男女共同参画社会の実現を考えるために(後編)
近畿大学人権問題研究所 熊本理抄
(2009年3月作成)
「家族」単位の制度がもたらす問題
既婚女性のパート労働者は、年収が103万円未満であれば、妻の所得は非課税となりますし、夫の扶養者で、妻の年収が130万円未満であれば、妻の社会保険料が免除されます。その結果、働く女性たちの労働条件を下げられてしまうということになりました。さらに、家族手当などによって優遇される夫。夫の家族の生活をも保障する企業や行政の制度。これらは、世帯主男性に有利な税金・年金制度・社会保障制度となってきたのです。
しかも、企業としては、非正規労働者であれば、社会保険料の事業主負担分や、社宅や企業年金、退職金などの福祉制度も節約できます。
日本の年金、保険、医療などの社会保障は、正規労働者を前提として築かれてきたため、非正規労働者は、こうした制度のしわ寄せを受けてきました。
妻からの離婚申立に多い理由として、DVがあげられます。しかし、離婚の障害として、「生活への不安」をあげているのは、男性が41%で、女性は75%です。DVの被害者が相手と離れて生活を始めるにあたって困ったこととしても、1位に、「当面の生活をするために必要なお金がない」があげられ、6位に、「適当な就職先が見つからない」があげられています。また、3位に、「住所を知られないようにするため住民票を移せない」ことがあげられています。新しい生活を始めるにあたって、例えば、子どもの転校や、住宅や仕事探しの際に必要となる、「家族」を単位とする戸籍や住民票がここでも壁となります。
さらに、「家族」とはあくまでも、世帯主の夫、扶養される妻、法律婚の中で生まれる子どもが、「あたりまえ」と考えられているため、女性の世帯主に対して世帯主賃金が出されないことや、ひとり親家庭などが積極的な支援対象になっていないことが、シングルマザーの貧困とも関連してきます。
シングルマザーの平均所得は、児童扶養手当、養育費、仕送りなどを足した収入でも約237万円で、全世帯平均の約4割です。女性の低賃金と、家事や育児による労働時間の制限が要因となって、複数の仕事をかけもつ母親もいますが、彼女たちの多くは派遣社員やパートなどの非正規雇用で働いており、85%が、生活が苦しいと答えています。
シングルマザーは、生活保護世帯の1割にのぼりますが、生活保護を受けていない低所得世帯との均衡を図るという理由で、16~18歳の子を持つ親への母子加算は廃止され、15歳以下の子どもの分も2008年度が最後の支給となります。公的扶助による支援から就業による自立支援へとシフトする福祉システムが追い打ちをかけていきます。
朝日新聞編集委員の竹信美恵子さんは、「自己責任論」の再検討が必要だと言います。「自立」とは人に頼らないことではなく、適切な人を見つけて頼る能力、助け合える仕組みを構築することだと。
2006年に施行された障害者自立支援法は、生計を一にする「世帯」単位の収入により利用者の自己負担額が決められているため、家族による扶養義務の強化ではないかとの批判があります。このときにも、性別役割分業の前提のもと、「再生産」の「責任」や、「家族」による「愛情」「ケア」は「あたりまえ」という抑圧は、とりわけ母親に、さらに強く負わされるようになるのではないかと危惧します。
社会問題(失業、犯罪、虐待など)や経済問題(市場経済に基づく規制緩和、財政危機、社会保障・医療・教育関連の費用の削減など)、政治問題(グローバル化に対抗する形でのナショナリズムの動きや多民族・多文化社会が抱える・竭閧ネど)の原因・責任を転嫁されるとともに、被差別マイノリティや社会的・経済的・政治的に弱い立場に置かれている人たちに対する逆風が激しさを増していきます。人間、いのち、暮らし、労働、教育、福祉・・・それらが「商品」としてみなされる一方、「愛情」という名のもとで、国の責任や公的責任を放棄しながら、その矛盾を支える役割として、「家族」とりわけ、女性たちが、あらゆる形態のしわ寄せを被っているように思います。
被差別マイノリティの視点から
男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法などの法整備とともに、企業や行政が打ち出す政策として、「仕事と育児の両立支援」や「ワーク・ライフ・バランス」のオンパレードが見られます。しかし、職場による「男女平等」や就業による経済的自立をうたいながらの、家庭における家事・育児・介護の「男女共同参画」は、障害をもたない「男」「女」が前提とされていると思います。障害のある女性の雇用の問題や家事・育児・介護の問題については、無視されるだけではなく、自己責任論が大手を振って彼女たちを抑圧しているように思います。
世界人権会議(1993年、ウィーン)や第4回世界女性会議(1995年、北京)が開催された90年代、「女性」という「同一性」を主張して、欧米の白人中産階級・非障害者・異性愛の市民権を持った女性の社会的位置や経験が普遍的なものであるかのようにひとくくりにすることが批判されるようになります。「男」と「女」の間の差異や不平等にのみ注目した「男女平等」を強調することで、女性の間のさまざまな差異や権力関係、現実社会の中での女性の個別具体的な経験と経済的・政治的・社会的・文化的位置を生み出している性別以外のさまざまな要因が無視されかねません。被差別マイノリティの女性たちは、男女平等に向けた取り組みにおいても、人権政策においても見えない存在とされてしまいます。
現実社会の中で女性たちが直面している差別は、「女性差別」といった単独な要素のみによって起きているのではなく、階級、人種、民族、障害の有無、宗教、文化、言語、年齢、出身、セクシュアリティなど他の要因と性差別とが相互作用しながら、抑圧構造を生産・助長しています。そのため、こうした視点を持たなければ、性差別も解決できないとする認識が深まってきました。
本稿では、公的領域=市場労働・有償労働・賃労働=男性、私的領域=再生産労働・無償労働・家事労働=女性という、男女二元論に基づく社会構造と社会意識や社会行為についての問い直しの必要性を述べてきましたが、実は、こうした二分法が、被差別部落の女性の働き方にはあてはまらないのです。
「男=仕事、女=家事・育児」というのが「あたりまえ」の価値観だとすれば、被差別部落出身者などの被差別マイノリティの女性たちは、「あたりまえ」ではない労働形態を強いられてきました。被差別マイノリティの女性たちは働かざるを得なかったし、さまざまな労働をやってきました。
被差別部落の就労問題を見てみましょう。被差別部落の男性の就労率は低く、失業率は高い。平均年収も低く、中小零細規模に勤める人たちが多く、勤続期間も短いなど、部落差別によって不安定な仕事にしか就けないうえ、重労働職のために、身体を壊して病気になることもあります。そのため、共働きであったり、職に就けない場合や、職を失った夫に代わり、妻が主たる家計を担うといったことから、被差別部落の女性の就労率は非常に高いのです。被差別部落の女性は働かざるを得ませんでしたが、その大多数がパート・臨時などの非正規雇用であり、退職金、保険、年金、育休・産休などの保障はなく労働条件としてはきわめて不安定でした。昼の仕事と夜の仕事の両方に携わっている女性たちも多くいましたし、文字の読み書きに苦労したり、不就学・低学歴などの女性たちは、工場、建築、炭坑、農場などで、男の人と同じように働きました。しかし、給料は男の人の半分以下。男性向けの仕事では「女性だから」と仕事がなく、女性向けの仕事では、出身、学歴、資格、年齢制限などの障害があり、働きたいが仕事に就くことができない。そのため中小零細企業での雇用、大企業でのパートやアルバイト、内職や行商など、不安定な就労で生計を支えてきました。
在日朝鮮人女性の実態調査を実施したアプロ女性実態調査プロジェクトは、「有償労働の場においても無償労働の場においても、在日朝鮮人女性を排除・序列化・周縁化・不可視化する権力関係は現存している」と、「民族・国籍・性により複雑に絡み合った差別」が、公的領域においても私的領域においても、労働の場において在日朝鮮人の女性たちを抑圧している実態を明らかにしています。
これまで語られてきた「男女共同参画社会」は、被差別マイノリティが抱える課題を軽視していたために、被差別マイノリティの女性の問題分析枠としては大きな限界を持っていたように思います。一方、人種や民族など社会的差別からの解放を求めた反差別・人権運動は、内部での性差別にの問題を直視してきませんでした。そこで、被差別マイノリティの女性たちが、自らの属するマイノリティグループが被る差別と性差別による「複合差別」の実態を明らかにし、それらを克服していくプロセスを見出そうとするために、実態調査が行われたりしています(反差別国際運動日本委員会発行『立ち上がりつながるマイノリティ女性―アイヌ女性・部落女性・在日朝鮮人女性によるアンケート調査報告と提言』解放出版社、2007年)。
調査の結果は、教育、労働、社会福祉、健康の分野で相関関係があることを示しています。常勤の被雇用者が少ないことや年収が低いこと、その背景にある非識字や学歴の問題、公的年金未加入や生活保護の高い受給率・・・。親の経済力・教育・職業水準が子どもの教育・職業の格差に影響し、教育が雇用に、雇用状況が収入に、収入が教育や健康状態に連鎖していることを明らかにしています。
自分たちの手による設問設定、調査、分析にいたるまで、その過程に焦点を当て、エンパワーメントやネットワークづくりなどをも包含した社会運動を4年もの年月をかけて実施してきたものです。そこでは、マイノリティ女性たちの「主体」や経験の意識化・言語化と共有による相互理解がいかに重要であるかが描かれています。
わたしは、被差別部落出身者の女性たちの聞き書きを何年もしてきました。彼女たちは、「働くこと」について多くを語ってくれます。彼女たちは、仕事を通じて、「人間らしく生きたい」、「自分らしく生きたい」、「人・社会とつながりたい」との願いを持ってきました。
今、わたしたちは、男女共同参画社会の実現をキーワードに考えるとき、「あたりまえ」とされてきたこと、見えなくされてきたこと、たとえば、「労働」「家事・育児」「いのち」「暮らし」「暴力」「性」「家族」などのありようを一つずつ、みんなで考えていくときにきているのではないでしょうか。
そのときに、被差別マイノリティの人たちが社会を変え、歴史を紡いできた、その運動の経験や生活の知恵などを中心にすえて、社会を見ていくと、いろんなことが見えてくるのだと思うのです。
「男女共同参画社会」の実現に向けて彼女たちに学びたい。わたしは心からそう思います。
《おわり》