みえ国際協力大使 稲垣 慶子さん からの活動報告
2019年2月赴任 赴任国:ジンバブエ共和国 職種:デザイン
報告日:2020年5月27日
ジンバブエについて
ジンバブエは、南部アフリカの内陸国で、日本と同じくらいの面積に日本の1/10の人口が住んでいます。乾燥した気候で過ごしやすく、音楽を愛する、平和な国民性です。イギリスの植民地だったため、公用語は英語(現地語はショナ語とンデベレ語など)です。
ビクトリアの滝、グレートジンバブエ遺跡などの有名な世界遺産もありますが、2008年のハイパーインフレーションで、100兆ジンバブエドル紙幣が登場するなどでご存知の方も多いかもしれません。
協力隊に参加するきっかけ
ジンバブエに来る前は、いくつかの会社でデザイナーとして9年働きました。雑貨のデザイナーをしていた時に、アジアの途上国の工場へ雑貨の品質チェックに訪れたことがあり、先進国の大量消費は、先進国がデザインした商品を途上国の工場が安く作ることで支えている現状を知りました。
そこには貧困や環境汚染や公平ではない賃金など、様々な問題がありました。もし工場で働く彼らが自分たちでデザインをして商品を作ることや提案ができたら、少しずつでも生活が良くなるのかもしれません。
そこから先進国と途上国の違いについて興味を持ちました。
ジンバブエでの活動
私のジンバブエでの活動を紹介します。(コロナの感染拡大の恐れのため、2020年3月末より一時帰国しています。)私の職種は“デザイン”で、主な活動は、グラフィックデザイン(ポスターやカレンダーなど紙媒体のデザイン)を、教員養成校の美術&デザインコースの生徒と4名の講師に教えることです。
担当したクラスの生徒たちは18歳から40歳まで年齢は様々、1学年50人ほどです。デザインのソフトを使うので、使い方を教えます。技術だけでなく、一枚のポスターを完成させるまでの、そこに至る考え方も含まれます。また、自分でクラスを担当するだけでなく、他の講師の補佐もしています。
(↓写真1 生徒が私の教えた切り絵に挑戦している授業風景)
これまでの活動では、生徒への実技のデモンストレーションや課題の採点や記録などに取り組んできました。また、活動先の教員養成校の広報活動として使われるカレンダーや卒業式の招待状などのデザインも担当しました。普段これらは外注をしているそうなので、一部は生徒にも任せ、今後は生徒がデザインを担当できるようにしていきたいです。
ジンバブエの人々とともに
2019年のジンバブエは、インフラを整えるための資金不足と大干ばつによる水不足から、5月末からほぼ毎日停電が続き(18時間ほど)、学校にあるコンピューターを使った授業は思うようにいかず、ノートパソコンを持っている数人の生徒(50人中5人ほど)に教えることが多かったです。(↓写真2 ノートパソコンを持っている生徒へ個別指導)
(↓写真3 停電のため、新聞から文字の種類を勉強し、その後カブトの折り方を教えた様子)
活動先のカウンターパート(同僚)とは、生徒の課題の採点や数々の共同作業で、お互いの共通認識が増えたことは、とても嬉しかったです。
(↓写真4 左から二人目、右から二人目がカウンターパート、あとは生徒たち)
アートを数字で評価することは難しいし、私たちお互いのバックグラウンドは違います。
ジンバブエでは、どういうものが高得点で、どういうところが評価されるべきかかが最初はわかりませんでした。
生徒の作品を採点するときは、50枚ぐらいを並べ、最初に一番高いものを決め、そのあとは低いものを決めました。
そしてその中間層の採点は、私に任せてくれ、コメントをつけました。この作業を繰り返すことで、私たちは認識を共有しました。
ジンバブエでは小さなビジネスをする人が多いし、教員資格を取り自分で学校を始める人もいます。カウンターパートとは課題以外でも、架空の学校のロゴのデザインをしたりジュースのラベルを作ったりし、ああでもないこうでもないと言い合いながら、私たちはそれらをより良くしてきました。他にもジンバブエで過去に起こったハイパーインフレーションの当時の大変さを聞いたり、彼の特技のカリグラフィー(手書きの装飾文字)の話をしたり、たわいもない会話が信頼関係を築くステップだったように思いました。
停電の日々に、経済崩壊で先が見えない不安の中でも底抜けに明るい精神力を持つ、ジンバブエの人たち。
今、彼らがどんな風に過ごしているのか気になります。
そして、いつかまたジンバブエに戻れるよう、今は全世界でのCOVID-19の収束を祈るばかりです。