「高齢者の人権」に関わる学習のために
1,高齢化の状況
現在の日本における,高齢化の状況を最新の統計から見てみることにしましょう。
平成19年版「高齢社会白書」によると,65歳以上の高齢者人口は,過去最高の2,660万人となり,総人口に占める割合(高齢化率)も20.8%(前年20.1%)となっています。高齢化率は今後も上昇を続け,平成67(2055)年には40.5%に達し,国民の2.5人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来すると推計されています。平均寿命は,平成17(2005)年現在,男性78.56年,女性85.52年です。67(2055)年には,男性83.67年,女性90.34年となり,女性の平均寿命は90年を超えると見込まれています。先進諸国との高齢化率を比較すると,日本は世界のどの国もこれまで経験したことのない高齢社会を迎えているといえます。(参照ホームページ:http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2007/gaiyou/19pdf_indexg.html)
2,高齢者に対する意識
国が平成19年6月に「人権擁護に関する世論調査」を行っています。
(「人権擁護に関する世論調査」参照ホームページ:http://survey.gov-online.go.jp/h19/h19-jinken/index.html)
前回は平成15年の調査ですので,今回のものと比較しながら意識傾向を見ていきたいと思います。
まず,日本における人権課題について,関心があるものはどれか聞いたところ,「障がい者」を挙げた人の割合が44.1%,「高齢者」を挙げた人の割合が40.5%と高い結果になっています。前回の調査結果との比較では,「高齢者」の人権課題に対する関心は,35.2%から40.5%と増えているのが分かります。他の人権課題では「子ども」(30.8%から35.0%に増加),「インターネットによる人権侵害」(27.7%から32.7%に増加)を挙げた人の割合が増えています。(図1参照)
次に,高齢者に関する事がらで,人権上問題があると思うことを問うたものでは,「悪徳商法の被害者が多いこと」を挙げた人の割合が54.3%と最も高く,以下,「高齢者を邪魔者扱いし,つまはじきにすること」(45.2%),「働ける能力を発揮する機会が少ないこと」(41.7%),「病院での看護や養護施設において劣悪な処遇や虐待をすること」(41.7%),「経済的に自立が困難なこと」(39.8%)などの順となっています。
前回の調査結果との比較では,「悪徳商法の被害者が多いこと」(43.3%から54.3%に増加),「病院での看護や養護施設において劣悪な処遇や虐待をすること」(31.3%から41.7%に増加)を挙げた人の割合が増えています。年齢別では,「高齢者を邪魔者扱いし,つまはじきにすること」を挙げた人の割合は30歳代,40歳代で高く,「病院での看護や養護施設において劣悪な処遇や虐待をすること」は20歳代から40歳代,「経済的に自立が困難なこと」は30歳代,50歳代で,それぞれ高くなっています。(図2参照)
(図1)人権課題に関する関心
(図2)高齢者に関する人権上の問題点
3,相談活動を通して
伊賀人権擁護委員協議会の岡島宏平さんにお話をうかがいました。岡島さんら人権擁護委員は,人権啓発・相談・救済を任務として精力的に活動されています。平常の人権相談活動は法務局において週1回,公民館等においては隔月で開催しており,相談内容においては近年,高齢者に関する事案が増加傾向にあるそうです。そのような状況の中,法務省も平成18年より高齢者等介護施設における特別人権相談所の開設をすすめてきた経緯があります。
伊賀人権擁護委員協議会としては,その前年から相談活動の重要性を感じ検討を進めてきたので,取組は極めてスムーズに行われたといいます。平成18・19年度の相談活動は,伊賀市においては特別養護老人ホーム「いがの里」において,名張市においては介護老人保健施設「ゆりの里」において実施されました。岡島さんは,「入所者との相談活動,施設の職員・管轄の市職員・委員を対象に講演会・研修会等が実施され,人権擁護委員自らの高齢者理解を深めると共に,入所者の実態について多くを学ぶことができた」と話されます。
岡島さんには,相談活動から見えてきた高齢者の思いについてお話をいただきました。高齢者の置かれた環境(家庭,施設)や地域性の違いを超えた,また世代の違いを超えたところにある,人としての共通の願いや思いが込められています。
岡島さんのお話から
●自立の思い
高齢者は,自立した個人として認めてほしいと思っています。毎日のお茶を飲むことや食事をすることもできれば自分でしたい,機会があれば自分の手から孫に直接,お小遣いをやりたいなどと思っています。介護を受けている人であろうが無かろうが,誰もが持つ自発的な欲求があることを忘れてはならないと思います。
●社会に参加したいという思い
高齢者は,社会の経験者・先輩として機会があれば,様々なところに参画し,自ら提案もしていきたいと思っています。自らの提案を通して,自分の存在意義を確認することになればと考えている人もいます。家族の一員として炊事をしたり,畑の草引きなど,できることをして家族や属する集団の中で役に立ち喜ばれたいのです。ある入所者は,施設周囲の草引きを施設側に申し出たところ,認めてくれたことを喜んで生き生きと語ってくれました。私たち周りの者は,高齢者が危険のない安全第一なことが最優先であることを信じて疑わないところがありますが,そのために当事者の思いを聴かずに無視して,一方的に進めてしまうことが許されることになってはいけないと思います。当事者の生活を一律に拘束することにもつながりかねません。拘束は虐待にもつながる危険性があることを自覚しなければなりません。
●高齢者と介護
多くの高齢者は,本音として家族に介護され看取られたいと願っています。長く連れ添ってきた配偶者に,あるいは子どもや兄弟姉妹にとの思いは強いです。ところが,介護が困難になってくると,多くの問題も出てきます。とくに,高齢者が高齢者の介護をせざるをえない老老介護の現実は,介護者も強いストレスにさらされることになり身体を壊すことになりかねません。また介護と言っても,日常的な身辺の介護から,専門的な医療的介護もあることから,介護サービス計画(ケアプラン)を作成する介護支援専門員(ケアマネージャー)と連携しながら,介護を必要とする当事者にとって適切な措置を講ずる必要もあります。市の福祉協議会などでは,介護者のストレスからの休養や情報交換を目的に,介護者の家族の会を作り,時間や場所を提供したりしています。ここまでは,家庭における介護が中心の話でしたが,施設に入所し介護を受けることもあります。
施設においては家庭とは違って,入所者と同じくらいの年齢や身体的条件を持つ人たちと共同生活をするわけですから,今までになかった新しい楽しさを見つける人も多いです。その一方で,入所者の中には一人で居るほうが気が楽でよいと感じている人もいます。また,「家族と会いたい」「Aさんの家族は会いに来てくれたのにうちはぜんぜん来てくれない」「いっぺん迎えに来てというと,帰ってこなくていいと言われ残念でかなわん」「私はなぁ,戦後の食糧難のときも自分の分も分けて子どもを育てたのに,80歳になってなんでこんな目にあわんならんのや。情けのうてかなん」など,涙ながらに訴える場面にも出会いました。
介護の形態は様々にありますが,介護を必要とする人の人格を最大限に尊重し,常に介護を受ける側の立場に立って進めていきたいものです。例えば,おむつを例に挙げると,尿意や便意がない時や,失禁が頻繁にある時はおむつを使わざるを得ませんが,おむつは下着の代わりにはならないので決して快適なものではありません。何よりもおむつをつける本人のプライドが傷つくことや,便器の使用をしないために動く必要が無くなり,そのことで寝たきりや認知症が進んでしまう可能性も指摘されています。おむつを付けさせる側の利便性だけで画一化・省力化がすすめられてはいけません。介護は,一人ひとり状態が異なります。個々に対応する工夫を見出すことが大切と思われます。
●自己実現への思い
高齢者は人生の終盤のステージを自分で切り開いていきたいという強い希望を持っています。国民年金・厚生年金・共済年金に経済的な基盤を置きながら日々の暮らしの中で自分を実現し,充実した老後を送りたいと考えています。各種サークル活動への積極的な参加,社会奉仕活動への貢献を考えています。
●自分の尊厳を確かなものにする思い
高齢になると,耳が聞こえにくくなったり,言葉や仕草,表情でうまく表現できないことが出てきます。しかし内面は,一人の人間として周囲の者と同様に,時に喜んだり腹を立てたり心配したりしているのです。そして,人間として自分が生きていることを他から認められたいという思いも同様です。しかし,現実には孤立しがちな高齢者の姿があります。世代間の共通理解がもっとも必要とされるのではないでしょうか。高齢者が大切にされる家庭や地域を確立するためにも,教育や啓発活動に力を入れたいところです。
4,教材「世代をこえてともに生きる」を使って
三重県教育委員会が発行した人権学習教材「わたしかがやく」には,高齢者の人権に関わる教材として「世代をこえてともに生きる」があります。すでに多くの学校で実践が進められているところですが,実践を進める上での参考となるポイントなどを示したいと思います。最初に,この教材の展開例(「教職員用活用資料集」参照)に示した目標を見てみたいと思います。
【知識・理解】
- わが国における高齢社会の到来について理解する。
【スキル】
- 家族や地域の高齢者とともに生きるために必要なことを身の回りの事象から考えることができる。
- 調査資料などから,高齢者に関する人権上の問題を考えることができる。
- 家族や身近な地域の高齢者から生活の様子や日頃の思い,願いを聞き取ることができる。
【姿勢・態度】
- 世代間の違いを超え,豊かな社会を築こうとする意欲を養う。
- 高齢者との出会いを大切にし,互いに認め合う関係づくりを進めようとする姿勢を養う。
この教材は目標にもあるように,「わが国における高齢社会の到来について理解」をし,高齢者の経験と知識を十分に活かしながら,「身近な地域の高齢者から生活の様子や日頃の思い,願いを聞き取る」ことを進めたり,すべての世代が助け合って社会を築こうとする世代間の協働の必要性を示しています。そして,誰もが生きがいを持って,共に生きることのできる社会をつくるために自分たちからできることを考え,具体的な活動や個々の生活のありように結びつく発展的な学習になることをめざしています。
次に,具体的に学習の流れをイメージした授業展開例を示します。【資料1】
資料1
資料1のポイントで示した中に,「生きがい」を考えていく視点として,国連「高齢者に関する五原則(自立,自己実現,参加,ケア,尊厳)を挙げています。【資料2】ちなみに,お話をいただいた岡島さんの内容も5原則に沿って示してあります。
資料2 (内閣府ホームページより抜粋 http://www.cao.go.jp/)
《高齢者のための国連原則》
1991年12月16日,国連総会は「高齢者のための国連原則」を含む決議46/91を採択した。政府は自国プログラムに本原則を組み入れることが奨励された。
【自立】 高齢者は,
- 収入や家族・共同体の支援及び自助努力を通じて十分な食料,水,住居,衣服,医療へのアクセスを得るべきである。
- 仕事,あるいは他の収入手段を得る機会を有するべきである。
- 退職時期の決定への参加が可能であるべきである。
- 適切な教育や職業訓練に参加する機会が与えられるべきである。
- 安全な環境に住むことができるべきである。
- 可能な限り長く自宅に住むことができるべきである。
【参加】 高齢者は
- 社会の一員として,自己に直接影響を及ぼすような政策の決定に積極的に参加し,若年世代と自己の経験と知識を分かち合うべきである。
- 自己の趣味と能力に合致したボランティアとして共同体へ奉仕する機会を求めることができるべきである。
- 高齢者の集会や運動を組織することができるべきである。
【ケア】 高齢者は
- 家族及び共同体の介護と保護を享受できるべきである。
- 発病を防止あるいは延期し,肉体・精神の最適な状態でいられるための医療を受ける機会が与えられるべきである。
- 自主性,保護及び介護を発展させるための社会的及び法律的サービスへのアクセ スを得るべきである。
- 思いやりがあり,かつ,安全な環境で,保護,リハビリテーション,社会的及び精神的刺激を得られる施設を利用することができるべきである。
- いかなる場所に住み,あるいはいかなる状態であろうとも,自己の尊厳,信念,要求,プライバシー及び,自己の介護と生活の質を決定する権利に対する尊重を含む基本的人権や自由を享受することができるべきである。
【自己実現】 高齢者は
- 自己の可能性を発展させる機会を追求できるべきである。
- 社会の教育的・文化的・精神的・娯楽的資源を利用することができるべきである。
【尊厳】 高齢者は
- 尊厳及び保障を持って,肉体的・精神的虐待から解放された生活を送ることができるべきである。
- 年齢,性別,人種,民族的背景,障害等に関わらず公平に扱われ,自己の経済的貢献に関わらず尊重されるべきである。
「高齢者のための国連原則」は,5つの基本原理と18の原則からなる高齢者の人権保障の諸原則を確認したもので,1991年の国連総会で決議,採択されました。のちの国際高齢者年など,国際的な取組が進められる基礎となっています。これらの原則は,高齢者の現状や課題と展望を見据え,学習を進めていく上においても重要な視点となり得ます。 例えば学校の実践において,家族や地域の高齢者と交流を進めながら学習活動を行ものがあります。この場合,資料1のポイントにも示したように,一方的な交流ではなく,お互いの意志決定や自己実現をねらいながら進めていくことに留意しています。児童生徒と高齢者が個々に互いの顔がみられるところでの出会いを大切にしながら,世代間のちがいを豊かな関係にしていくための関係づくりを進めていきたいです。
「高齢者=○○○」といった限定的なイメージにとらわれるのではなく,身近で多様な一人ひとりとの出会いの中で,共に生きるための気づきと課題解決のための主体的行動につなげていきたいです。