みえ国際協力大使 山口征志さんからの活動報告
赴任国:ブータン 職種:建築 2013年1月派遣
私の配属されているブータン王国の紹介と、活動状況の報告をします。
日本でブータンと言えば、国王夫妻が来日されたとか、GNH(国民総幸福量)を提唱した国だ ということが知られています。ブータンの概要であればインターネットですぐ調べることができますので、ここでは1年半ブータンで過ごした私の視点から見たリアルなブータンを紹介します。
ブータン紹介
ブータンに配属されるまでの私の認識は、チベット仏教国で独自の文化を粛々と守っている国、とうがらしを食べる国、秘境の発展途上国、などでした。その認識のとおり、多くのブータン人は敬虔な仏教徒であり、伝統建築が立ち並ぶ町の中、民族衣装を着る人々がとうがらしを食べていました。その一方、少数ではあるがヒンドゥ教徒も生活し、町にはおしゃれな洋服を着た若者がスマートフォンを片手にピザを食べるという光景もありました。発展はしたいが、文化を保つため外国の資本には頼れない、発展への葛藤のようなものをブータンに感じました。他の国と同様に一面的には語れません。
ブータンの人々は私を何度も食事に招いてくれたり、なにかと困ってないか尋ねてきたりと、非常に温かく、豊かな心を持っています。一方、ブータン人は常にドマ(ビンロウジュの実と練った石灰を葉っぱで包んだもので強力な噛みタバコと考えてください)やガムなどを食べている印象があり、廊下や道端にドマや唾を吐いたり、ゴミを捨てたりと、外国人には理解できない行為をします。
また、宗教的、環境的観点から定期的かつ全国的に行われる、ノーカーデイ(車の運転範囲が制限される日)、ドライデイ(酒を売らない、飲まない日)、肉なし月(肉を売らない月)などの制限は非常に興味深く、見習える部分のある慣習だと感じました。
活動状況
私の活動地域であるチラン県のダンプーは首都のティンプーからバスで7時間、標高1600mに位置する人口1500人程度の小さな町です。ブータン国内を東西に横断する幹線道路から南にはずれるため、観光客などの訪問者はほとんどいません。
そんな配属先の要請時のニーズは
(1)同僚とともに公共施設の設計・施工管理全般に携わり、助言、指導を行う。
(2)コンピューターを活用して建築設計、工事費の積算や施工管理などの支援を行う。
(3)建築施工管理に関するノウハウを体系化させ、配属先に残す。
となっていましたが、配属先が私の得意分野が建築設計であることを把握しており、今まで専ら建築設計業務を任されています。
この1年半でいろいろな図面を描きました。例を挙げると、寺院の敷地内にあるイベント時の観覧席2階建てRC造の新築計画、地方の診療所の配置計画、地方の林業事務所兼住宅新築計画、廃棄物処理場の宿舎の新築計画、上水施設の現況配管図作成、フラワーガーデン計画などです。中には純然たる建築家の業務ではないものもありますが、複雑な配管図面が描ける技術者、フラワーガーデンのデザインが出来る技術者がいないため、私が専門外の図面も描いているという状況です。
実際の課題としては、配属先に建築家がいないため建築設計業務が私に丸投げされており、技術移転、指導する対象がいない点です。土木のエンジニアである同僚の建築レベルは学生時代に少し勉強した程度で、このレベルから建築家に育てあげるには日本でも5年以上はかかってしまいます。ブータンではもっとかかるかもしれないし、途中で同僚が転勤してしまう可能性も否定できませんが、図面の描き方などを指導をする過程で少しずつ技術を伝えていけるのではないかと期待しています。
JICAブータン事務所からは、地方に技術力をつけることが配属の一つの目的だと聞きましたが、技術移転、指導する建築家がいないという問題は私一人ではどうしようもなく、それに対しての具体的な取組みは行えていません。また、首都から流れてくる図面ですらレベルが低いので建築分野において地方に技術者を配置するのは時期尚早だった言えます。今後、技術者が配属されるのであれば、首都での技術者への指導、または技術者教育機関での指導が必要だと考えられます。
そもそも現地の人々が自身の技術力不足を気にしていないので、解決する必要があるのかと自問することもありますが、残りの期間も求められた活動を私なりに精一杯行うつもりです。
タクツァン(断崖に建てられた寺院) ブータンの食事
ブータンの町並み1 ブータンの町並み2
プナカゾン(由緒ある県庁兼僧院) 県知事にプレゼンした時の様子
現場での様子 祭りの様子
民族衣装を着て働いています 図面