なぜ陸上競技指導者として協力隊へ
私は、中学校3年生の夏にロンドンへ2週間の語学留学へ行ったのがきっかけで海外での生活に興味を持ちました。ちなみに当時はYes, No ,Thank youくらいしか喋れませんでした。中学3年生の秋に駅伝を始め、高校は陸上競技漬けの生活。そんな時に自宅最寄りの桑名駅に貼ってある青年海外協力隊のポスターを見て、陸上競技の指導者として海外で働く道があることを知り、これなら自分の得意なことを生かして海外に行けるのではないかと思いこの道を志しました。
大学4年生の春、自分の専門である中長距離種目の指導者を募集していたバヌアツの要請に応募し、現在に至ります。
(現地での指導の様子)
協力隊員としての活動
人口約30万人(四日市市ほど)のバヌアツは陸上競技人口が多くなく、また競技レベルもあまり高くなかったこともあり、現地に赴任直後から国の代表コーチに就任しました。代表コーチとしては、2019年7月にサモアで行われたPacific Games(大洋州の地域オリンピック)にて、指導していた女子長距離選手がハーフマラソンで金メダル、10,000mで銀メダルを獲得(どちらもバヌアツ新記録)、1,500mで入賞するなど結果を残すことができました。東京オリンピックに向けての指導も行っていましたがCOVID-19パンデミックの影響で現在は一時中断しています。
(Pacific Games ハーフマラソン表彰式にて、中央が指導している選手)
代表選手の指導の傍ら、陸上競技の普及活動も行いました。具体的には、ハーフマラソンの国際大会の企画、陸上競技の学校体育教育への導入、地方の農村部での駅伝大会の開催などに取り組みました。現地政府と交渉することも何度かありました。
任期途中での一時帰国となり、ほとんどは実現に至りませんでしたが、横の繋がりを作れたので、陸上競技発展の基礎を作る活動はできました。
発展途上国でのスポーツ指導
多くの発展途上国はまだまだスポーツの発展に力を入れる余裕がないのが現状です。代表コーチとして指導をしていて気づいたのは、1. 青少年のスポーツ活動を受け入れる体制が整っていない(設備・指導者・周囲の理解)
2. スポーツ活動に参加できる人が限られている(例えば、農村部は都市部と比べて圧倒的に機会が少ない)
3. スポーツ選手としてキャリアを進める道ができていない
などなど、様々な種類の「不足」によって可能性が限られてしまっているように感じました。
逆に言えば、伸び代しかないと思うのです。もしこれらの不足が改善され、先進国と近いような環境が整えば、今まで表舞台に現れなかったような選手がどんどん出てくるのではないでしょうか。
(パラ陸上バヌアツ代表選手)
スポーツを通じた国際協力・国際開発
“Sports for Development and Peace”(SDP)という言葉をご存知ですか?日本語では「開発と平和のためのスポーツ」と訳され、「スポーツの力も使って健康・教育・平和など社会の様々な問題を解決していこう!」というメッセージです。隊員としての現地での活動を振り返ると、大会に向けて練習を積み重ねる過程で選手の成長が垣間見えたり、ダンス教室に通う肥満気味の人が段々と健康体になったりとスポーツの効果を実感できることがよくありました。また逆に、距離・速さ・時間の計算があまりできずペース配分を考えられない選手がいたり、女性のスポーツ活動が制限されてしまったりと、スポーツが課題を浮き彫りにすることもありました。
間接的ではありますが、幅広い問題の解決に「スポーツを通じた取り組み」が貢献できるのではないでしょうか。