みえ国際協力大使 右田 敬さんからの活動報告
赴任国:ネパール
職種:エイズ対策 2008年3月派遣
ネパールでの活動と生活
日本を離れ一年が過ぎ、ゆったり時間が流れているネパールでの活動も折り返しとなりました。振り返れば長かったような、早かったような一年でした。
私の配属先は、ネパールの首都カトマンドゥの東隣の町バクタプル内のサノティミ技術訓練校という学校で、最近の車に使用されている新しい技術の紹介や授業のサポートなどをしています。
この技術訓練校には私が所属している自動車科をはじめ、二輪自動車科、機械工作科、製図科、印刷科などがあり、経済的に恵まれていない15歳から20歳程度の子供達を対象に技術指導を行っています。
現在、教員・スタッフ数約60名、生徒300名ほどおり、ネパールでも規模の大きいほうの訓練校です。
ただ、ネパールの中では比較的大きいとはいえ、日本の訓練校に比べれば規模は小さく、設備も古かったり、過去に様々な国から援助された機器・工具・部品などもほとんどが壊れていたり作動不能となっていたりと満足のいく状態ではありません。
そういった状況のため、日々再生可能な機器の修理や、同僚教員と現在ある物をなんとか利用しアイデアを出し合って授業で使えそうな物の作成などをしています。また、教科書が存在していないうえに資料といったものも不足しているため、資料も同僚と共に作成しています。
同僚教員らとの勉強会も空いた時間を利用し度々行うのですが、口頭のみでの説明ということもしばしばあり、自分の言葉の問題も絡んで、うまく伝えられてなかったり、お互いが勘違いしていたりといった事も起こります。これで授業に出て大丈夫なのだろうか?とも思うのですが、同僚は「何とかなるさ」と言い、そしてどういう訳だか何とかなっています。ただこれも、1人の熱心な教員がいて、彼のフォローのおかげでもあるのですが。
仕事がオフになった時、時々同僚に誘われて近所のお店に食事に行く事があります。
ほとんどがチヤ(ミルクティー)とカジャ(軽食)を囲んで1時間ほどの仕事の反省会や雑談で解散となるのですが、まれにチャン(濁酒)・ラクシー(ネパール焼酎)・トゥンバ(発酵させた粟を湯に浸した物)といったお酒も出てくる事があり、日本で云うところの「飲みニケーション」がスタートします。
こうなるとふだん話さないようなネパールの事、家庭の事、仕事の不満、将来の希望・夢、なんだかよく解らない愚痴、難度が高くて理解できない冗談などが次々と飛び交い、意外な一面や各々が抱えている問題、心中にある事などを知ることがあります。こういった場面で言いたかった事を吐き出す、これは日本と同じだな、とも思ったものです。
休日になると誘われて同僚宅に遊びに行く事があります。
我が校の教員達のほとんどが田舎から上京してきた人達で、お邪魔しに行った時は自分の故郷の話をいろいろしてくれます。
ネパールの産業の約8割は農業と聞いており、やはり彼らの故郷も田園風景が広がっているらしく、首都に比べればのんびりしていて人も穏やかで住み良い所だ、一度遊びに来いよ、と誘ってくれます。
私も故郷‘三重’の話をします。同じように田園風景が広がっているとか、海があるといった話などをします。ネパールには海が無いため海の話は興味があるらしく、いろいろな質問を浴びせかけてきます。海の水は飲めるのか?海の中に生えている木(珊瑚の事)は食べられるのか?日本人はあの大きな魚(鯨の事)・Hうらしいが本当か?大きな波(津波の事)が来た時は大丈夫なのか(インドネシア沖の地震による津波被害はネパールの人達にもかなり衝撃的な事件だったそうです)?などなど。
同僚宅に誘われた時は、会話が盛り上がったところで食事が出てきます。ネパールを代表する料理はダルバート。
ダル(豆のスープ)とバート(ごはん)におかず数品と漬物が付いた料理です。日本の、ご飯・味噌汁・おかず・漬物に相当するもので、食事と言えばどこの家庭もダルバートが出ます。そして、ともかく腹いっぱい食べさせてくれます。「もうお腹いっぱい」と言っても、笑顔で盛り付けてくれます。そして食後、1,2時間は身動きがとれなくなります。
ネパールは、ヒマラヤ山脈の麓に広がる日本の5分の2ほどの広さの国で、高所はかの有名なエベレストの8848m(ネパール政府が主張している標高)から低所は南部地方の約60mと高低差の大きい国でもあります。
私の住んでいるバクタプルを含めたカトマンドゥ盆地は標高1400m前後のところに位置し、日本の沖縄とほぼ同緯度上ではありますが、夏場は三重に比べ過ごしやすく冬場の夜は底冷えのする所であります。雨季と乾季があり、日本ほどはっきりはしていないものの四季もあって、寒さが緩みだす2月には数は少ないですが桜も咲きます。
ネパールに来る前、「日々ヒマラヤが眺められて素敵ではないか。」と思っていたのですが、残念ながら我が家のあるエリアからは毎日拝む事はできません。ヒマラヤ山系の手前に一回り低い山脈群があり(ネパールの方々はこれらの山脈を、‘丘’と言ってますが)、それらが壁となっており条件が揃わないと見えないのです。
ごくまれにはっきり見えたときは「でかい!」と言ってしまうほどの白壁がそびえ立っており、今日は何かいい事あるかも、と思ってしまいます。
早朝のお祈りを欠かさず、家族の長老を絶対的存在とし、住んでいる地区の全員が友人知人であり、私みたいな外国人ですら会ってすぐにお茶に誘ってくれたりと人懐っこい部分もある、日本で失いつつあるものを今尚持ち続けているネパール。
物に溢れ、彼らから見れば裕福な暮らしをしていた日本人が、この地に来て技術指導や最新技術の紹介といった事をしているわけですが、反面、自分も様々な事を教えられているといった事を感じ得ずにはいられません。