「生徒指導研修【人権教育課・生徒指導課連携講座】 ~学校が一体となっていじめの問題を解決するために~」講演記録
「子どもは毎日が旬 ~好感、共感、親近感が人権力を育む~」関西外国語大学 教授 明石一朗さん
(2014年10月作成)
2014(平成26)年8月18日、研修推進課主催のテーマ研修として、「生徒指導研修【人権教育課・生徒指導課連携講座】~学校が一体となっていじめの問題を解決するために~」を実施しました。人権教育課・生徒指導課からの発信と合わせ、明石一朗さんをお招きし、ご講演いただきました。明石さんからは、大阪府貝塚市の小学校において教諭や校長として行ってみえた教育実践をふまえ、いじめの問題を解決するためのさまざまな取組についてご示唆をいただきました。ここでは、講演内容の一部を紹介します。
1 はじめに ~三つの課が連携することの意味~
今日の講座は、研修推進課、生徒指導課、人権教育課の3課が連携して開催されたものだとお聞きしました。こういうことはなかなかできません。人権教育は人権教育、生徒指導は生徒指導、と縦割りになってしまうことが多いです。
しかし、人権教育と生徒指導は「命を守る」というキーワードでつながっています。その両課が合同で研修会を実施するということに、とても意味があると思います。
2 生徒指導と人権教育
人権侵害とは、人の幸せを奪うことだと思います。では人の幸せとは何か? 私は「元気で健康に、精神的にも物質的にも豊かで、安心安全自由に過ごすこと」だと思います。これらを奪うのがいじめであり、人権侵害です。そしてこれらを保障するのが、人権教育であり生徒指導、あるいは教育そのものだと思います。
同和教育の原点を示すフレーズとして「今日も机にあの子がいない」というのがあります。部落差別と貧困によって学校に来られない子どもがいる現実がありました。それではいけないと感じた教師たちが「学力保障」「生活指導」「仲間づくり」の取組を始めました。
いじめを撲滅する3つのキーワードも「学力を保障する」「生活を保障する」「仲間をつなぐ」だと思います。人権教育に取り組むことでいじめもなくしていけると私は確信しています。生活指導と人権教育が一体となって取り組んでいくのが本当の姿だと思っています。
マザー・テレサがかつて日本に来られたとき、「愛の反対は何でしょうか?」と質問を受けたそうです。私はこの話を聞いたとき、愛の反対は、暴力とか怒りとか憎しみだと思いました。しかしマザー・テレサは「愛の反対は、人と人との関係を断ち切ること、無視すること」と言われたそうです。
人と人との関係をつなぐという意味で、生徒指導の挨拶運動は、とても大切だと思います。挨拶は単なる礼儀作法の問題ではありません。挨拶というのは、敵意のないこと、「信頼し合い認め合う仲間ですよ」というシグナルの交換なんだそうです。だから、挨拶をしても返事が返ってこなかったら、私たちは本能的に「この人は自分に敵意をもっているのではないか」と感じるというのです。つまり、挨拶は人と人との関係をつなぐものです。生徒指導の挨拶運動の取組は人権教育そのものだと思います。
いじめのはじまりは、人と人との関係を断ち切ることだと思います。いじめには5つの段階があります。まず無視です。会話がなくなり関係が途切れます。第2段階は陰口や落書きです。現代ではSNSの影響が大きいですね。第3段階は面と向かって言うようになります。それで収まらないと第4段階は暴力です。第5段階は命を奪うことになります。最たるものが戦争です。
無視される、つまり人が人として相手にされないことがいじめのスタートです。それを放っておいたら、命が奪われることにもつながります。いじめの防止に取り組む生徒指導、人権教育は、命を守り、すべての人権侵害ひいては戦争をなくすための取組です。
学校をみんなが気持ちよく過ごせる場にするために大切なことが3つあります。「礼を正し、場を整え、時を守る」ことです。これは生徒指導と人権教育の原則でもあると思います。「礼を正す」というのは、きちんと挨拶をするということです。「場を整える」というのは、掃除をみんなでするということです。「時を守る」というのは、チャイムで行動するということです。
なぜこういった規律が大切なのでしょうか。それはこれらが守られないと、心身に障がいのある子ども、勉強の遅れがちな子ども、家庭の状況が厳しい子どもなど、弱い立場に置かれている子どもの教育が奪われるからです。強い、元気な子どもは少々荒れた状況でも生き抜いていきます。しかし、学校で弱い立場に置かれている子どもたちは、ドキドキしながら学校に来ています。その子たちの学力を保障するためにも、命を守るためにも、規律が大切です。まさに生徒指導と人権教育は一体です。
3 「いじめ防止基本方針」を軸とした取組の推進
私が校長を務めていた貝塚市立東小学校では、学力保障委員会、生活指導委員会、人権教育委員会の各委員長に、学校で中心的な立場にあった3人の先生になってもらいました。この3人と管理職で「いじめ防止基本方針」の案をつくり、養護教諭や特別支援学級の先生、情報教育担当の先生にも委員になってもらい検討しました。これにより、すべての教育活動のなかで、この基本方針が活かせるようにしました。
こういうものをつくるとき、「国から方針が出されて、県がこう言うからやらなければ」と考えてしまうとしんどいです。そうではなくて、「子どもの現状を見て、よりしっかりと子どもたちの命を守れるようにするために、今まで学力保障・生活指導・人権教育でやってきたことを整理しよう」と考えればモチベーションが上がります。国や県に言われるからやるのではない。スタートは子どもたちの現実です。
「目の前の子どもたちに、今何が必要か」を論議し、未然防止・早期発見・事後対応がよりよくできるようにすることが大切です。また、いじめ問題の解決の道筋を明らかにすれば、教職経験の長短に係わりなく、どの先生も安心して、学校が一丸となって取り組めるようになります。東小学校では、そんな思いで、学力保障、生活指導、人権教育の観点からみんなで話し合って基本方針をつくってきました。
参照:「貝塚市立東小学校いじめ防止基本方針」
http://www.kaizuka.ed.jp/weblog/data/kaizuka32/1/8/57456.pdf
4 どんな子どもが元気か
東小学校の生活習慣の標語は「ぐっすり・しっかり・すっきり」です。ぐっすり寝て、しっかり食べて、すっきりうんこを出していないとイライラします。いじめにも向かいやすくなります。
心の問題とか人権教育とかいう前に、「寝てるか? 食べてるか? うんこ溜まってないか?」という生活指導が大事です。生活が荒れて、これらができていない子が、どうやって人に優しくおおらかな気持ちで学校生活を送れますか? いじめをなくしていく基盤は「ぐっすり・しっかり・すっきり」であり、これは人権教育、生徒指導の根本でもあると思います。
5 子どもを理解するとは
教師の力量として大切なものの一つに、子どもを理解する力があります。子どもを理解するとはどんなことか、私の失敗からお話ししたいと思います。
私が5年生を担任したときのことです。ある男の子がクラスにいました。やんちゃで授業中も15分もすると立ち歩くような子でした。めったに宿題もやってこない。その子があるとき、日記を書いてきました。「昨日、お父ちゃんが、ウインナー炒めて卵焼いて、晩ご飯つくってくれた。おいしかった」というものでした。たった一行でしたが、私はうれしくて、「そうか、よかったなぁ。お母ちゃん喜んだやろ。たまにはお父ちゃんの手料理もおいしいやろ」と赤ペンで返しました。彼は何でもない顔をしてその日は帰りました。
その一週間後の朝、事件が起こりました。教室の掲示板に貼ってある友だちの顔の絵が全部、目のところを青い絵の具で横殴りに塗りつぶされていたのです。その子の袖口を見ると、青い絵の具がついています。自習にして別室で話を聞きました。
「君がやったんか?」と聞くと、「やった」と言います。「なんであんなことやったんや?」と聞くと、「日記に書いた」と言います。私はわからずに「あの日記、よかったやん」と言うと、「ちゃうねん、お母ちゃんが1ヶ月前から家に帰ってこうへんねん」と言いました。
その晩、家庭訪問をして、お父さんから事情を聞かせてもらいました。家には4歳の弟と2年生の妹がいました。その子は、ラーメンでもつくるんでしょうか、ガスコンロでお湯を沸かしていました。
私は、そのときにはっとしました。自分は「おはよう」から「さようなら」までの8時間だけ子どもをしっかり見ていたら教師だ、と思っていたのではないかと。でも、どの子にも16時間、学校以外の生活がある。学習者としての子どもの姿は見ていたが、生活者としての子どもを理解する視点がなかったことに気づいたのです。子どもの気持ちや暮らしに寄り添うという視点があれば子ども理解力は深まると思います。我々の立ち位置、子どもの何を見るのか、そういうものがいじめを未然防止したり早期発見したりするうえで大切なのだと思います。
6 見通しと展望のある教育を
人権教育のイメージとして「3た」と言われることがあります。「建前・縦じわ・他人事」です。なぜそうなるのか? 否定的な事実との出会いが、「それについて学ぶことを通して、みんなが幸せになるんだ」ということにつながってないからだと私は思います。「こんな人権問題がある。こんないじめがある。みなさん考えなさいよ。おしまい」というような人権教育だと、「こんな重たい話、うっとうしいなあ」と感じて「3た」になってしまいます。
トンネルを通れるのは出口があるのを知っているからです。出口のないトンネルに入るのは誰でも怖いです。では、出口の見える人権教育や生徒指導をやってきたか、ということです。問題点を提示するだけでなく、「その問題はどうしたら解決できるのか」という見通しと展望をさし示すことが大切です。
天候などは人間の力ではどうにもなりませんが、差別・貧困・いじめ・原発事故など人為で行われるものは人の勇気と英知によってなくすことができると思います。人権教育は幸せをつくる教育です。みんなが幸せになれる展望を示すことが大切だと思います。
7 質疑応答から
【質問】小学校教員
小学校で担任した子どもたちが今、中学生になっています。小学校時代には、生活つづり方などを通して仲間づくりをしてきました。しかし中学生になって、SNS上の言葉一つで関係が切れていくという状況があります。それが原因で学校へ行けなくなった子どもも出てきています。
先生の学校では、どのようにして子どもたちをつないでいかれたのでしょうか?
【回答】
「解決策はこれだ」といったことは言えませんが、そのトラブルの原因をさぐるために、小中で連携して、小学校時代のその子たちの様子を中学校の先生方に伝えることも一つの手立てだと思います。東小学校では、15年間の学びをみんなで見ていこうということで、保幼小中で連携する場があります。そのなかである幼稚園の先生がこんなことを言っておられました。「小学校の先生からしたら一年生の子たちは幼く見えるでしょうけど、あの子たちは、幼稚園では何でもできる頼もしい年長さんだったんですよ」。はっとさせられました。そう思うと子どもの見方も変わってきます。小中で連携ができると事案の裏に見えてくるものがあるかもしれないと思います。
また、連携を通して、小学校の先生から「心配しているよ」というまなざしを送ることで、その子たちが「小学校の先生も私たちのことを心配してくれているんだ」ということに気づき、「自分たちのことを気にかけ、見てくれている人がいる」と実感すれば、それがブレーキになるということもあるのではないかとも思います。