みえ国際協力大使 加藤里英さんからの活動報告
赴任国:タンザニア 職種:文化財保護 2011年6月派遣
世界遺産キルワキシワニについて
青年海外協力隊員として、タンザニアの自然資源観光省遺跡部にて文化財保護にかかわる活動をしている加藤里英です。タンザニアのリンディー州キルワ県で天然資源環境省の遺跡部キルワ事務所に所属し、働いています。観光開発部門の文化財保護職で派遣されていますので、職場である世界遺産キルワキシワニの遺跡群について紹介したいと思います。
アフリカ、タンザニア
タンザニアはアフリカ大陸の中央東部に位置しています。日本でもよく耳にする「キリマンジャロ」はここタンザニアにあるアフリカ最高峰の山の名前でコーヒーの銘柄としても有名です。私が住んでいるのはリンディ州キルワ県というところで、タンザニアの中でも南東部に位置しています。私が活動のために暮らすキルワ・マソコは、半島の先端にあり三方が海に囲まれた街です。タンザニアのなかでも比較的辺境で田舎です。
キルワ県には島があり、その島には13世紀~19世紀、象牙や金の貿易で栄えた王国がありました。(日本で言うと室町時代から江戸時代にあたります。)その王国の遺跡群が「キルワキシワニとソンゴムナラの遺跡群」として世界遺産に指定されています。
キルワ王国
王国の始まりは10世紀中頃です。今のイランで地震が起こり、当時のスルタン(イスラム教の王様)とその王子たちが何艘もの船に乗って逃げ、その中の1艘がこのキルワ島に到着しました。その船には王子が乗っていたので、王子はこの島のリーダーに島の周囲と同じ長さの布を贈ることでこの島の支配権を手に入れたといわれています。ちなみにキルワ島の周囲は約23キロメートルです。
当時の面影は遺跡でしか偲べませんが、このキルワ王国、じつは東アフリカで一番栄えた王国だったのです。14世紀に訪れた旅人は「諸都市の中でも最も華麗な街の一つであり、もっとも完璧な造りである」と評したそうです。その言葉を裏付けるような大きなモスクの遺跡もあります。このモスクは19世紀まで、サハラ砂漠以南で一番大きなモスクでした。
しかし、西洋列強の侵略などにより、19世紀にこの王国は約900年の歴史に終止符を打ちます。
現在のキルワ島
昔の栄華は夢の跡。かつては白い漆喰がまぶしかったであろう建築物も、「遺跡」と呼ぶにふさわしくなっています。主を失った現在、サンゴを利用して造られているキルワ王国の建築物は、風雨にさらされ劣化が進んでいます。すぐに保護しないといけないほどのダメージを受けており、世界遺産の中でも「危機遺産」の一つに指定され、日本をはじめ多くの国の援助で修復が勧められています。島民も修復に参加しています。
キルワ島へは本土からダウと呼ばれる帆船で行くことができます。風向きによって15分から1時間かかります。現在1200人ほどの人々が住んでおり、島民は漁業で生計を立てています。電気はとおっていませんし、水は井戸の水を利用しています。住民はイスラム教徒です。大陸側の港からすぐに望める位置にあるにも関わらず、キルワ王国の名残なのでしょうか、一歩、島に足を踏み入れると大陸側にはない、独特の雰囲気が漂います。
タンザニアでは日本と比べて時間がゆっくりと流れているのですが、キルワではさらにたゆたうような時間が流れています。ある観光客が「ユネスコの世界遺産があるのだからクレジットカードが使えると思った。」という発言をしていました。残念ながらクレジットカードを使うどころか、ここキルワには両替商すらありません。でも人々は鷹揚に、細かいことは気にせず(時には大きなことも気にせず)毎日楽しそうに過ごしている、ここはそんな場所です。
【参考文献】 中村亮 「滅亡したキルワ王国の石造遺跡と遺跡をめぐる信仰」『アフリカ伝統王国研究Ⅲ』名古屋大学 2006年
写真:ダウ船、キルワ島から大陸を望む
写真:島民による遺跡の修復
写真:建築物に使われているサンゴ岩
写真:19世紀までサハラ以南で一番大きかったモスク
写真:モスクの内部1
写真:モスクの内部2
写真:世界遺産の遺跡で島民の家畜であるヤギが一休み
(この島ではよくある風景)
写真:島の玄関、ゲレザ(要塞)遺跡