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平成20年10月21日

(人権・同和教育センターNEWS第14号寄稿)

障害者差別とは何だろうか
-障害者差別禁止法の制定に向けて-
荒川 哲郎

1、心の問題から社会のルールへ

 「障害者への差別を禁止する法律をつくろう」との運動を知っていますか。現在、日本では障害者インターナショナル(DPI)日本会議、日本弁護士連合会の障害のある人たちが中心となり障害者差別を禁止する法律(以下、差別禁止法とする)制定への活動を続けています。2001年11月には、日本弁護士連合会が差別禁止法の制定を求める宣言をしました。差別を救済・禁止する新たな法律・制度をつくることで、障害のある人が真に社会に出ていくための「新しい社会システム」をつくる機会になるのではないだろうかと期待されます。誰もが暮らしやすい社会づくりにつなげていける思想、そして法律の運用により、自己実現の確信を皆がもてるようになりたいとの希望もあります。

2、なぜ差別禁止法は必要なのでしょうか

 なぜ差別禁止法の制定が現在、求められているのでしょうか。背景にあるのは、2001年8月、国連の国際人権(社会権)規約委員会が、日本政府に対して障害のある人に対する差別禁止法の制定を求める勧告をしたことです。1993年、国連の「障害者の機会均等化に関する基準規則」に基づく日本政府の施策、実施状況などの調査の評価から「日本での障害者への差別は深刻であり、差別禁止法が必要」と勧告したのです。
 十年前につくられた国連の障害のある人の機会均等の規則は、障害のある人も含め、あらゆる人たちが、生活しやすい包括的な社会づくりを目標とする国際条約に準ずるルールです。障害のある人が生活、労働、教育などの機会を同年齢の人たちと同様にもてるための各国政府の支援施策づくりのガイドラインも示されています。そのため、この規則に基づいて、各国政府は障害のある人たちの生活、雇用、教育状況などの公的な支援に関する制度・施策の新たな基準をつくりかえています。
 しかし国連は世界各国で障害のある人への人権侵害が未だに多いとの認識の基に、障害者の権利に関する国際条約の制定に向けて、2001年に障害者の権利条約の必要性を検討する委員会をつくりました。

3、日本の障害のある人への差別は深刻

 日本では1993年、障害者基本法がつくられ、障害のある人が主体性をもち、福祉サービスを選ぶ道が開かれました。しかし日本弁護士連合会は「今なお根深い偏見と無理解のために、日々様々な場面において深刻な差別と人権侵害を受け続けている」との現状認識をしています。さらに、障害のある人の具体的権利を保障し差別を禁止する、そして差別、人権侵害からの実効力ある救済手続を定めた法律が現在はない、つまり障害者基本法では差別を禁止する機能がないと判断しています。差別を受けた障害のある人の権利の救済については、裁判以外でも簡単に早く専門的に救済する機関を政府から独立してつくるように求めています。なぜこのような認識に至るのでしょうか。
 まず、障害のある人たちの雇用状況を見てみます。現在、障害者の雇用の促進等に関する法律があります。そのなかで、一般の民間企業は、1000人に18人の割合、1.8%の雇用率(法定雇用率)がその法律で決められていますが、法律の対象になる一般企業の55.7%が、法定雇用率に達していないのです。さらに教育委員会までも、2.1%の法定雇用率が決められているにもかかわらず、障害のある人の雇用率は1.22%で、未達成が毎年続いています(『障害者白書』2002)。しかし、法定雇用率が未達成の企業も納付金を出すことで、免罪されています。
 しかも採用時における障害のある人に対する差別的扱いをなくす方法や施設のバリアフリー化をしていく義務、手話通訳者などの支援システムなどをつくりだす計画の作成の義務などもありません。この法律では、障害のある人も共に働く社会への展望はありません。

4、学校教育法施行令の改正にみられる差別性について

 次に障害のある子どもの教育について、考えてみます。
 2002年4月に示された学校教育法施行令の改正では、障害のある子ども一人ひとりの特別な教育的ニーズに応じた適切な教育が行われるように「専門家」の意見を聴き、就学指導の在り方を見直すため、改正したと説明をしています。この改正学校教育法施行令の基本の考えには「障害のある子どもの一人ひとりのニーズ」を大切にするというものがあります。しかし、その中身をよく見てみると、「手厚い教育」の名のもとに「特別の事情がある場合」を除いて、障害のある子どもは養護学校で教育をするとなっています。
 そのため改正学校教育法施行令の内容について、障害のある人たちから厳しい批判が続き、差別性が指摘されています。その差別性とはどのようなことなのでしょうか。平井誠一さんは、障害を個人の身体の故障と表現していること、そして障害の程度の基準を設定して、程度によりグループ分けをしていること、「特別の事情」があると認められる場合に限り、地域の通常学校での教育を認められることは障害のある人たちに対する差別性があると訴えています。
 その差別性の意味を考えてみます。
 障害を個人の心、体に限定していることです。障害を困った状況と定義するならば、それらの問題を解決する方法は決して個人の問題だけにはなりません。現実には社会の制度、環境、意識、人間関係などを活用したり、変えたりしながら解決を求めます。しかし改正された施行令は障害を個人の問題としてとらえるため、結果的には、子ども一人ひとりを障害児として「ひとくくり」にラベルを貼ることになるのです。
 他人から、「あなたの障害はこれです。このような教育を受けなさい」と決められることは、たとえ、自分が困っている状況にあっても、言われたくないことではないでしょうか。「私自身の困っていることのとらえかた、将来の生き方を決めるのは、一番よく知っている自分にまず聞いてもらいたい。自分を尊重してもらいたい。まわりの人たちが勝手に決めないでほしい」と訴えている気持ちがみえてきます。
 「障害のある人が自分で決められないから、親切な気持ちでアドバイスをしている」と反論があるかもしれません。しかしアドバイスは本人、家族の意見を聞いてから始めるものです。障害のある人たちの生き方が、当事者を抜いて決められていくことが、当然のようにすすめられていく学校教育法施行令改正のありかたは人の気持ちを聞こうとしない、人権を無視したものに映ります。

5、障害のある人の意見から教育の状況を考える

 学校を卒業した後の障害のある人たちの意見をとりあげ、考えてみたいと思います。世界中に拡がっているピープル・ファースト運動では、知的障害のある人が長い沈黙を破り「私たちは障害者であるより、まず人間でありたい(People First)」と自らの気持ちを自分の言葉で語り、社会へのアピールを続けています。トーマス・ホプキンスさんの発言を取り上げます。「障害のある人たちばかりの場は『遅れを助長する環境』である。そこで教えられる行動様式こそが、私たちを社会から引き離すもの。それは障害者として振る舞うにはどうすべきかを身につけた人しか、まわりにはいないからである」と話しています。
 この話から、彼が「自分をどのようにとらえ、どのように生きようとしているのか、自分とまわりの人たちのどのような関係をつくろうとしたいのか」を知ることができます。それは自己形成、アイデンティティの確立を大切にしている考えではないかと思います。
 1954年のアメリカのブラウン裁判では、教育の場を分離させられることは、少数者(マイノリティ)は「劣等である」との価値づけを社会に生み出すことを指摘しました。さらに本人自身にも深刻な劣等感を生み出す原因としました。
 日本での分離教育を考えます。北村小夜さんの著書『一緒がいいならなぜ分けた』から引用します。「特殊学級で学ぶIくんが、全校集会での普通学級の子どもたちのまなざしに怒り、けんかをします。けんかの後で、校舎の片隅に暗く陰気に隔離・分断されている特殊学級と、そこへ今帰っていく自分自身の存在のありさまを糾弾して『五くみ、くせえの』と叫ぶ姿」が描かれています。障害を理由に分けられ、自分の存在をさげすむ姿があります。
 社会制度がつくる「隔たり」と否定的な障害のとらえにより、まわりの子どもたちから次第に離され、障害者として孤立しているΙくん。「まわりの子どもたちと友だちになりたい、そして一緒に遊びたい」との思いが空回りしています。人との関係がつくれない孤立感、閉鎖感、自己の存在への不信感、否定感が輻輳して、「ぼくは特殊の子どもだから」と、学ぶ意欲をおのずから削り落としていく様子があります。
 自分をどのように、とらえるのか。つまりアイデンティティの問題があるのではないでしょうか。「私は一体、誰であり、何なのだろうか」そして「私が社会全体の中でどこに、どのように位置づくのか」を明らかにして、「自分は自分であり、他人とはちがう」との独自性、つまり「自分らしさ」の確認をしていきたいと思います。そして現実には自分のアイデンティティは、いろいろな人たちとのつながりで変化して見えてきます。自分だけでは見えなかった自分が、人とのつながりでみえてくることがあります。
 自分をジグソーパズルの一片にたとえると、1ピースだけでは、絵の全貌は見えません。いろいろなピースと合わさり、出っ張りを受け止めてもらい、自分のへっこんでいるところを補ってもらったりして、組み合わせていくと最後には全貌が見えてきます。つまり、自分とまわりの人たちとの相対関係とそのありさまで自分のアイデンティティも確認できると思います。
 ピープル・ファーストの人たちは状況と将来の希望を次のように語ります。
 「障害者として、多数の人たちから『隔たり』をつくられる。次第に遠ざかり、無関心、ある時は『透明な存在』になる。そして、忘れられていく人になり、つながりを切られていく。そして、自分の世界に、ひっそりと孤立して生活することに追い込まれる。このような精神的に閉鎖された世界では、落ち込んだ時に、元気をもらえる人も少ない。だからもっといろいろな人たちと出会い、自分のよさを見つけながら前向きに生きていきたい。拡がりのある連帯と信頼関係をつくる運動を続けたい」。

6、なぜ障害のある人への差別はわかりにくいのだろう

 差別禁止法の運動の中心である東俊裕さんは「障害者差別が悪意をもちおこなわれるのではなく、善意でおこなわれる場合もある」との障害のある人への差別の特徴をあげています。私はこの決して悪意をもたない差別こそが、障害のある人たちには、生きていくうえでの重大な壁となり、継続されていく差別ではないのだろうかとも考えています。
 「青い芝の会」が1970年代に提起した「親の愛の否定」を思い出します。障害のある人たちのなかに、「そよ風のようにまちに出よう」と外出をして自らの姿をさらすこと、さらに「親の管理」「施設の管理」から自らを解放しようとまちのなかで暮らす「自立生活」を始める人たちの運動が現われました。
 その運動には「おとなになっても、親と一緒に生活を続けることは、親から一方的に世話をされる関係がうまれ、自分が望む生き方を主張できない。黙り込んだ状況が続くことで、まわりの人たちが自分の人生の重要なことを決める。そこには自分の存在が見えなくなる。自分を意識して、自分らしさを認めながら生きたい。そのためには、主体的に自分が決め、実現していける生活を送りたい」との基本的考えがありました。「自分がしたいことをする自由」を手にいれるには、親から離れざるをえない。そして地域で介護者を求め、生きていく人たちの運動が続きました。
 一般に「親子の愛」は美しいことと評価され、家族の絆を作る基本条件とされます。特に、「世間」から障害のある子どもの家族には「暖かい愛」が期待され、親と子どもの強い絆をつくることを求められることが多いように思います。
 「保護」によるまわりの人たちの「愛」と本人の自立の希望に対立がみられます。そして親、教師、福祉関係者の保護、思いやり、愛をうけとめきれていないとの批判を受けます。世間の常識、親の愛を否定することで、差別状況からの自立を獲ち取る障害のある人たちの「差別への闘い」は「わかりにくい話」として語られます。

7、差別禁止法への期待

 要田洋江さんは差別禁止法に期待をしています。女性運動を振り返り、家族を支える「女らしさ」の抑圧性に目を向けたことで、「女は男より劣っており、女の居場所は家庭にある」とする社会の価値観を180度転換したように、障害のある人の差別禁止法の運動により、障害観のパラダイム転換を目標にすることを提起しています。そして障害のある人たちの女性、子どもを排除した人権法ではなく、弱い立場におかれやすい障害のある女性の権利、特に産む性として、女性の身体を守る権利、障害のある女性の子どもを産み育てる権利の保障、安心して障害のある子どもを育てることができる新たな社会づくりに具体的に言及しています。
 私たちは、自分の経験、社会からの情報、社会の多数の人の常識に基づいて行動していますが、「見えていない」差別があります。そこで差別の問題を心の問題から社会のルール(法律)へ転換することで、「見えてくる差別」に変わり、もっとわかりやすい解決の方法を創れるのではないかと考えられます。障害のある人たちの意見をまず聞き、それらの意味を一緒に考え、話し合う機会をもっとつくれるのではないでしょうか。社会の常識を変える価値観をつくりあいながら、みんながつながりあえる社会を創れることを期待したいと思います。

(三重大学 あらかわ てつろう)

引用文献

池田直樹、金政玉、要田洋江、北野誠一
『私たちがめざす障害者差別禁止法』
(障害者政策研究全国実行委員会、2001)

平井誠一
「学校教育法施行令の一部を改正する政 令案に関するパブリックコメント」
(『学校教育法施行令が改正される』障害者総合情報ネットワーク、2002)

東俊裕
「差別禁止法制定に向けて考えること」
(『当事者がつくる障害者差別禁止法』現代書館、2002)

金政玉、東俊裕
『踏みだそう権利の時代への第一歩』
(障害者政策研究全国実行委員会、2002)

*筆者原文のまま掲載いたしております。
*寄稿に対するご意見・ご感想は、人権・同和教育センターまで、お願いします。

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三重県 教育委員会事務局 人権教育課 調査研修班 〒514-0113 
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