みえ国際協力大使 太田治希さんからの活動報告
赴任国:フィリピン 職種:村落開発普及員 2013年7月派遣
青年海外協力隊としてフィリピンに赴任して1年が経過した。任期は原則2年なのでちょうど活動の折り返し地点である。フィリピンでこれまで感じたことや経験したことを棚卸ししつつ、みえ国際協力大使のレポートとしたい。
1.活動について
首都マニラがあるルソン島の北部・飛行機で1時間のところに位置する北イロコス州ラオアグ市、そこが私の任地である。配属先は農地改革省という国の省庁の州事務所で、同省では農地改革の実施や元小作農の生計向上などに取り組んでいある。私は同省州事務所に所属しつつ、州内の2つの農業協同組合に対する経理指導など組織化強化を主な活動としている。
日常的に行っている活動では、協同組合を頻繁に訪問して事務担当職員に帳簿管理の具体的な方法を教えたり、実際に自分も帳簿の整理・更新を手伝ったりしている。活動を始めたばかりの頃に協同組合の現状を知り、あまりに帳簿管理ができていないことが判明したため(現状確認のための帳簿すらなかったので確認作業の段階から苦労したのだが)、改善の必要性を熱心に説き、しばらくしてようやくわかってもらえた。この活動は、立派な言い方をすれば「経理指導」だが、意識の高い職員と連携して「一緒に」改善に取り組んでいるのが実際のところである。
もうひとつ大きなウエイトを占めるのが、支援する協同組合のうち1つで発覚した運転資金の紛失にかかる対応である。私が赴任する以前から徐々に協同組合の資金が減少していたことは幹部職員らも疑念を持っていたらしいが疑念の域に過ぎなかったため、私が調査を行ったところ多額の資金が消失していたことが明らかになった。この問題に深く関わることにはためらいもあったものの協同組合内部や配属先で十分な会計の知識をもつ職員がおらず、危機的な状態であったため、コンサルタント的な位置づけで協力することにした。具体的には、具体的な消失額がいくらなのか、経理担当者、出納担当者、事務長、監査役、理事会らはそれぞれの役割をどの程度しっかり果たしていたかなどを報告書としてまとめ、意思決定機関である理事会に報告の上でその後の対応策を委ねている。本レポートを作成している現時点も問題解決の道半ばの状態であるが、理事会に議論を促したりして問題解決のスピードアップも試みているものの、単なる外部から来たボランティアという自分の立場もあるので、意思決定には関わらないように決めている。
このように心労も多い活動であるが、活動で関わる関係者の多くは私の活動に理解を示してくれており、リスクから私を守ってくれている。さらに、協同組合の関係職員の一部は(残念ながら全員というわけではないが)、私が将来的に日本に帰国することを不安に感じつつも自立のために知識を吸収しようと前向きな姿勢をみせてくれており、とてもやりがいを感じている。
活動の様子その1 活動の様子その2
マネージャーと一緒に、トラクター運転手に記録簿 日用品販売事業の収支計算のため、定期的に
の記入方法を説明している。 棚卸しを行っている。
活動の様子その3
年次総会にて昨年度の収支報告を行う。
運転資金の消失も報告事項に含まれていた
ので、かなり厳しい質問が飛び交った。
2.私が感じたフィリピンの特徴とボランティア活動の関係について
このようにある程度ボランティア活動は軌道に乗っているが、日本と比べたフィリピンの特長(長所など)が追い風となっているところもあるし、抑えておくべきフィリピンの特異性(短所など)もある。以下、思いついたキーワードをまとめてみた(あくまでも個人の主観に基づくものなので理解いただきたい)。
【特長(長所など)】
・ホスピタリティに富む国民性である。 ・流暢な英語が話せる人の割合がかなり高い。 ・海外への出稼ぎ労働者が多いことや植民地時代に欧米文化が流入したことなどから、 異文化に対して寛容である。概して欧米文化や日本文化などに敬意を払っている。 ・大学進学率が高く、教育に熱心である。 ・女性が活躍する社会である。 【特異性(短所など)】 ・時間にルーズで、会議が定時に始まることはまれ。ドタキャンもしばしばで予定が立ちにくい。 ・平均的にみると几帳面さに欠け仕事の精度が低い(もちろん人による)。 ・政治の世界では汚職やコネが蔓延している。 ・全般的に仕事が少なく、大部分の人は薄給である(ただし貧富の差も大きい)。 ・交通インフラ・通信インフラが未発達。 【その他の特徴】 ・権威、肩書に弱い。 ・物事をはっきり言わない。 |
下線を引いた部分が特に常日頃感じることであり又は助けられることである。赴任当初は要領がわからずもがいたりストレスをためたりすることもあったが、抑えどころもだいたいわかってきた。はじめは見栄えの良い活動をしたいという欲が全面にでていて空回りしていた感じがあったが公私とも現地のフィリピン人のホスピタリティに助けられる場面が多々あり、素直に恩返しがしたいと感じるように段々なってきた。現場で求められることと自分ができることを見つめなおし、純粋な気持ちで熱意を持って活動に取り組み始めたら、多くの人が活動の意義を理解してくれ、ついてきてくれたりサポートしてくれるようになった。日本でもフィリピンでも、結局のところ、仕事のパフォーマンスを上げることを意識するよりも、助けてくれる周囲の人たちに感謝の念を示すことが大事だと強く感じている。
支援する協同組合の職員のみなさん
たまにいい加減(?)なところもあるが、私の活動
の意味をわかってくれ、会計の改善のために一緒
にがんばっている。
通院していた病院の職員との休日
運悪く交通事故に遭い、現地の病院に
入院(色々大変でした)。
落ち込み気味だった自宅療養期間中に、
気を使ってバーベキューに誘ってくれた。
3.青年海外協力隊の難しさとやりがい
青年海外協力隊では、現地配属先が隊員にどのような活動を期待しているか具体的に記した要請が存在することが前提であるが、実際に赴任して活動先をみてみるとその要請と現実に大きなギャップがあることが多々ある。これは配属先が要請をJICAに提出し実際に隊員が赴任するまでにかなりのタイムラグがある(2年以上かかる場合もある)ことが大きな理由と思われ、特に私の職種である村落開発普及員(現:コミュニティ開発)で要請書の内容と実態のギャップが大きい傾向にある。私の場合はフィリピンの同職種の他の隊員と比べると比較的ギャップは小さかったが、それでもはじめから仕事が用意されているわけではなかった。赴任してから最初の数ヶ月は情報収集が主な仕事で、徐々に活動対象を明らかにして働きかけていくことで、活動を作っていったのである。このプロセスは多くの隊員が共通して経験するものであり、特に村落開発普及員(コミュニティ開発)隊員は必ずしも専門知識・技能を持ち合わせているわけではないので苦労するが、私の場合は経理の経験に自分の強みを見出しこの課題を克服した。
一方、青年海外協力隊としての任期は原則2年(私の場合は1年9ヶ月)であり、現地の人々と長期的に関わって活動できることが強みである。最初は現地の人すべてが私をお客さんとしてしか見てくれなかったが、今ではしっかり人間関係もできている。私の活動ではそれほど難易度の高いことを協同組合に教えているわけではなくて、「当たり前のことを当たり前のようにやる」ことを1つ1つの場面で何度も何度も教えているようなものなので、協同組合職員と私の人間関係ができていないと上手くいかない。このように腰を据えて課題解決にじっくり取り組むことができるのはとても有利なことである。
つまるところ青年海外協力隊というものはボランティアなので自由である。言ってしまえば2年間を無為に過ごすこともできるが、自由であるからこそ、自分が感じた問題意識に正直に活動にまい進することもできる。今与えられているこの環境で、自分の経験を活かし、微力ながら国際貢献に関わることができていることに感謝している。
4.終わりに
私の任地でも、首都マニラでも、台風や地震被害に遭った各地でも、日本がフィリピン社会の発展・安定に貢献できる場面はたくさんあると感じている。青年海外協力隊として経理を教える私の活動もそうであるし、他の技術支援やインフラ建設のための資金貸与など、多面的な支援はフィリピン各地で求められている。ODA(政府開発援助)、NGO等民間団体の活動の別を問わず、日本の国際貢献活動がフィリピン社会の発展・安定に寄与し、感謝され、日比関係の結びつきを強めている。日本では(三重県でも)多くのフィリピン人が生活しているし、日本にとってはフィリピンは地理的にも結びつきが強い。そのようなフィリピンで、日本からの多くの支援を必要としていることを、より多くの人々に理解していただきたいと思う。