1)任国について
図1.ガボンの位置
(地図引用: http://www.craftmap.box-i.net/country_map.php)
ガボンは北側を赤道ギニア、カメルーン、東南側をコンゴ共和国と国境を接し、西側を大西洋(ギニア湾)に面した赤道直下のアフリカ中央部にあります。国土は日本の約3分の2の広さ、人口はおよそ239万人(2022年、世銀)、国土の8割強が熱帯雨林で、未開の森には象(マルミミゾウ)やゴリラ、マンドリル等の大型哺乳類が住む、緑の豊かな国です。長くフランスの統治下に置かれていましたが1960年にフランスから独立しました。
私は2023年度1次隊のJICA海外協力隊(以下、ボランティア)として、2023年7月に派遣される予定でしたが、同年8月に7年に一度の大統領選挙を控えていたため、選挙が無事に終了し、国内の情勢が落ち着くまで派遣待機になりました。しかし、大統領選出後にクーデターが発生してしまったため、情勢が落ち着き、安全が確認されるまでさらに派遣待機を余儀なくされ、実際に派遣されたのは11月下旬でした。選挙で選出された大統領が追放されたガボンのクーデターは、日本でもニュースになりましたが、他のアフリカ諸国と異なり、武力衝突による犠牲者を出すことなく、政権移行が進んだ異例のものでした。
実はボランティアとしてガボンに派遣されるのは、2018年1月(から2年間)に続き2度目だったのですが、4年ぶりに戻ったガボンは、大きな変化は見受けられませんでしたが、ガボン人と話してみると、彼らの多くが現在の暫定政権に期待を持っていることを感じました。
2)活動について
図2.学校の外観
私の配属先は首都リーブルビルの、公設市場や商店、学校が集まる地区の一角にある国立聴覚障がい児学校です。学校は日本の幼稚園と小学校の機能を持っており、120人の生徒が在籍しています。ガボンの義務教育制度は6歳から16歳(初等教育から中等教育前期課程の10年)ですが、当校の在籍生徒の年齢層は5歳から20代後半と幅があります。これは障がい発見が遅れ、就学自体が遅くなりがちなこと、家庭の事情で継続して通学できない生徒がいること、留年制度があることなどの理由からです(逆に飛び級制度もあるため、通常教育課程ではクラスに標準年齢より低年齢の生徒が在籍していることがあります)。ガボンでは初等教育修了試験に合格しないと、先に進めないため、初等教育課程に年齢が高い生徒が混在する結果となっています。
私はここで、前回の赴任に引き続き、同僚の先生(言語聴覚士ではなく、特別支援教育の資格をもつ)と協力して、生徒らに言語聴覚的な指導(発音指導、文字や数概念の習得のための指導)を行う他に、同僚とクラス担任に対して指導に関する情報提供、学校職員や保護者を対象に聴覚障がいへの理解促進に向けた啓発活動を行うことになっています。私が活動を開始したのは2024年1月、学校は2学期に入ったところでした(ガボンの学校は9月から始まる3学期制)。
約4年ぶりに戻った配属先は、2020年にある財団の資金援助を受け、校舎が改修されて設備が整ったためか、活気があるように感じました。顔なじみの教職員や生徒らと再会を喜び、気持ちも新たに私の活動が始まりました。活動を再開した2学期は主に生徒らへの指導を中心に、3学期は学校職員や保護者への聴覚障がい理解促進のための啓発活動として、通信文を作成して発行したり、同僚と協力して展示用バナーを作成したりしました。
図3.指導の様子
図4.完成した展示用バナーと同僚
3)隊員の生活について
居住地は活動先から7㎞弱離れた、商店や飲食店が立ち並ぶにぎやかな地域にあります。通勤には乗合ミニバンや流しの乗合タクシーを利用しています。通常20~30分ほどで着く距離のところ、乗合ミニバンは定員に達するまで発車せず、行きたい先の車両がすぐに来るとも限らないこと、また、タクシーは行き先と値段の交渉が必要であることから、通勤に1時間近くかかってしまうこともあります。食料品、日用品は近所の露地市場や商店、スーパーで調達しています。顔なじみの露天商とは道行く際に挨拶を交わし、時々おまけをもらうこともあります。週末は家でのんびり過ごしたり、時々ガボン人の日本語教室や関連イベントを手伝ったり、ガボン人の友人宅を訪れたりして過ごしています。ボランティア仲間と海辺のレストランに行くこともあります。私の住む、首都リーブルビルは大西洋に面しており、浜辺は週末の市民の憩いの場になっています。ここで見る夕陽は格別で、私のお気に入りです。まだ活動は全体の4分の1が終わったところですが、健康と安全に気をつけて、同僚と協力しながら少しでも活動先に貢献できるよう、尽力していきたいと思っています。図5.大西洋に沈む夕陽