子どもが安心して学べる授業づくり~志摩市立磯部小学校の取組を通して~
三重県教育委員会事務局 人権教育課 調査研修グループ
(2012年6月作成)
1.はじめに
下のグラフは、文部科学省が2009(平成21)年に刊行した「平成21年度 文部科学白書」に掲載されたものです。 〈図表1-1-14 親の収入と高校卒業後の進路 「平成21年度 文部科学白書」(文部科学省)〉
「白書」では「家庭の経済的状況が子どもたちの進学に影響がある可能性」が報告されています。また、経済状況以外にも、保護者の接し方や教育に対する意識なども子どもの学力に関係することが示されました。経済状況や家庭のあり方がどんなに変動しようとも、日本国憲法第 26 条に規定した教育を受ける権利は、すべての子どもたちに確実に保障されなければなりません。
また、2008(平成20)年に文部科学省から発表された「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」には、「確かな学力」を育むうえで必要なこととして以下のように記述されています。
「確かな学力」を育む上では、児童生徒一人一人の個性や教育的ニーズを把握し、学習意欲を高め、指導の充実を図っていくことが必要であり、そのためには、学校・学級の中で、一人一人の存在や思いが大切にされるという環境が成立していなければならない。〈第Ⅱ章第1節 1.(5)人権尊重の視点からの学校づくりと学力向上 より〉
三重県では、これまでも同和教育の理念や成果を重要な柱とする人権教育を推進してきました。2009(平成21)年に改定した「人権教育基本方針」では、社会的に不利な立場にある人の人権は侵害されやすいという現実をふまえ、「すべての学校において、教育的に不利な環境のもとにある子どもの学力を向上させることで、すべての子どもの学力・進路を保障する取組の充実を図る学校づくり・環境づくり」を人権教育推進のための観点の一つとして掲げています。このような観点を大切にした取組の一つを紹介します。
2.磯部小学校のこれまでの取組と課題
志摩市立磯部小学校(以下、磯部小学校)では数十年前から、子どもや保護者のくらしの中にある差別の現実に学び、差別を解消し人権を確立していく教育内容づくりに取り組んできています。そのなかで「自分のくらしを見つめること」「反差別の仲間づくり」「人権・部落問題学習」などとともに、「学力・進路保障」にも取り組んできました。磯部小学校が日常的に大切にしてきたのは、以下のようなことです。
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日記を通しての仲間づくり(子どもの課題を把握し、子どもたちが互いのくらしや思いを知りあい、安心して過ごせる環境をつくり出すこと)
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家庭訪問を通した、子どもの生活背景や親の願いの把握
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家庭学習の徹底(家庭学習をするにあたっての通信の発行やノート指導など)
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朝の学習(漢字の読み書きや計算、読書)
これらの取組の結果、子どもと教職員との信頼関係が生まれるとともに、家庭や地域と連携して教育に取り組める環境が定着してきました。そして、自分に自信をもち、安心して学校生活を送ることのできる子どもたちを育てることにつながってきています。
そのような磯部小学校においても、全国的にも指摘されている「学力格差」は依然、大きな課題として残っています。くらしを出しあう活動には主体的に取り組めていても、ふだんの教科の授業になると意欲的になれない子どもの姿がありました。とりわけ教育的に不利な環境のもとに置かれた子どもたちに、それは顕著でした。教職員からは、「今行っている授業が、本当に全員のものになっているのか」「『仲間』は大切だと言いながら、授業中に困っている隣の友だちを放ったままにさせていないか」など、いくつも問題として挙げられていました。授業を振り返るなかで、「人権・部落問題学習をどれだけ熱心にやっても、日々の授業での指導において人権的な視点や配慮を欠いていたら意味がない。日々の授業をはじめ、全ての教育活動のなかで子どもの人権を大切にしてこそ、人権教育である」という認識に到達しました。教職員一人ひとりが、自らの授業に対する姿勢を問い直し、授業改善について考えはじめました。
3.授業改善の手立ての明確化
授業改善の手立てとして、次のような取組が進められていきました。
①「検証軸の子」の設定
磯部小学校では、「被差別の側に立つ」子どもたちを核として仲間づくりを進めてきました。そういった子どもたちのことを「気になる子」「核になる子」「中心に据えたい子」と呼び、その子が見せる姿や生活背景から課題を探り、仲間づくりにつないできました。
しかし、学習に意欲を持つことが難しかったり、学力が厳しかったりする子どもを中心に据えての「授業づくり」の視点が充分ではありませんでした。
そこで、「仲間づくり」の視点に「授業づくり」の視点を重ね、両側から見ていく必要のある子どもたちを「検証軸の子」と呼ぶことにしました。「検証軸の子」の姿に視点を置くことで、「仲間づくり」「授業づくり」の成果と課題が見えてきます。そのことが、自分たち教職員の取組の検証につながります。
②授業規律の確立
学習環境の整備として、まず着手したのは授業規律の確立でした。研修会等で、日頃大事にしている授業規律を教職員が出しあったところ、120を超えるものが挙がりました。それらを整理し、教職員全体で一致して取り組む授業規律をつくっていくために、「なぜそのことを大事にしてきたのか」「その指導によってどういう成果があったのか」について意見交換を行いました。子どもたちを型にはめ込むために授業規律を決めるのではなく、授業規律が子どもたちの成長をどう保障するのかという観点で話し合い、教職員全体で「聴く・話す・学習環境の整備・時間厳守」の4点を大切にしていこうと確認しあいました。同時に教職員自身の姿勢として次のことを大切にしていくことにしました。
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子どもに要求することは、まずは教職員自身から実践する。
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授業規律のある授業がよい授業とは限らないが、よい授業には授業規律がある。
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子どもたちに授業規律を要求するということは、子どもたちからも教職員の授業に臨む姿勢、授業内容を問われているということである。
磯部小学校では、例年始業式の前日までに授業規律についての研修会を持ち、4月中に研究授業を行います。年度はじめに行うことにより、教職員全員が同じ視点をもって一年を通して授業に臨むことができます。大切にしたい授業規律を文章や言葉で申し合わせるだけでなく、実際に授業を見あうことも、共通理解を図るために大変有効です。授業後には、研修部が授業参観者の意見を一覧にまとめて配布し、一人ひとりの教職員が自分の授業を振り返るための資料として活用します。次は、研修部がまとめたものの一部です。
良かった点
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聞く姿勢や手の挙げ方。
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「はい」という返事ができていた。
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主語や述語の整った文章表現で発言できていた。
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チャイムとともに授業が始まった。
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子どもの言葉が板書に取り入れられ、意見が認められていた。
改善すべき点
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単語だけで返答するのではなく、文章で表現できるようにしていく。
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大きな声ではっきり言えるようにしていく。
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「くん」「さん」といった敬称を統一していく。
③日々の授業のあり方の検証
磯部小学校では、研究授業以外に、4月、5月、6月、10月、11月、2月と年間6回の授業参観週間(1回につき2週間)を設定し、教職員間で授業を見あっています。この期間には中学校区や教育機関へも参観を呼びかけます。1学期に3回の授業参観週間が集中しており、早い時期での検証が重要視されています。授業では、次の3点を検証のポイントとしています。
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子どもが大切にされている授業になっているか
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子どもどうしの関わりがある授業になっているか
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学習意欲の向上につながる多様な活動が仕組まれているか
授業参観週間は、事前に入念に指導案を作成して授業を公開するのではなく、あくまでも日々の実践を見あう場として位置付けられている点が特徴です。検証の場を通して、一人ひとりの教職員が具体的に気づき、学び、着実に力量を高めていきます。
継続的に関わっている外部講師からも次のような指導を受けています。
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「~してください」という言い方はしない。(「~しましょう」「~しなさい」を使う)
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挙手する子だけで授業を進めない。
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指名されたときは「はい」という返事をし、必ず答えるようにさせる。
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「今、~さんが言ったことを言ってごらん」と問うなどして、聴く姿勢をつけていく。そして、まず教師が子どもの話をしっかり聴く。
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子どものつぶやきなど意欲的なしぐさを見逃さない。
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子どもたちが「分からない」「どうしたらいいの?」という状況を作り出すような問題を提示し、具体物や線分図などの操作を通して考えさえる。
ある教職員は、子どもの変化を次のように記しています。
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授業では、写真やグラフ、資料、数直線などを使ったり、具体的操作や動作化を取り入れたりしてみた。公開研究授業で、理科の「ふりこのつりあい」の授業をした。てんびんの左右におもりをつるして、「うでの長さ」と「おもりの数」の関係を考えあう授業だった。具体物を使って検証軸の子が班の子たちと相談したり、前で意欲的に自分の考えを説明したりしている姿があった。授業後にある参観者が子どもに「理科の授業は好き?」と尋ねると、うれしそうに「わかるようになるから楽しい」と答えたという話を聞いた。少しずつではあるが、自分が変わることで子どもにも変化が見られるようになってきた。
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検証軸の子どもが問題をやり始めてからしばらくして、隣の子どもに相談している場面があった。後で聞いたら、「途中から急に答えが大きくなったので不安になって確かめた」と言っていた。隣の子どもに分からないことを聞ける良い関係だ。
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隣の子のまねをしているうちに、していることの意味が分かってくるという事例をたくさん見つけることができた。そして、分かることにより、他の子に教えようとする姿も見られるようになってきた。
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小数の乗法の導入で、「まず自分たちでやってみよう」と始めたら、子どもたちは混乱し、加減の法則を使ったり、100倍した後100で割るなどの考え方を出した。みんなで話しあううちに、「小数点をどこに打てば良いのか」という課題が明確になった。この時、クラスで学習課題が共有される瞬間が生まれた。今まで指摘されてきたことが分かったように思う。
4.教職員の声から
磯部小学校の教職員に、授業改善に取り組んだ感想について質問したところ、以下のような声が寄せられました。
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お互いの授業を見せあう機会が多いので、いい刺激になる。また、当たり前のことができていないことに気づけて自分を振り返る良い機会になる。
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子どもどうしがつながる授業をめざすにはどうしたらいいか、という課題意識をもって授業に臨めている。
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自分の授業の仕方や子どもへの接し方が変わった。具体的には、子どもの動きや発言を中心に授業を観ることができるようになった。
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子どものちょっとした変化を見逃さないで関わっていけるように努力している。
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明日の授業のためにどうしたらいいかを考えたり、同僚の授業を観ていいところを試してみたりするなど、教材研究する機会が増えた。
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授業の様子が変わってくると、修学旅行などでの行動も変わってくると実感した。
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全校集会での講演会の後など、多くの子が質問や意見を言えるようになってきた。
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放課後の教室を見ると、黒板や机がとてもきれいになっている。
学力格差は依然としてあります。しかしその差は少しずつ小さくなっています。また、学習意欲の差が確実に縮まっていること、授業で見せる子どもたちの表情が明るくなったことを教職員たちは実感として語っています。
5.おわりに
子どもをとりまく環境は、様々な社会的影響を受け刻々と変化し続けます。そのようななかにおいて、安心して学べる場をきちんと保障していくことは大変重要です。そのためには、これまで各学校現場で大切に培われてきたことを継承しながら、同時に、目の前にいる子どもの姿を通し「今、子どもにとって何が課題で、どんな取組が必要か」を日々探究していく姿勢が必要です。
磯部小学校では、授業改善の取組を行うにあたって、「検証軸の子」の設定を行いました。これは、磯部小学校が長年積み重ねてきた同和教育の財産から発展させたものでした。教育的に不利な環境のもとにある子どもたちの状況を把握し、授業づくりの核に据えて取り組むことが、すべての子どもたちにとって居心地のよい学校づくりにつながっています。
また、教職員間における共通理解のための機会が豊富に設定されました。年度当初の研修会をはじめとして、通年で授業参観が継続的に行われ、外部講師や指導主事を招き積極的な意見交換の場が持たれました。自分たちの取組を絶えず検証し続ける姿勢が、新たな課題への気づきを促しています。
「本校は当たり前の取組をしているだけで、特に変わったことはしていません」とは磯部小学校の校長先生の言葉です。日々の取組を検証し続けることを「当たり前」のこととして定着させてきたことが、「世代を超えた教職員間の連携をいかに図るか」や「学校全体として一致した取組姿勢をどうつくり出すか」といった大きな課題の解決にも効果をもたらしています。
【参考】
磯部小学校の取組は、「人権教育に関する特色ある実践事例」として文部科学省のウェブサイトでも紹介されています。また、三重県からは伊賀市立柘植小学校の取組も掲載されています。ぜひご覧ください。