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令和04年01月12日

「人権が大事にされる学校づくり」(講演記録)

 「人権が大事にされる学校づくり」のためには、今、何をすべきなのでしょうか。多くの経験をお持ちの桒原成壽さんをお迎えし、変化の激しい社会情勢の中で、子どもたちの自己実現につながる取組がなされるよう、人権教育が積み重ねてきたものを再確認しながら具体的なご提案をいただきました。
 本講演は、「2021(令和3)年度人権教育推進管理職研修会」の中で小・中学校等の管理職の先生方を対象に行ったものですが、すべての学校教育関係者にとって示唆に富んだ内容が含まれているものです。自校で「人権が大事にされる学校づくり」に取り組むための研修資料として、ご活用ください。
 (なお、上記の研修会は、新型コロナウイルスへの感染拡大防止のため、2021年5月17日~6月18日の期間にオンライン動画を視聴する形で実施しました。)



2021(令和3)年度 人権教育推進管理職研修会 講演記録

 人権が大事にされる学校づくり ~特に、校長先生の役割を意識して~

                                講師 桒原 成壽さん

              プロフィール :元伊賀市立柘植小学校長、元伊賀市立柘植中学校長
                    元文部科学省「学校教育における人権教育調査研究協力者会議」委員
                                  伊賀市教育委員会人権教育アドバイザー(2021年現在)
                                                                                                          桒原先生の画像
                
        

1.はじめに  ~人権教育・同和教育を、自信を持って進めましょう~

   私は、伊賀市の柘植中学校の校長を最後として、8年前に定年退職しました。柘植中学校には退職までの3年間お世話になり、その前の6年間は柘植中学校と1小学校1中学校の関係にある柘植小学校で校長をしておりました。そのため、私が柘植小学校に校長として着任したとき柘植小学校に入学した子どもは、義務教育の9年間、校長というのを私しか知りません。その子どもたちからは、「何でなん。おれら、いっぺんでええから違う校長先生の顔見たいわ」とよく言われたものです。一方、私としては、9年間、同じ集団の子どもたちを見続けることができたという、おそらく三重県の中でも非常に稀な貴重な経験をさせていただきました。
   また私にとって、柘植小学校は20年ほど前に勤務した学校でもありました。およそ20年を経て校長として柘植小学校に着任し、当時の小学生や中学生が保護者になり、保護者がじいちゃん、ばあちゃんになっている姿に出会いました。同じ子どもたちを9年間見続けてきたことと、かつての子どもや保護者の20年後の姿に出会ったことが、私の課題意識の背景になっていると思います。それは、人権教育や同和教育の言葉を使えば、「進路保障の重さ」を実感することになったということです。
 

(1)人権教育施策の現状をふまえる

 さて最初は、人権教育施策の今に至る流れや現状をふまえ、そのうえで人権教育や同和教育を自信を持ってしっかり進めて行きましょう、というお話しをさせてもらいます。
 2000年に「人権教育啓発推進法(人権教育及び人権啓発の推進に関する法律)」が施行され、昨年の12月6日で20年が経過しました。この法律ができたことにより、人権教育や啓発を進めて行くことがオーソライズされました。つまり、人権教育や啓発の推進に法的根拠を持つ時代に入りました。違う言い方をすれば、人権教育を「しなくても許される時代」から「しなくてはいけない時代」になったのです。
 そして、この法律を受けて2002年に「人権教育・啓発に関する基本計画」が閣議決定されます。そこでは、「人権教育・啓発の重要性については、これをどんなに強調してもし過ぎることはない」とし、人権教育を総合的かつ効果的に推進するため、内容・手法に関する調査・研究の必要性が示されました。
 それを受けて文部科学省(以下「文科省」)内に14名の委員で「人権教育の指導方法等の在り方に関する調査研究会議」が立ち上げられました。この「調査研究会議」によって、「人権教育の指導方法等の在り方について」がとりまとめられ、2004年、2006年、2008年に、それぞれ[第一次とりまとめ]、[第二次とりまとめ]、[第三次とりまとめ]として公表されました。特に、2008年の[第三次とりまとめ]は、当時、全国約40,000校の幼稚園、小・中学校、高校、特別支援学校に配付されて、現在も人権教育の進め方についての「手引き書」になっています。
   各都道府県教育委員会や市町村教育委員会もこの[第三次とりまとめ]を受けて、人権教育の基本方針を策定、改定してきました。その文科省の「調査研究会議」に私も2009年の頃から入れていただいていたのですが、会議自体は2015年度末でいったん打ち切りになりました。2017年1月からは、「学校教育における人権教育調査研究協力者会議」という名称の会議が新たに立ち上げられ、私は引き続きその委員の一人として、2020年まで参加させていただきました。
 一方で、2016年には「障がい者差別」「ヘイトスピーチ」「部落差別」の解消に関する法律、いわゆる差別解消三法が施行されました。これら差別解消三法に共通しているのは、それらの差別が今も現存しているということを認めたうえで、「その被差別の当事者に向けての取組」というよりも「その人々を取り巻く周囲の人々や子どもに向けての取組」を求めている、という内容です。
 例えば、同和問題・部落問題を例にすると、今も部落差別が依然として残っていることを認めるとともに、学校教育に対し、校区に被差別部落がある・ないに関係なく、すべての学校において、部落問題を解決するための教育を求めています。すべての子どもたちが部落問題を「自分に関わる問題」「自分事」として捉えることのできる教育が求められています。そのような時代に入っています。
 
 国(文部科学省)における人権教育施策の流れ

 2000年12月  「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」制定
 2002年        「人権教育・啓発に関する基本計画」閣議決定
 2003年        「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」スタート
 2008年    「人権教育の指導方法等の在り方について」[第三次とりまとめ]公表
 2009年    [第三次とりまとめ]を受けての「取り組み状況調査」結果公表
 2011年~   全国の「特色ある実践事例」をホームページで公開
 2013年    [第三次とりまとめ]を受けての「取り組み状況調査」結果公表
 2016年3月   「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」打ち切り
 2016年4月   「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」施行
 2016年6月   「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」
                                           施行
 2016年12月 「部落差別の解消の推進に関する法律」施行
 2017年1月   「学校教育における人権教育調査研究協力者会議」スタート
 

  

(2)学習指導要領における人権教育の位置づけを認識する

  次にお話しするのは、学習指導要領と人権教育との関係です。下に示したものは、小学校の学習指導要領の前文の抜粋です。中学校や高校の学習指導要領の前文にも、ほぼ同様の記述があります。
 太字の部分はまさに人権教育そのものです。このことを教えていただいたのが、文科省の濵野さんという視学官でした。視学官というのは文科省の役職の1つで、県で言うと指導主事のような立場にある人です。濵野さんが参加されていた協力者会議で、私以外の委員から「濵野先生がおっしゃることは、人権教育は学習指導要領の上にある、ということですね」という質問や、「濵野先生のお話しは、文科省の教育課程課(=教育課程の原案をつくっているところ)も了解しているのですか」という質問が出されました。その時に濵野さんは、「もちろん、指導主事会議の中でお話しさせていただく内容は、教育課程課ともしっかりすり合わせをしたうえでのものです」と言われていました。また別の場面では、「人権教育の大事さは新しい学習指導要領の一丁目一番地のところに書いてある」という言い方もされました。つまり、学習指導要領の中には「人権教育」という言葉こそ使われていませんが、「人権教育は学習指導要領の上にある」と文科省も考えているのです。ですから、その認識のもと、自信を持って、しっかり人権教育に取り組んでいただきたいと思います。
 
 「小学校学習指導要領」前文より

  教育は、教育基本法第1条に定めるとおり、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び    
     ・・・(中略)・・・
  これからの学校には、こうした教育の目的及び目標の達成を目指しつつ、一人一人の児童が、自    
 分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値ある存在として尊重し、多様な人々と 
 協働しながら様々な社会変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手になる
 ことができるようにすることが求められる。
   このために必要な教育の在り方を具体化するのが、各学校において教育の内容等を組織的かつ計 
 画的に組み立てられた教育課程である。・・・(以下 略)
 

 

2.特に管理職の生方にとって重要な2つのこと

 ここからは、特に管理職の先生方にとって重要である次の2点についてお話しします。1つは、「子どもや保護者の現状(社会状況の投影)を読み解く」という点。もう1つは、「教職員の育成と、人権教育に関わる教育内容の最低限の共通理解」に関する点です。
 

(1)子どもたちや保護者の現状(社会状況)を読み解くこと ~子どもの貧困を例に~

 次に示したのは、3年に一回の「国民生活基礎調査」の結果です。昨年(2020年)の7月に公表されました。今、日本の子どもの貧困率は、13.5%、およそ7人に1人という結果です。仮に700人規模の学校ですと、貧困状態に置かれている子どもが100人いる、という割合です。
  厚生労働省「国民生活基礎調査」より

 ・2020年7月17日公表(2018年調査)
    子どもの貧困率 13.5%、ひとり親家庭の貧困率 48.1%
 ・前回調査 2017年公表(2015年調査)
    子どもの貧困率 13.9%、ひとり親家庭の貧困率 50.8%
 
 
 私は、いろいろな研修会で、特に学校の先生方に、「子どもの貧困率が13.5%、700人規模の学校なら100人いるという割合ですが、自分の学校にそのくらいいるよと思われる方、手を挙げていただけますか」とお聞きしてきました。手を挙げる人は非常に少数です。多くの先生方が「自分の学校にはそんなにいない」と思われている、ということです。
 ちなみに皆さんは、ご自分が勤務する学校に「7人に1人」の割合で貧困状態の子どもがいると感じられるでしょうか。また、皆さんの学校の先生方は、どのように受けとめておられるでしょうか。一度、職員会議等で話題にしていただくのもよいと思います。
 「貧困状態にある子ども」と聞いて、TV広告に出てくるような「肩に甕(かめ)をかついで水を運んでいる子ども」や「学校に片道3時間かけて通っている子ども」、さらには「ストリート・チルドレンのような子ども」をイメージしてしまうと、「うちの学校に7人に1人もいるわけない」と思ってしまいかねません。しかし、家庭の経済状況によって、子どもの生活経験は大きく違ってきます。大切なことは、先生たちが学校やクラスの中で見える子どもの姿だけでなく、家庭の経済的な事情が子どもの暮らしにどのような影響を与えているのかを見ていくということです。
 今、三重県教育委員会は、文科省の人権教育の研究指定や総合推進地域事業を受けている学校に対して、「教育的に不利な環境のもとにある子どもたちをはじめ、すべての子どもたちの学力・進路保障」を目的として取組を進めています。私も、この事業の監修者をさせていただいている関係で、ここ数年、授業研究会や公開発表会に参加してきました。その中で、授業や指導案を見せていただいても、子どもや保護者の現状がなかなか理解できていないのでは、と思われる状況があります。大半の指導案には「気になる子ども」や「視点児童・視点生徒」、学校によっては「心を寄せる子ども」や「核にする子ども」などの表現で、特に先生が注視している子どものことが記述されています。三重県教育委員会では、そのような子どもを、「教育的に不利な環境のもとにある子ども」と表現しています。ところが、指導案を何度読んでも、どうしてその子どもが「教育的に不利な環境のもとにある子ども」なのか、よく分からないということがしばしばありました。もう少し具体的に言います。「視点児童」や「視点生徒」としてあげられているその子のクラスでの様子や勉強のこと、友だちとの関係、先生とその子どもとの話し込みなどは書かれているのですが、その子の家庭での暮らしぶりや保護者の暮らしぶりがどうであるのか、どのような生育歴で過去からどのような生活環境の中で暮らしている子どもなのか、あるいは、今日の社会状況がもたらすどんな困難や社会の矛盾を背負って学校にきている子どもなのか、そういったことが分からないわけです。「(子どもの背景にある)教育的に不利な環境」というのは、学校やクラスの中での子どもの様子を見るだけではわかりません。地域や家庭の暮らしの中で子どもが、様々な不利や抑圧、周囲の偏見や差別を、どのように背負わされているのか。先生方はそれを捉える必要があります。人権教育や同和教育の言葉で言えば「差別の現実が見えているのか」「差別の現実から深く学べているのか」ということにもなります。
 こうした実情は、三重県だけの話ではありません。2019年6月に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が改正されました。特に、貧困対策の計画策定の努力義務を、個々の家庭にとって身近な市町村にまで広げることにより、支援を強化することや、ひとり親家庭の貧困率、生活保護世帯の子どもの大学進学率を改善の指標とすることが定められています。この改正法が施行されたことは、翌日の新聞各紙で報道され、その中で、貧困対策に先駆的な取組をしている、近畿地方のある地方自治体の例が紹介されました。ただ、その自治体には、支援を必要とする小・中学生が477人いたにもかかわらず、学校側が把握していたのは265人でした。つまり、200人あまりの子どもが把握されていなかったということです。把握をされていないということは、子どもたちの姿や背景を見据えた取組が行われないということにもなりかねません。この自治体は、学校教育における人権教育・同和教育の推進においても、また、人権のまちづくりにおいても、全人教(全国人権教育研究協議会)の研究大会の中で、様々に視点や実践を示していただいてきたところでした。そこにおいてさえ、このような状況があるのです。
 子どもの貧困の問題については、2013年に行われた全国学力・学習状況調査の「きめ細かい調査」や2017年の「保護者に対する調査」で、家庭の社会的・経済的背景の影響が子どもの学力の格差として現れていることが明らかにされています。中学校や高校では、子どもの部活動の参加状況に影響していることも分かっています。貧困は、学習意欲や友だちとの関係など、学校やクラスの中での子どもの姿に現れることもあります。また、家庭においては、宿題の仕方や家族との会話、さらには休み中の過ごし方や保護者の子育てに関する悩みやイライラとも関わっています。さらに生活経験一つとっても、いろいろな影響が現れてくることがあります。小学校2年生の子どもに、「知っている仕事、全部言ってみよう」と促すと、ある子どもは20以上言えましたが、ある子どもは母親とおばあちゃんの仕事の2つしか言えませんでした。またある子どもは、中学校2年生の時、市外の中学校との交流会で初めて海に入り、知識としては知っていた海の水は塩辛いということをそこで初めて実感しました。他にも、10年以上前の修学旅行での話ですが、観光バスの進行に合わせて開くETCゲートを初めて見て、びっくりした表情で担任の先生の顔を見た子どももいました。教育的に不利な環境のもとにある子どもに関して言うと、そのご家庭が高い割合で就学援助や生活保護を受給しているという状況があります。「子どもの貧困」という現在社会問題になっている状況も、教育的に不利な環境のもとにある子どもにより集中して現れてくるということを、いつも感じます。
 先生にとって、ある子どもが気になる。その「わけ」を、家庭での暮らしにまで目を向けて見ようとしているのか、「子どものせい」「親のせい」だけにしていないかということを今一度、ふり返って点検していただきたいと思います。今のコロナウイルスの影響が、子どもたちの現在の暮らしだけでなく、将来の展望に関わって、今後どのような影響を及ぼしていくのかも気になるところです。
 
 ◆子どもや保護者の現状をつかむ家庭訪問の重要性
 そこで、改めて見直していただきたいのが家庭訪問です。人権教育や同和教育を進めるうえで、昔から「家庭訪問が大事だ」と言われてきました。最近では教職員の「働き方改革」の中で、「家庭訪問の時間の確保をどうするのか」という課題も生じてはいますが、それでも実践報告や指導案などを読んでいると、先生方が家庭訪問を行っていることがよく記述されています。しかし、その中で気になるのは、家庭訪問の目的やその意義が何であるかということです。この点については、一度職場の中でも議論をしてみてください。というのも、書かれている家庭訪問の内容が「子どもや保護者と話しこんだ」「先生の思いを伝えた」というものがほとんどだからです。
 家庭訪問は目的や意義を考えると、およそ次の4つに大別できると思います。
 1つめは、生徒指導上の課題なども含め、保護者に伝える必要があるときに行くというものです。「教育」は「今日、行く」と言われるような家庭訪問です。
 2つめは、子どもや保護者の気持ちや願いを聞いたり、先生の思いを伝えたりして、子どもや保護者との信頼関係を築いていくための家庭訪問です。
 3つめは、子どもや保護者の暮らしの現実に出会う機会としての家庭訪問です。「差別の現実を明らかにする」ような家庭訪問です。
 4つめは、出会った現実をもとに、教育として子どもに「生きる力」を獲得させるために行う家庭訪問です。つまり「差別の現実から深く学び、生活を高め、未来を保障する」ための取組です。
 これらの中で、どうも1つめや2つめに重きが置かれているような気がします。それらはもちろん必要ですが、「教育的に不利な環境のもとにある子どもの学力や進路を保障する」ということを考えたときに、やはり重要になってくるのは、3つめ、4つめの家庭訪問だと思います。しかしながら、近年こういった家庭訪問が各学校の取組において行われなくなってきているように感じます。
 
 ◆子どもや保護者の現状から教育課題を捉えた実践事例
 そこで特に上記4つめの家庭訪問にかかわって、実際の授業を例に、「生きる力」を獲得させるための教育活動の大切さについてお話しします。
 小学校の低学年で、「おうちの人の仕事」という題材の授業があります。家族の誰かの仕事に焦点をあてて、その仕事が自分たちの暮らしを支えているものであることに子どもなりに気づいたり、クラスの中で交流することを通して家族形態や仕事によってそれぞれの家庭の違いがあると感じたり、さらには、その家族の子どもに寄せる愛情を子ども自身が感じたりしてほしいというねらいを持って取り組まれることが多い題材です。
 見せていただいた2年生の授業では、授業の最初に一人の子どもが「ままはかみの毛をくくるのが上手」という題の日記を読みました。その子どもは、お母さんと、おばあちゃんの3人暮らしです。お母さんはホテルで働いており、夜の9時に家を出て行き、翌朝の6時に帰ってきます。それでも、その子が起きる6時20分には、仕事着のままで朝ご飯をつくってくれます。一緒にご飯を食べた後、お母さんは「7時25分に起こして」と言ってしばらく寝ます。その子は、お母さんが寝ている間に歯をみがいたり、着替えたりするのですが、7時25分になるとお母さんを起こします。お母さんはその子が学校に行く前に「今日は、どの色のゴムにする」と言って、その子の髪の毛をくくってくれます。わずか30秒ほどの時間です。そして、7時28分になったら、「行ってきます」と言って学校に出かけます、という日記です。毎晩、暮らしを支えるために夜にホテルで勤務をし、子どもと一緒に過ごすことができないという家庭の状況と、その中にあって、わずか30秒ほどの時間ですが子どもに「毎日、違った色のゴムで髪の毛をくくる」というお母さんの子どもに寄せる愛情が、感じられる日記です。
 この日記は、最終的には子ども本人が書いたものではありますが、「お母さんの仕事や子どもに寄せる愛情を実感する」というねらいを持って、生活の一場面を切り取りクローズアップすることは、小学校2年生の子どもが一人でできることではあリません。担任の先生が、その子の暮らしとお母さんのその子に寄せる気持ちや仕事の内容を知っているからこそ、書かせることができたのです。ここには、4つめの教育活動としての家庭訪問の積み重ねが感じられます。この授業のために家庭訪問をして子どもの暮らしを把握したのではなく、それまでの家庭訪問の積み重ねがこの授業に反映されている、と感じられる取組です。わずか30秒の時間とはいえ、夜勤明けのお母さんが、出かける前の子どもに毎日違った色のゴムで髪の毛をくくってあげる姿に、お母さんのその子に寄せる愛情が現れています。そこを切り取ることで生まれた、その子自身がかけがえのない存在であることをその子に実感させたいと願う実践だったのです。
  このように、教育的に不利な環境のもとにある子どもに「生きる力」を獲得させ、エンパワメントすることにつながる家庭訪問を大事にしてほしいと思います。
 
 ◆子どもを育ちの連続性の中で捉える必要性
 もう1つお話ししたいことは、子どもたちの生活は連続しているということです。小学校1年生の時に就学援助を受けていた子どもの大半は、中学3年生でもその状況が変わっていません。おそらく、小学校に入る以前からその状況があり、中学を卒業してからもその状況が続いていることが多いと思います。「差別と貧困の世代間の連鎖」、つまり、親から子へだけでなく、放っておくと子から孫へと連鎖し、固定化することもしばしばあるということです。
 先生方は「一年間が勝負だ」とよく言われます。そして、現在のその子どもの様子を一生懸命見ようとします。学校やクラスで見せる姿、勉強のことや友だちとの関係はもちろんのこと、家庭訪問を通してその子の暮らしぶりも見ていこうとします。ところが、今の状況は一生懸命見るのですが、その今の状況の背景にその子やその家庭・保護者の過去の暮らしがあり、さらには、その暮らしが未来につながっていくということ、つまり、子どもたちの生活を連続性の中で捉えるという視点を持っている先生は少ないように思います。
 一方で、長い間、地域の人権センターや教育集会所にお勤めの方でしたら、保育園の頃から連続してその子どもを見ている方もいます。さらには、その子どもの姿を、保護者の過去やそれまでの暮らしぶりと重ねて見ている方もいます。そういった立場の方々の中には、「学校の先生は、どこまでその子どもの生いたちを見ているのか」、さらには「将来を考えてくれているのだろうか」と思われるような方もいるのではないでしょうか。
 ぜひ管理職の先生方には、子どもの育ちは連続しているという視点を持っていただきたいと思います。その視点を持つことが、子どもたちの学力・進路保障につながったり、学年を超えた学校づくりにつながったり、ひいては、校種間連携の大事さを意識したり、学校と家庭・地域の連携につながっていったりするように思います。
  では、そのために「何をしていけばいいのか」ということについて話を進めていきたいと思います。
 
 

(2)教職員の育成と、人権教育に関わる教育内容の最低限の共通理解

 さて、三重県では、この10年ほどの間に、約4割の教職員が入れ替わっており、急速な世代交代が進んでいます。この世代交代の流れは、法的根拠を持って人権教育や同和教育を推進する時代にあって、大きな課題になっています。私はこの課題を前に、次のような危惧を持っています。
 ・20代~30代の先生たちの、小・中学校及び高校時代に人権教育や同和教育を受けた経験が減少 
  しているのではないか、という危惧
 ・大学などで人権問題や同和問題の講座を受けないまま先生になっているのではないか、という
  危惧
 ・その結果、若い世代の教職員に人権教育や同和教育を進めて行くうえで大事にしたい同和教育
  の理念や教訓がうまく引き継がれていないのではないか、という危惧
 
 
 部落問題を例に挙げてお話しします。次の資料は、2012年と2020年に公表された「人権問題に関する県民意識調査」の抜粋です。これまでの学習経験の有無を聞いています。「あなたは学校や職場、地域で同和問題についての学習を受けたことがありますか」という質問に対する回答は、ご覧のような結果でした。
 「人権問題に関する三重県民意識調査」結果より

 「あなたは、学校や職場、地域で同和問題についての学習を受けたことがありますか」
 という問いに対し、「受けたことがない」と回答した人の割合
 
 <2012年>
  70才以上 51.0%     60才以上 40.7%    50才以上 24.9%
  40才以上 19.0%     30才以上 16.3%    20才以上 16.6%
 <2020年>
  70才以上 44.2%     60才以上 39.4%    50才以上 29.1%
  40才以上 18.0%     30才以上 19.4%    20才以上 14.4%
 
 
また、以下の資料は、2012年と2017年に内閣府が行なった「人権擁護に関する意識調査」の抜粋です。
 「人権擁護に関する意識調査」(内閣府)より

 同和問題を「知らない」と回答した人の割合
 <2012年>
      60才代 17.7%     50才代 17.1%  20才代 30.5%
 <2017年>
  60才代 17.1%     50才代 14.3%  20才代 30.2%
 
 
 学校の社会科の教科書に「部落の歴史」が初めて記述されたのは、1972年の中学校の教科書からです。その翌年には高校の教科書にも記述され、その後の教科書改訂の際に小学校の教科書へも拡がりました。今から50年ほど前のことです。当時13才、14才以下の年齢だった人は、教科書記述を通して、何らかの学習を受けているはずだということです。年齢が若くなるにつれて部落問題についての学習経験も多くなってくると思うのですが、2012年の三重県民意識調査の結果を見ると、20代と30代で、部落問題についての学習を受けたことがないと回答した人の割合がわずかですが逆転し、20代の方がその学習経験が少ないという結果が出ています。2020年の調査でも、そのまま8年の経過を反映して、30代と40代で学習経験の割合が逆転しています。この2つの意識調査からうかがえるのは、同和対策事業に関連する法律が失効した2002年以降、学習が低調になった可能性があるということです。
 さらに、内閣府の意識調査を見ると、2012年、2017年とも、20代のおよそ3割の人が「同和問題を知らない」と答えており、2002年から「部落差別解消推進法」が制定される2016年までの期間、部落問題ついての学習状況はどうであったのかということが懸念されます。三重県においても、小・中学校、高校の頃に学習経験を持っている若い先生が少なくなっているのではないかという心配があります。最近、教職員の意識調査を行った兵庫県や福岡県でも同じような傾向にあることが報告されています。
 それでも、「学校の先生になったのだから、大学時代などに人権教育や同和教育の勉強をしてきたのではないか」という意見もあると思います。そこで次に、学校の先生になった人たちの大学や短大などでの学習経験について見てみたいと思います。
 
 「新規採用教職員・転入教職員アンケート」(2016年)より

  次の項目は、私が人権・同和教育を進めていく際に、少なくとも知っておいてほしいと考えるも  
 のです。これらの項目について、子どもや保護者・住民に「およそ」で結構ですので、説明できる 
 かできないか、どちらかに○印をつけてください。
                                                                                  〇:説明できる ×:説明できない

 ・子どもの権利条約の批准                【〇:22%、  ×:78%】
 ・同和対策事業特別措置法はじまる            【〇:12%、  ×:88%】
 ・「人権教育のための国連10年」スタート        【〇:10%、  ×:90%】
 ・全国高等学校統一用紙(統一応募用紙)の制定      【〇:20%、  ×:80%】
 ・教科書無償化の開始                  【〇:44%、  ×:56%】
 ・[第三次とりまとめ]                    【〇:10%、  ×:90%】
 ・「今日も机にあの子がいない」             【〇:12%、  ×:88%】
 ・「部落地名総鑑」発覚                 【〇:18%、  ×:82%】
 ・識字学級                       【〇:42%、  ×:58%】
 ・人権教育・啓発推進法の制定              【〇: 2%、  ×:98%】
 
 
 これは、私が関わっている市に初めて配属された新規採用の先生や転入教職員の方を対象とする研修会で、私がお願いしているアンケートの結果を抜粋したものです。2016年の資料ですが、毎年数字はさほど変わりません。 保護者との懇談会や子どもたちに授業をするときに、特に必要になってくると思われる項目や少なくとも知っておいてほしいと思う事柄について、人に説明できるか否かを聞いています。教職員の人権感覚が重要だとはいうものの、一定の基本的な知識・理解を持っていないと、その人権感覚さえも危ういものになってしまう、と私は思っています。
 ここに表れた結果は、三重県の1つの市に勤務する教職員だけにあてはまるものではありません。例えば、福岡県で実施された同様の調査でも、若い先生の傾向として、「教職員として身につけておくべき知識を『人に説明できる』とした割合が極めて低い」という結果があります。
 また、調査をした市では、その研修会の際に、新採の先生たちの大学等での人権教育や同和教育の学習経験も併せて聞いています。そうすると、大学時代に人権に関する学習経験を持っている先生が非常に少ないことに驚かされます。「『人権学習や部落問題学習の進め方』や、『なかまづくり・集団づくりをどのように進めたらいいのか』、などの学習を経験された方はどのくらいいますか」というような質問をすると、ほとんどそれに該当する方がいないという状況です。
 つまり、人権教育や同和教育について学ばなくても先生になれているというのが現状です。そして、その若い先生たちが4月早々に、担任として「なかまづくり」や人権学習・部落問題学習を進めていくことを求められている、ということです。その際、一定の知識を持っていないということは、往々にして「差別の結果」として現れる状況の原因を差別される側に求めてしまうという心配もあります。
 一方で、このアンケートの結果は、大学での学習経験だけが反映されている訳ではありません。私は、三重県内外のいくつかの研修会でも、同じアンケートをお願いしてきました。それらは、各学校の人権教育担当の方が参加される研修会です。参加された方は若い先生とは限りません。そのアンケート結果を見てみると、ほとんどの項目で「説明できる」と回答した人の割合が、私が関わる市に勤める先生よりも下回る傾向にありました。例えば、項目の1つとしてあげてある「統一応募用紙」について「説明できる」と回答した人がほぼいないということもありました。そのことは、これらの言葉が校内研修や日頃の取組の中であまり話題になっていない、ということを表していると思います。逆に、新規採用の先生であっても、また、大学で学習経験がなくても、「説明できる」と答えた方は、赴任してから職場の中でそれらの言葉に触れることがあったということでしょう。つまり、職場の中で若い先生を育てていくことが極めて重要になっているということです。
 

 

3.「なかまづくり」の取組から考える

 上記のような、若い先生の小・中学校時代や大学等での学習経験の少なさや、赴任してから学習経験があったかどうかは、教員として人権教育や同和教育で大事にしたいこと、例えば「なかまづくり」などにも影響してきます。
 人権学習や部落問題学習を、知識的な側面だけでなく、価値的・態度的側面、つまり「自分事」「その子の隣に座っている、自分に関わる問題」として考えさせるためには、学習に至るまでの「なかまづくり」は非常に重要です。しかし、「なかまづくり」は、学校の中で共通理解の難しいことの1つです。私の経験から言うと、どの先生も「なかまづくり・学級集団づくりは大事や」と言うのですが、そのイメージや取組の手法は、人によって随分違いがあるような気がします。子どもたちのどんな関係が「なかまづくり」としての姿なのかというイメージや、そのための手だてなどが、個々の先生によって異なっているのではないでしょうか。例えば、小学校を例にすると、「相手の気持ちを考えましょう」という声掛けや、また「いいとこ見つけをしましょう」「今日のキラキラさんを見つけましょう」という取組によって、「なかまづくり」ができたり、子どもの自尊感情を高めることになったりすると考える先生がいます。その一方で、「そんなこともあるかもしれんけど、何でも言いあえる関係こそが、なかまなんや」「自分の暮らしにある気になることやしんどいことも言いあえる関係こそが大事なんや」と考える先生もいます。つまり、繰り返しになりますが「なかまづくりは大事」「自尊感情を高めることは大事」というところでは一致しているのですが、「なかまづくり」のイメージやアプローチの方法が先生によって全く異なっているわけです。皆さんの学校でそういうことはないでしょうか。もっと言えば、一般的な「学級集団づくり」と、人権・同和教育で大事にしてきた「なかまづくり」が混同されているのではないかと心配しています。
 また、「自尊感情」という言葉についても、教育活動を行う際には共通理解が求められます。元大阪教育大学教授の園田雅春さんは、「相対的な自尊感情」と「絶対的な自尊感情」があるという言い方をされます。私と同じく文科省の「協力者会議」の委員を務められていた森実さんは、「条件付きの自尊感情」と「条件なしの自尊感情」という言い方をされています。ある先生が「なかまづくり」の手法として取り組まれる「いいとこみつけ」で高められる自尊感情というのは、「いいところがあったら周りの人から認められる」という、他者との比較(相対的なもの)や条件つきの承認によるものであるということです。そうではなく、たとえどんな状況であっても「あなたは、あなたでいい」と受けとめられ、しんどい状況があったとしてもそれをみんなの前で安心して出せる関係やありのままの自分を出せる自分が好きと言えたり、そう思えたりすることこそ、「なかまづくり」でめざす子どもたちの姿であり、一人ひとりの子どもに絶対的な自尊感情や条件なしの自尊感情を育むということだと思います。
 同和教育や人権教育では、こうしたことを「なかまづくり」と呼んで、多くの学校で実践が重ねられてきました。つまり「なかまづくり」とは、暮らしの交流を通して行うものであり、「しんどい」ことも出しあえる関係で子どもたちをつなぐ取組のことです。生まれも育ちも生育歴も生活環境も異なる子どもたちが、互いを理解し受けとめるためには、自分のことを出しあう(語る、綴ったものを語る)しかありません。もちろん、生活に不安を持つ子どもや被差別の地域に暮らす子ども、ひとり親家庭の子どもなど、教育的に不利な環境のもとにある子どもにとっては、語る(綴る)ことでその状況が変わるわけではありません。それに状況が厳しければ厳しいほど、簡単に口に出せるものでもありません。しかし、何を語る(綴る)のかを整理する過程でその子どもは自分の暮らしに向きあうことになります。そして、そのような自分のことを周囲が知ることで、その子は自分自身を隠さなくてもいいようになります。結果、その子にとっては、クラスが安心できる場所となり、エンパワメントされていきます。このような営みには、当然、教職員の関与が必要です。その子に、暮らしのどこに目を向けさせるのか。「家庭訪問、話し込み、思い出し直し」によって、先生がその子に関わり、目を向けるところを見つけることが大切です。そこから、先ほど紹介した「ままはかみの毛をくくるのが上手」のような日記が生まれてきます。
 周りの子どもたちにとっても、自分の暮らしに向き合って生きている友だちを知ることは、友だちの見方や理解を新たにさせます。「ままはかみの毛をくくるのが上手」という日記をみんなで読みあって、子どもたちは友だちへの見方を新たにしました。また、その子の隣に座っている自分自身を見つめることにもつながっていき、中には自分の暮らしや経験と重なる内容が励みになる場合もあります。自分も含めたお互いの暮らしをわかりあう空間にはやはり安心があり、そうした関係が「つながり」であるとも言えます。
 皆さんの学校で、教員間に「なかまづくり」や「集団づくり」に関する思い違いはないでしょうか。もし、あるとすれば、日常的な取組に関わることだけに最低限の共通理解が必要です。
 
 極論かもしれませんが、先生方の中には「なかまづくり」や「学級集団づくり」というのは教師がやるものではなく、子どもたちが自主的にやっていくものだという捉え方があるのではないでしょうか。また、生徒指導上の問題行動が起こらなければ「いいクラス」という捉え方はないでしょうか。あるいは、班で協力するような活動をしたり、修学旅行や体育祭などのイベントを行ったりすれば、「なかまづくり」や「学級集団づくり」ができると思われていることはないでしょうか。「なかまづくり」には日常的な積み重ねが必要ですが、特に中学校は教科担任制であり、小学校に比べると、どうしても日常的な取組を進める難しさがあります。取り組むための時間がたりない、ということもあります。従って、中学校での「なかまづくり」に関する記述は、日常的なものではなく、体育祭・合唱コンクール・修学旅行などのイベントの場面が多くなってしまう。全校集会や全校ヒューマンタイムなどを行っている学校もありますが、日常的な取組の積み重ねがなく、クラスで自分の暮らしを出せずにいる生徒が、学年や全校の前でカミングアウトできるはずがありません。さらに、「出会い学習」や「聞き取り学習」をして、子どもがそこで学んだ知識や感想は言えても、その感想を自分や自分の暮らし、友だちとの関係にどこまで結びつけて語れるのか、という課題もあります。例えば、「出会い学習」のゲストティーチャーから「100%自分を出せているか」「着ぐるみを着ているような状態で、クラスにいる人はいないか」「言いにくいことを受けとめてもらっているか」といった投げかけをされることがありますが、そうした問いに子どもたちが自信をもって答えられるには、日常的にクラス・学校で安心して過ごせていることが必要です。そこをつくっていくために、日常的な取組を積み重ね、「出せていない自分」と「クラス」の間や、学習したことと自分たちをつなげられるように働きかけていくのは、教師の仕事なんです。
 安心して過ごせるクラスや人権が大事にされるクラスや学校づくりは自然発生的には生まれません。どの学校においても日常的に暮らしを綴る取組を意図的に積み重ねることが重要です。自分のことを語る(綴る)、自分の暮らしと重ねて語る経験を、先生の指導のもとに、生徒たちがクラス、地区学習会、中学生友の会などの様々な場面で、少しずつ重ねていくしかありません。学校での人権学習や聞き取り学習においても、その積み重ねは重要です。つまり、感想においても、学習したことだけを書いたり、発言したりすることに留まらず、必ず自分の暮らしと結びつけ、自分事として書いたり発表したりする経験が、すべての子どもにとって重要です。知識的側面と、自分事として捉える価値的・態度的側面は、常にセットにして考えられるべきです。
 
 そして、こうした取組は、子どもの暮らしや学びの連続性を意識してなされなければなりません。小・中学校など、校種間を通した連続性をめざすことを大事にしているところではもちろんのこと、1つの学校の中でも、組織として共有する視点が必要だと思います。そうでなければ、学年が変わると子どもが混乱したり、中学校へやってくると子どもが荒れたりしてしまいます。仮に小学校の4年生のときに「何でも言いあえる関係こそが、なかまなんだ」「しんどいことも出しあえることがなかまなんだ」という価値観の浸透したクラスで過ごしてきた子どもが、小学5年生になって担任やクラスが変わり、「相手の気持ちを考えましょう」「いいとこみつけをしましょう」という手法で「なかまづくり」ができると考える先生のクラスで生活したとすれば、子どもたちはきっと混乱するでしょう。混乱するだけでなく、結果として、先生に対して反発することもあるでしょう。「小学校であれだけいい子だった子どもたちが、なぜ、中学校へ行ったら崩れるの」という声を聞くことがあります。先生たちは、問題の要因が子どもの側にあると思ってしまうこともあると思いますが、実は課題は先生や学校の側にあるのではないでしょうか。
 先生や学校種によって、価値観の違う世界に放り込まれてしまったら、当然、子どもは混乱してしまうということです。特に、厳しい家庭状況のもとで暮らす子どもにとっては、てきめんに現れてくるように感じます。だからこそ、校種間で子どもの育ちを見通した「人権教育カリキュラム」の作成が求められているとも言えます。
 
 ◆「なかまづくり」において大切にしてきたこと
 参考までに、私がお世話になっていた柘植小・中学校が大事にしてきた「なかまづくり」を紹介します。
 「なかまづくり」の3つの視点

  ・クラスの中の「しんどい子どもたち」(「教育的に不利な環境のもとにある子ども」)の、    
   クラスの中での姿が、取組の課題や成果を象徴的に表している

  ・それぞれに個性と家庭の暮らしがあり、様々な悩みを持って暮らしていることをわかりあう

  ・なかまづくりは、子どもたち同士の自然発生的なものだけではなく、教師の意図的な計算さ 
   れた、日常的な取組である
 

 1つめのことについては、これまでのところであまり話してきませんでしたが、わざわざ言うまでもないことかと思います。「この勉強がわかっているかどうか」をクラスの誰に聞くのかと言ったら、100点ばかり取る子には聞きません。わかっていると言いながらできていなかったり、宿題をやってきたと言いながら不十分なところがあったりする子に聞くと思います。また、「クラスが楽しいかどうか」を誰に聞くのかと言えば、やはり、なかなか話をしてくれない子や欠席しがちな子、トイレに行ったらなかなか教室に戻ってこない子に聞くと思います。そうした子どもが取組のバロメーターなのです。
 
 「なかまづくり」の取組の3つの柱

 ・それぞれが自身の生活を綴る、語る
   自己認知と暮らしの交流をしよう
 
 ・共同活動の組織化
   お互いの個性を知りあおう。生産的・文化的な活動を大事にしよう

 ・人権学習や部落問題学習の実践
   具体的な差別の問題や、その中で生きている人々の姿を通して、生活を高めていくことや、 
   なかまの大切さ、解決の道筋や手法を学ぼう
 
  
 1つめの柱については、書くという活動を通して、自分の暮らしをしっかり見つめることのできる子どもは、その中で生きている自分自身を受けとめることができると思います。これが「自己認知」であり、深く自分を見つめることを通して自分を受けとめられる(自己受容)ようになります。書くことによって自分を客観視する。心理学でいうところのメタ認知とも重なってきます。自分のことを受けとめる・受容することができるから、自分のことを出せたり、語ったりする(自己開示)こともできるわけです。そして、そのような経験を持っている子どもは、他の子どもの気持ちを想像したり、受けとめたりする(他者受容)ことができるでしょう。自分の暮らしを見つめる「自己認知」ができ、だから自分を受けとめる「自己受容」ができ、その自分を他者に出す「自己開示」ができ、そういう経験を持っているからこそ他者の気持ちも理解し「他者受容」できる。ここには「あの子の気持ちもわかるよ。私もよく似たことがあったから」という道筋があるのです。
 2つめの柱については、中学校や高校が得意です。生徒会が中心になったり学級で団結したりして、それこそ体育祭や文化祭、フェスティバルを盛り上げることもたくさんあるでしょう。部活動もそうです。一緒に活動する中で、喜びや悲しみの共有、悔しさや緊張の共有をし、その中で、なかまを実感していきます。「クラスとは、『苦』と『楽』を『吸い』あうところだから『クラス』だ」という人もいます。気を付けなければならないことは、これさえすれば「なかま」や「学級集団」が高まると教員が思ってしまうことです。大事な柱の1つではあるのですが、それだけでは不十分ということです。また、イベント主義になってしまうことも課題です。あくまでも「なかまづくり」は日常的でなければいけないということです。
 3つめの柱については、「出会い学習」でゲストティーチャーに来てもらうことにもつながってきます。ただし、ゲストに任せきりではいけません。これまでお話ししてきたような日常的な取組と合わせて学習を行うことが必要です。
 
 これらをふまえて取組を積み重ねると、段々とクラスの子どもたちが、自己認知、自己受容、自己開示、他者受容を行うようになっていきます。
 日記の活動を例にあげます。4月から日記を書かせることを大事にしていくのですが、子どもは最初から自分や家族のことを開示するような日記を書くわけではありません。ましてや、印刷したものをクラスで読みあう場合もあるわけですし、家に持って帰って、それぞれの家の人も読むわけですから、自分や家族のことを書くことをためらって当たり前です。しかし、先生がそれぞれの子どもに見つめさせたいことをつかみ、一人ひとりと対話しながら向きあわせていくような取組を重ねていくことで、子どもが自分の生活の内実を日記に書いてくるようになり、それを読み、受けとめた別の子どもが自分のことを日記に記す、そんな実践につながっていきます。
 このような例を紹介すると、質問されることが大体2つあります。
 1つめは、「これだけ毎日忙しいのに、なかなかそういう取組に時間をかけられない」「働き方改革との兼ねあいもある」というものです。ただ、こういう問いかけに対し、取り組んだ当の現場の先生方の返答は明快でした。それは「この取組を置いておいて、他にどんな大事なことがあるのか」というものでした。この取組があってこそ、先生と子ども、子どもと子ども、保護者と先生の関係が深まっていくのだ、というのです。どの家庭も、学校での子どものことを気にかけています。このような取組や家庭訪問などを通じて、保護者はクラスのことをよく知っていくわけです。それで、先生と子ども、先生と保護者の関係が深まっていきます。
 2つめは、「個人的なことを出す、プライバシーに関わる取組を進めることは問題ではないのか」という指摘です。これも心配される点ではありますが、こうした取組を実践している先生方に尋ねてみると、「それが問題視されたことは一度もなかった。むしろ保護者の方から応援してもらえることが多かった」ということでした。なぜかと言いますと、この取組は最初から個人的な生活を出すようなものではなくて、時間をかけて子どもや保護者との信頼関係を築いていく中で、深まっていくものだからです。例えば、被差別の地域に暮らす子どもたちや外国につながる子どもたち、生活に不安を持っている子どもたちに、いきなり自分のことを書け、と言っても書けるわけがありません。だから、最初は大した内容が書けなかったとしても、日記のような取組を少しずつ積み重ねていくのです。続けていくと、自分の暮らしや気持ちを子どもが書いてくるようになります。また、周りの子どもたちもそのことに自分を重ねて返したりできるようになります。
 時間をかけて積み重ね、互いを知り、関係を深めていくのは、大人でも同じだと思います。よく、地区懇談会などで「思いやりが大事」と言われる方がいます。先生の中にもいます。でも、どうしたら人を思いやることができるのかと言えば、それは、相手の暮らしや生活、そこにある思いを知っているからできるのであって、相手のことを何も知らないのに思いやる、なんてできるわけがないと思います。相手のことを何一つ知らなくても、心から思いやることができるというのは、それは「上から目線」の他人事、言葉だけのことだと思います。子どもたちが相手のことを理解し、思いを受けとめられるようになるために、お互いの暮らしを少しでもわかりあう取組を積み重ねていくことを私は大事にしてきました。
 何度も言いますが、「なかまづくり」は日常的なことですので、ぜひ職場の中で議論をしていただき、少しでも共通理解を深めていただきたいと思います。
 

 

4.最後に

 最後になりますが、教職員の方々に是非アドバイスしていただきたいことをもう1つだけお話しします。
 それは、人権教育の校内研修や、指導案や授業検討の中では、「思い」「願い」「関わる」「寄り添う」などの曖昧な言葉をできるだけ使わない、ということです。
 私が関わっている市では、地域の関係者と、関係の保育園や小学校、中学校との懇談会が定期的に行われています。ある年の懇談会でのことですが、参加していた先生方が、自分の担当している子どもや保護者の様子を話してくれました。そこでよく出てきた言葉が「子どもたちをつなげる」「保護者同士のつながり」「子どもと向きあう」「子どもや保護者に寄り添う」といった言葉でした。しかしながら、子どもたちが「つながる」とはどういうことなのか、「保護者に寄り添う」とは具体的にどうすることなのか、「子どもと向きあう」とはどんな取組を行うことなのか、ということは誰からも語られませんでした。いわゆる人権教育用語というか、同和教育用語とでもいうものを安易に使うと、それらしい方向性を持っているような錯覚に陥ってしまい、結局、何に取り組むのかを考えないままに日々を過ごしてしまいかねません。
 この傾向は、私が関わる市だけの話ではありません。実践報告や授業の指導案を読ませていただいていても、多々そのような言葉が出てきます。しかし、困るのは「つながる」とか「寄り添う」とか「関わる」とか「思い」や「願い」という言葉が書かれていても、その「思い」や「願い」が何を指すのか、「寄り添う」とか「関わる」という言葉の内実が読みとれないということです。そうすると、ある先生は、「寄り添う」という言葉から、「先生の、子どもや保護者に対する意図的な働きかけ」を感じとり想像する。しかし、別の先生はその言葉から、別の働きかけを想像します。私ならば、「寄り添う」ということは進路保障をイメージするものなので、そのイメージで聞いたり読んだりします。つまり、読み手によって捉え方が異なったりしてくるということです。
 ですので、「関わる」「寄り添う」「願い」などの曖昧な言葉をできるだけ使わずに、できるだけ具体的に「このように関わっていく」とか「こんなふうに関わった」などと記述することを心掛けていただきたいと思います。そうすることによって、取り組むことが、くっきりと具体的に見えてくるはずです。各学校の研修や日常の場で、そのような視点を持って、先生方が取り組まれるようにマネジメントしていただくことをお願いして、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

本ページに関する問い合わせ先

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津市一身田大古曽693-1(人権センター内)
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