山間地域総合整備事業による土地改良。中山間地域は地理的な条件が厳しく、とくに伊賀地方は農業生産基盤の整備が遅れていた。優良田を中心にほ場を整備することで、高齢者でも元気に農業と取り組めるし、耕作放棄地の防止にもつながる。土地改良事業にあわせて、ほたる水路も設置している。
「土地改良は活性化へのはずみになった」と『活性化計画推進委員会』(平成10年に検討委員会から改組)の1人は語る。「土が動けば人の気持ちも動く、結果を見て評価して、自分たちの自信、やればできるという意識改革につながった」。
国、県の助成を受けたハード事業を進めるとともに、生活に密着したソフトな活動にも取り組んだ。婦人のグループから「冠婚葬祭やしきたりなどで、いいところは残しつつもう少し生活に合わせ合理化できないだろうか」との提案がなされ、地域の生活様式を改善する新生活運動をはじめたのだ。
こうした活動は基盤整備、新生活、活性化、祭の4つのテーマで設けられた特別委員会が担当し、それぞれの関係した住民、あるいは知識を持った住民などが幅広く参画した。
(次なるステージへ)
種生地区の活性化計画は、12年にわたる活動の結果ほぼ目標を達成し、現在、特別委員会は祭を残すだけとなっている。だが一方でほたる水路の整備にともなったほたるの里づくり、吉田兼好(*)終焉の地を生かした里づくりを実行委員会方式で行っている。目標に向かって、あるいはプロジェクトごとに運営、組織形態を柔軟に変えていく。これも特記すべき点だろう。
また、廃校となった小学校(木造校舎)を保存、活用し、平成16年度にはそこを活動拠点としたNPO法人『博要の丘』を立ち上げた。博要の丘は、地域おこし、住民間の交流、都市住民との交流をめざして設立され、種生地区と隣接する老川地区を合わせ、約160名の住民が会員となっていいる。
「地域内の取り組みから、地域外へ発信する次のステージへ向かう段階です。対外活動はNPO博要の丘が中心となっていくのではないでしょうか」とメンバーは話す。
住民の意識、意向を基本に戦略的かつ着実にすすんできた種生地区の活性化に学ぶべき点は多い。
*「徒然草」の作者で、鎌倉時代から南北朝時代の随筆家、歌人。