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平成20年10月07日

知事定例記者会見

知事退任会見 

平成15年4月18日
於: プレゼンテーションルーム

(知事)どうも長い間お世話になってありがとうございました。今日退任させていただくことになったわけですが、先程も副知事から挨拶いただいて、これまずいなと思って、それで挨拶に立った時に、職員の皆さんと目が合って、半泣きのような顔があちこちで見えて、これまずいなと思って、みっともないご挨拶で恥ずかしく思ってます。やっぱり年取るといかんなと、しみじみ思いまして、恥ずかしいご挨拶で申し上げて、本当にまずいなと思いました。8年間県民の皆さんに支えていただいて、未熟が故にね、いろんな失敗もありましたし、不慣れなために解決できないような場面も出くわしましたが、お詫びを申し上げたいと思います。時代の変革期ですから、県の職員の皆さんや、いろんな県民の方にもご無理なお願い申し上げたりしてきたことも、よく覚えていますので、お詫びを申し上げたいなと、そういうふうに思います。今度野呂さん新知事になられて、県庁の職員の皆さん、あるいは関係いただく方々と一体となって、新しい県政をおつくりいただくことは確信してますし、更に次のバージョンをアップしていただければと、念願しているところでございます。8年間本当に皆さんありがとうございました。

質疑応答

(質)知事が昨年の11月25日に3選出馬しないとおっしゃって以降、知事2期8年を、知事自身で、そのうち総括して、お話いただけるというお言葉があったんですけども、今どうですか、2期8年総括して振り返ってみられて、ご自身で総括は。
(答)総括してないんですけどね。恥ずかしいようなことでございまして、振り返って見れば汗顔の至りでございます。それにしてもよくお支えいただいて、ありがたかったなと、そんなことですね。

(質)
一番思い出に残っておられることや、一番しんどかったこと。
(答)それぞれしんどかったこととか、嬉しかったこと、いろいろ、日々の仕事の中で、見つけ出してきたというか、そういう場面に出くわしたりして、いやこれは申し訳なかったなとかね、そういう思いの方が多いわけですが、それにしても仕事良くなったねとか、言われる場面なんかでは職員頑張っているなという、それは大きな喜びだったし、特にね、知事がどれだけ頑張っても、所詮1人の力ですから、県の職員みんなが、倍の力発揮したら、すぐ6000馬力、7000馬力の力が出るわけですね。そういうのを会議をしててね、ああ凄いなと、もう私なんか完全に越えられたなとか、しっかり考えてるなというようなこと、いろんな場面が年々増えてきたと私思いますし、したがって、そういうときにああやっぱいいなとか、凄いなという喜びとかね、まあそんな感じじゃないでしょうかね。

(質)どうですか、2期8年、大体自分の、ご自身で思うような仕事ができたなという手応えはどうですか。
(答)いや、見方ですから、浅学菲才の身にとって、やらせていただけたというのは、能力以上にね、いろんな人にお助けいただいてという思いと、やっぱり迷惑掛けて駄目だったなという、そういうこもごもの感じですね。そんな感じです。

(質)具体的に一つ話を挙げて、これはうまくいったなという話は何がありますでしょうか。
(答)あんまりないでしょうね。

(質)その中でも強いて挙げるとすれば。
(答)仕事はやったことはほとんど失敗だったと申し上げていいと思うんですね。で、その失敗をどうやってクリアしていくかということで、成功を100点とするなら、20点しか取れなかったから、努力して30点に変わったねというなら、マイナス70点をみるか、プラス10点をみるかという、そういう連続だと思うんですよ。だから全てが相対的なものですから、科学の世界ではありませんから、相対的に見て、進化論といいますかね、採ってましたので、そういう繰り返しだったと思うんです。だから失敗は成功の父、成功は失敗の母、というような感じで、どれが成功で、どれが失敗かという、なかなか言いにくいんではないかなという、そんな感じします。

(質)つまり具体的な施策名を挙げて、これが良かったというようなことは申し上げられないと、なかなか。
(答)いや、どうなんでしょう。まあそんな感じですかね。

(質)逆にこれはやっぱりまずかったんじゃないかなと、自分で思い返してみても、先程汗顔の至りという言葉もありましたけれども、そういうことって何かあります。
(答)全部がそうなんでしょう。それで成功した中にも、成功種って言うんですか、先程申し上げたように失敗と成功が、こう混ざり合ってということですから、どうなんですかね、決定的にどっち、こっちというのは言いにくいんじゃないか、とそんな感じ、お尋ねいただいてそんな感じします。

(質)8年間を振り返って来られて、率直な感想というのはどういう感じなんでしょうかね。例えば、いろいろご自分で8年間振り返ってみてですね、自分の出来映えとしてはどうだったかとか、そういうような形で言うとどうでしょうか。
(答)新しい価値をどうやって創造していくかとか、そういうことだったもんですから、そんな点で、私の能力以上にお助けいただいたり、引き出していただいたりというような、そんな感じですかね。

(質)周りの方の話が多いなという感じがするんですけど、知事のですね。知事ご自身はどうなのかなってことですが。
(答)それはもう恥ずかしいですよ。汗顔の至りですよ。

(質)国会議員の職に在られて、知事やられたわけですけど、議員を続けていたよりは、知事やったことはそれなりに大きいですか。
(答)どっちだか分かりませんね。どっちか分かりません。お互いでしょう。だから結論は結論付けられないんじゃないでしょうかね。それぞれの役割があるんじゃないでしょうかね。

(質)経験したことは評価されるんですか。
(答)自分のことになって申し訳ないんですが、経験というのは、知事やっている時も、県会議員と国会議員を経験して、雰囲気が分かったりとか、いろんなことあってありがたかったんですが、更に知事8年やらせていただいて、考え方が変わったんですね。あるいは、ああそうかというようなことを教えていただいたりという点では良かったと思いますがね。

(質)変わったのは主に地方自治の部分とか、分権とかそういうことですか。
(答)まあトータルでしょう。いろんな場面で、流れの中でああそうかなという感じですから、具体なフィールドを持って動かしてきたというか、そういう感じ、フィールドを経験できたといいますかね、そんな感じじゃないでしょうか。

(質)知事自身は、県会議員、国会議員やられて、その後、議員という立場でいろいろ考えて、もどかしい面もあったと思うんですけども、それを知事になって、思う存分やれた面はございますか。
(答)やってみれば難しくってですね、できないことが多かったんじゃないでしょうかね。

(質)この8年間で知事ご自身が、三重県、県庁を含めて変わったなと思われることはありますでしょうか。
(答)県庁の中で自由な議論といいますか、闊達な討論とか、対話が随分進んできたのかなという気はします。それで他県の方から三重県の職員の方は自分の声で話するといいますかね、借り物じゃないと、そういうこと随分聞いて、喜んでいるんですが、エンパワーメントということでですね、内発的な力が引き出されてきて、そういう中から新しい政策が生まれたり、システムが生まれたりしているということが感じましたね。喜んでいるんです。で、そういうことが更に一層進んでいけば、素晴らしい自治体に、私はなっていただいてですね、全国のモデルになれるだろうということを期待してますし、そうなるだろうと思ってます。

(質)具体のフィールドを経験できたという話が、先程ございましたけれども、その具体的なフィールドというのは、やはりどうでしょうか、今までも厳しい部分ございましたか。
(答)それはやっぱり日々解決していかなきゃいけない問題でね、観念論とか理論だけではいけないタイムリミット付きの賛成、反対の中で結論を出していくということですから、しんどい部分はやっぱり、それはそれであったということですね。

(質)しんどいことを8年間乗り越えて来られてですね、今ホッとしているという気持ちの方が強いですか、もっと具体的なものにチャレンジングしていきたいというお気持ちの方が強いですか。
(答)反省の方が多いですね。悪かったなとかね、そういうことが多いですよ。申し訳なかったなとかね、できなかったなとか、かなり厳しく言い過ぎたなとか、そんな感じですね、今。

(質)その厳しかったなということは、周りから指摘されたこととかありますか。
(答)それはやっぱりありますしね、うまくやっておいてよという話は少なかったわけですから、絶対駄目だとか、これはこうだとかいう議論をするわけですから、やっぱり相当人格までかかったような議論でないと、新しい価値は生まれるわけはないわけで、それをしない限り、前例踏襲ですから、新しい価値創造こそが、価値あるんだというようなことだったもんですから、そういう点では厳しいやり取りが随分続いたわけですね。それは申し訳なかったなという思いしますね。

(質)傍目で見ると、国会議員と知事職で、具体のフィールドとおっしゃられたのと、手下が5000人、6000人いるのと、いないのとで違いますよね。その感覚の違いってどうですか。
(答)うん、それはあるんですね。要するに、私的に後援会結成するとかいうような形と、パブリックに、公の仕事でですね、集団で仕事をするということはやっぱり違うんだと思うんですね。だから、そういう点では日々の具体の作業が圧倒的に多くなるわけですから、ガバナンスの違いはですね、代議士時代と知事の時代とは、感覚は違うし、変えなきゃいけないと思ってましたから、それは大きな違いだったと思うんです。それでやっぱり日々の生活に密着した判断というのはどうしても多くなるんですね。だから観念論が少なくなるわけです。したがって、その両方とがうまくミックスされてくと、よりいいんだろうなとそんな感じがしますが。

(質)つまり現場に振り回されたようなところもちょっとあるかも分からない。
(答)いや、そうじゃなしに、現場の持つ意味合いが大きいねとか、そういった積み重ねによって社会が成り立っているとか、ウエイトの問題ですよ、そればっかりではないんですが、そういう視点でものを見ないと解決していかないなという、そんな感じがするというか、例えばそういう感じしますね。

(質)またその幹部を始め、3000人、5000人の部下を持たれて、8年間動かしてきたわけですよね。それで今日副知事に代表するような感謝の言葉あったわけですけれども、そういうのは国会議員ではないでしょう、そういう。
(答)それはまあ角度が変わるから、ないと言われればそれまでか分かりませんが、また別の感動とかですね、心に響くことというのは質が違うんで、それはそれであると申し上げても、ないと申し上げても両方とも成り立つと思います。

(質)そういう意味で似たようなもんだというか。
(答)いや、そうじゃなしに、似たようなものというのは、どっちが充実してますかとか、どちらがということですから、両方と違いがあって、両方と絶対値が違うものの評価しにくいではないかと、そういう意味で申し上げました。

(質)知事、生まれ変わったら、野球監督になりたいとおっしゃったんですけども、そういう意味で監督やったわけですけども、次はちょっと監督できないわけですよね。
(答)そうでしょうね。
(質)やるかも分からん。
(答)いやいや。
(質)独立リーグを作って。
(答)分かりません。5人、10人のグループのマネージャーくらい、できるだけするかも分かりません。分かりません。そんなの。

(質)改めて、その2期8年のチームリーダー、監督やったわけですけども、それはそれで貴重な経験。
(答)まあそれは監督に比べて、選手の皆さんは素晴らしかったということだと思いますね。本当によくやっていただいたなという、そう思います。

(質)もうちょっと俯瞰して、時代としてどんな条件がよかったんでしょうね。知事がそういう意欲持ってた、で職員もカラ出張のウミがあって、それを吐き出した。それから時代も右肩下がりになってきた、の8年間やったんですけども、知事の言葉で言うと、どういう要素でこの8年間が進められた。
(答)新しい時代の始まりといいますか、例えばアメリカとイラクの戦争なんかを見ましてもね、ヤルタ体制が明らかに崩壊し始めているねと、で世界中の戦後構築してきた、もちろん国連はじめですね、IMFでも、世界銀行でも変化しているねと、いう感じだと思います。そうすると敵国条項当てはめられた中で、戦後構築してきた中で、日本が今からどういう道を歩むのかなというのは、大きな課題に現在直面をしていると思いますよね。そうするとアメリカ一極集中とか、あるいは国連中心とか、いろんなことあると思いますが、戦後の日本みれば、それを日本に置き換えてみますと、東京中心に全てというのが、一極集中が破綻をきたしているなというふうに思います。したがいまして、時代を切り裂くには、いろんな方法あると思いますが、知事を経験して、その一つは、やっぱり地方分権から地域自立へという、そういう決意が地域にもなければいけませんと、中央にも是非持ってもらわなければいけませんと、したがって私は内発的改革論者のつもりで努力してきたつもりですが、東京なんかにももの申すということと合わせて、これからは地域の内部のいろんな改革はもちろんのことでありますが、国全体のマクロ政策が整わなければ、地域の政策なんかはうまくいくわけはないわけですから、地域の自立ということで、地域が本当に国に甘えることなく、自己決定をして、自己責任を取って、そして対等協力という確保、場合によっては対等対決というような決意で、この地域社会を築いていかなければいけない、そのスタート台だったと思いますね、この8年は。これから更にもっと大きく大変化をしていかなければいけない、そういうスタートの時だったと思います。

(質)よその地域、他県などと比べて、スタートの準備ができた。
(答)考え方ですね、自立する考え方とか、今まで絶対ヒエラルキーで、部長の言うことが絶対で、それが全てということが、エンパワーメントされましてね、対話の中から問題を発見する能力が付いてきたり、あるいは自己実現のために、自己決定ができる、そういう僕は職員の方をですね、凄く増えてきていると思います。で、そういう文化がなかったわけですから、8年間そういった積み上げで、全てが全て完成もちろんしてません。スタートですから、しかしそういう意味では職員の皆さんは努力をしてくれてるなという感じします。一方でですね、県民の目線から見て、まだまだだなという点は当然あるわけですが、県民の目線も従来こんなもんだということが、実は目開かれてきて、厳しくなってきていることも、また事実ですから、それと県民の目線ですね、それと内発的な改革とかですね、もっともっと激しく交錯して、新しい規範というか、文化を生み出していくには、もっと大きなウェーブの中でね、築き上げていかないといけないんではないかという、そんな感じがします。

(質)知事ご自身のスタートもですね、ここでまた新しくスタートの切り直しといいますか、そういう局面だと思うんですけども、今までなかなか決まってないというお返事が多かったんですが、今後知事としては何をしていこうかというふうに思われてますか。
(答)今までとあんまり変わってないです。まだ決まってないんでね。だから大学院の教授になるというのは、大体決まっているんで、それはそうだと思うんです。後はボランタリィーな活動を、できればなと思ってますから、また上京しましたらね、東京でねいろんな方と相談して、これから決めていくというか、決まっていくんだというそんな感じで、定型はないんです。

(質)5人、6人くらいのマネージャーをするかもというのは、そのボランタリィー、そのあたりに。
(答)いやいや、そういうのないですわねと言われるから、草野球のチーム組むかも分からないしと、それはそういう意味でそんなに深読みしないでいただきたい。

(質)草野球のチームというのはどんなものなんですかね。
(答)それは。

(質)深読みはしませんが、深聞きはしたいんですけれども。
(答)しゃべりにくい。言われたから7、8人で、例えばグループ組んでね、例えばこういうことですね。そんなのウズベキスタンとかですね、カシュバルとか、まあああいったね、シルクロードとか、中東、中近東のこと話しててね、ああそこいいよ、北川さん一緒に知事辞めたら行かないと言うんで、3000円の会費払ったら、あなたもメンバーに加えてあげるよっていうような話が最近あったんですけどね。それ7、8人のグループかなと、そんな話を僕はしただけの話で、軽い質問に対して、軽く答えただけで、そんなに深読みしないで下さい。

(質)それは旅行に行かれるという話で。
(答)そうそう、そのメンバーに入れてよっという話は最近したと、こういうことです。
(質)なるほど。
(質)それでカシュバル行くんですか。
(答)どうなのか、それは行くかも分かりませんよ。
(質)ええっ、今年中。
(答)それは分からないですね。そういう誘いというかね、知事時代そういうこと、全くやりませんでしたし、いろんなスポーツ、ゴルフとか、それこそ草野球とかもやってなかったですから、やろうよというような話は出ますよね。辞めてどうするんだという。単にその一コマを申し上げただけで。
(質)中近東問題解決に乗り出す。
(答)もう一回皆さん意識改革をしておかないと。

(質)知事職員挨拶で詰まられたみたいなんですけど、本当は何話したかったですか。 (答)いや、僕はありがとうと、こう申し上げようと思ったんですよ。さわやかに。そしたら副知事がこれちょっと読まれてたでしょう。まずいなと思って、もう本当に早く止めてくれないかなと思ってたらですね、で目合わすと駄目なんですよ。半泣きというか、ここがぐわぁっとあるでしょ。それでもう駄目なんです。

(質)
で誰が泣いてました。幹部。半泣きの顔があったんですか。
(答)そんなに珍しそうに聞かないで下さい。
(質)ニタニタ笑っている人はいませんでしたか。

(質)取りあえず退任後、早稲田の教授というのは決まっているわけですが、気分としては、知事職を離れる、そして新しい生活に、立場になられるというのは、期待、ワクワクしているという感じですか。あるいはどういうお気持ちですか。
(答)淡々としている。

(質)
特にこんな事やってみたいなとか、そういう新生活に期待というか、そういう感じじゃないですか。
(答)そうですねあまりないですね。

(質)あまりない。
(答)ないです。

(質)もう1期4年やりたかったなとふっと思わない。
(答)それもあまり思わないですね。
(質)あまりというのはやっぱり。
(答)あまりというのは、もう結論出してきてますから、整理整理でという流れでしょう。

(質)今まで知事として我慢してこられたこととか、やりたくてもできなかったこととかあったと思うんですけれども、何かやりたいことありますか。
(答)さっきのね。
(質)旅行ですか。
(答)カシュバルとかなかなかいいねとかね。
(質)旅行、長期休暇がなかったからっていうことですね。
(答)そんなに詰めて聞かないで下さい。大体そんなことかなという感じでしゃべってますから。

(質)旅行とかゴルフとかしたいという感じで。
(答)旅行、まあ少し落ち着いてね、物事考える時間あればいいなという、そんな感じはしますけれどもね。

(質)これからは屋台でラーメンも食べられますよ。
(答)まあそれはいつでも食べられますわね。

(質)知事職にあるとなかなか県内ではそういうふうにいかない。
(答)まあそれはそういうこともありますわな。

(質)今度東京に引っ越されるということなんですが、代議士時代は東京と三重往復されてて、知事時代はずっと三重に住んでいて、今回は多分東京の方にしばらく長い間いかてると思うんですが、三重を離れる寂しさみたいなものは何かありますか。
(答)こんな生活何十年と続けてきてますから、東京、三重という、なんか離れるとか離れないというイメージ、聞かれればそれほどないですよね。だから行ったり来たりの通勤みたいなことですからね、知事時代もそうですし、代議士時代もっとですから、そんなことじゃないでしょうか。

(質)
今後もじゃあ三重は頻繁に帰られるというか、入られるというか。
(答)いや、野呂さんに、新知事になって新体制になられたでしょ。だから権力は一極集中すべきだしね、そうあるべきだと僕は思います。従って頻繁にと言われればそんなに頻繁におじゃましない方がいいだろうなという気がしますね。ただね、知事として8年務めてきましたから、諸々の決定する過程だとか、最終決断の時とかですね、新知事のみならず、いろんな皆さん、幹部の皆さんからですね、あの時はどうだったというようなことはもう本当に、そういう点では受け身の形でですね、それはもう県政進展のためそれは全力あげてご支援申し上げますが、こっちが積極的にとかですね、何かこうするというイメージではないということなんです。だからここ2,3ヶ月気を付けてきたことは、新しい知事の方がソフトランディングできるといいますか、すーっとこう県庁へ入っていただけるようなことを自分としては努力してきたといいますか、8年前自分自身経験してよく知っていますからね。ああいった感じを職員の皆さんに持っていただかないようなね、苦労はさせたくないという思いもありましたし、新知事を迎えて、万全の体制で望めるような努力というのかですね、そんな感じしました。だから権力はやっぱり期限付きで権力持たなければ駄目だと思うんです。だけど権力離れたらパッと終わらなければいけないと思うんですね。そして新しい方が、大変ですけれどもね、権限と責任を持たれて一極集中でやられていくというふうになっていくと、いうことだと思いますから心していきたいと思います。

(質)8年前は逆にソフトランディングしづらい環境だった。
(答)激しい選挙だったものですから、私自身がそういう生活してきたからどうってことなかったんですが、公務員の方は安定した生活の中で静かに送られてて、それこそ黒船襲来とか言われてですね、ある意味で戦々恐々とされた面もあったんだろうと思うんですね。だからそういう点では何ヶ月間か私が就任した時には、私の苦労よりは職員の皆さんの苦労があったと思うんですね。だからそういうことのないようにはしていかないといけないだろうということで、何ヶ月かこう、なるべく私決定をせずにいろんな点でやり残したことを白紙に戻してって下さいよ、ということをお願いして、部局長を中心に彼らいろいろ判断してくれたんですね。やっぱりね凄いですよ、もうやっぱりいらないんだなというかね、いればまた口出しする、それがまた大きい声でするというようなことなんか意識してましたけどね。

(質)月曜日、野呂新知事にお話するような、引継の中でお話しするようなことって具体的に固まりましたか。
(答)どうぞよろしくということですよ。

(質)野呂さんとはまだお話はされて。
(答)まだしてません。
(質)全く。
(答)はい。

(質)何かチーム制ですか、なんかにもメスを入れるみたいな話もちらほら出ているんですが、そのことについてはどのように思われますか。
(答)部長会議の時にも申し上げておいたんですが、どうぞ遠慮なく新知事の下にいろんなことを直していただくなら直していただいて本当に結構ですと、伸ばしていただく分があればどうぞ伸ばして下さいということなんかを、ここ1,2ヶ月申し上げてきたことですから、それがやっぱり権力交代なんですよね。それだからこそバージョンアップしていくんだというふうに思いますから、そのことについては本当にこう、結構なことといいますか、そんな感じします。

(質)先程やったこと全てが失敗だったというご自身のお言葉がありましたけれども、2期8年ご自身で振り返られて点数を付けるとすると、ご自身で何点付けられますか。
(答)あんまり直接失敗ばかりと言われるとちょっと嫌なもんですが。

(質)いやいやご自身が先程。
(答)だから、やってですね、100点とか0点じゃなしに、こう100点目指してて50点できたなというのを成功と見るか失敗と見るかは、50点できたことは成功だけれども、50点足らなかったから失敗と見るという、そういう意味で新しいことにチャレンジしていくわけだから、私の場合はですね、新価値創造に価値を求めたわけですよ。新しいパラダイムつくろうよと、だから少々のことは目をつむって前例踏襲とかいうのは無しにしていこうと言ってるわけでしょ。だから前人未踏の所行くわけですから失敗はいっぱいあるわけですよ。その失敗こそが次の成功に導かれる、失敗は成功の母だということを何回も申し上げてきたから、新しいものにチャレンジする時は、それはほとんど失敗と申し上げてもいいし、その中から成功が生まれてきたとも言えるし、やっぱりそういうことなんですよ。だからそう点数というのはどうぞ皆さんでお付けいただいてね、諮っていただきたいと思うんですが、まあ私なんかの能力から見れば、大勢の方に助けていただいてありがたかったなと私個人ではそういう感じしていますが。

(質)改めて聞きますけれども、例えば2期8年で、これはやっておいてよかったなと、職員の皆さんとご一緒にですね、あ、これができてよかったなと、こういうものは、ああやっぱり作っておいて残せておいてこれはよかったなというようなものはございますか。
(答)エンパワーメントといいますかね、これなんかはやっぱりよかったんでしょうね。こういうことができて、県政が動き始めたというふうにも本当に思います。もし県立病院課を知事部局で完全に持っているとすれば、なかなか4年間で黒字転換とか、あるいは14年度は多分各4病院とも黒字になっていると思いますが、そういうことにはならなかったと思いますね。だから権限移譲で病院事業庁ということで、そこで独立採算的なエンパワーメントするわけですね。病院事業庁は庁長が各県立病院長の皆さんに権限移譲するわけですね。そういうことによってはじめて昔年の体質が変わって、そして黒字化して、その黒字だけが全てでなしにバランススコアカードといいますが、公立病院としての使命は何なのだとか、あるいは本当に病院としての使命は何なのかというふうにバランスがとれてくるわけですよ、費用対効果ばっかりじゃなしに。これはやっぱりエンパワーメントだと思います。例えばそういうふうなことが重なり合ってきてるというふうに思います。

(質)先程からかなり謙遜なさってますけど、北川県政というのはかなり全国的にも高く評価されていると思うんですけれども、それだけ全国の自治体の先例になるぐらいに評価されるまでに至った最大の要因というのはどういうところがあったのかと思いますか。
(答)まあ評価されれば反面マイナス点が、これさっき申し上げた成功と失敗、あざなえる縄のごとし、まあそういうイメージあるわけですね。それで先程申し上げたように、新しい価値を自分たちで自己決定して、自己責任で創造していこうよということですから、国の言うことを本当にそれが全てであって、国の方を向いて、そして国にお伺いたててという追随型でなしに、自分たちで決定して、自分たちで責任とっていこうよという雰囲気が職員の間に随分出てきたし、いわゆる県庁を取り巻く団体の方とか、県民の方にもだいぶ出てきたんじゃないでしょうか。で、そういうところから新しい価値が生まれてきているというようなことがあったと思うんですね。したがって、例えば新しい評価の仕方ということで、評価というのは多分入らないだろうと言われていたし、本来なら国が評価という制度入れて我々がそれを追随するのが、私どもが一番最小単位で事務事業という、まだ未成熟だったですけれども、それは評価というシステムが入ったらですね、国がそれを真似て、そして基本法に入っていくというのは、まさにこれ地域からの改革になるわけですから、まあそういったことがあったと思うんですね。だから環境税の問題でも、産廃税なんかがスタートになってですね、そしてこう新しく価値転換していくというようなことが、各部局に幾つかずつやっぱりあると思うんです、国をリードしたというかね。そういうふうなことではなかったんでしょうか、そういう感じが、お叱りを頂きながらも前へ進んでいったということじゃないんでしょうかね。

(質)知事の基本姿勢として、例えばキーワードとしてどういうことを掲げて取り組んだからこそできた。
(答)それはもう明らかに「生活者起点」だと思うんですね。

(質)この2期8年は時間的なイメージってのは長かったですか短かったですか。
(答)まあ過ぎてみれば短いんでしょうね、その日その日は長かったかも分かりません。だけど大体過ぎ去ってみれば、時のうつろいというのは早いなと、そういう感じじゃないでしょうか。

(質)あっという間の8年間。
(答)そうやって言われればね、早かったのかなという、そんな感じはしますけれども、あっという間というのはちょっと違うかな。

(質)大学院で教えられる準備みたいなもの何かされているんですか。
(答)いえ、してません。

(質)まだ何も。間に合うんですか。
(答)え。
(質)いつから、具体的には。
(答)秋からでしょう。後期からじゃないんですか、多分そんなことだと思います。今さら勉強しても追いつきませんわね。

(質)土日はまだ公舎に寝泊まりされるんですよね。
(答)20日までが任期だそうですから20日までおいてもらえるんです。
(質)で、21日に移動されるんですか。引き継ぎして。
(答)21日に野呂知事と引き継ぎをさせていただいて、それで宿舎、公舎がなくなる、去るわけです。

(質)その足で東京行かれるんですか。
(答)そうですね。

(質)どこか足泊まりとか滞在とか、そうじゃなくて。
(答)ないんじゃないでしょうか。

(質)21日に、もう東京の。
(答)ええそういう感じです。

(質)土日はどうされるんですか。明日あさっては。何かご予定はあるんですか。
(答)引っ越しの準備で。

(質)何か家族サービスとかなされるとか。この半年の間に。
(答)半年の間に。

(質)ええ、なされるのかなと思ったんですけど。いや、ないならないでいいんですが。
(答)いや分かりませんが、したいと思ってます。

(質)この間のテレビ観戦では無言の夫婦やったみたいなんで。
(答)え。
(質)知事選のテレビ観戦では無言の夫婦やったみたいなんで。やっぱり会話あるわけなんですね。夫婦の会話。いや、野呂さんが勝ったときの感想聞いた時に。
(答)まあ、ありますわね、多少はね。

(質)2期8年の間で夫婦の会話って増えました、減りました。
(答)そりゃ国会議員の時よりは増えているでしょうね。いる時間長いですし、身近な話題というかね、やっぱりテンションというか、スピード感というのは国会議員の時の方がはるかに大変だったですから、そういう点では会話は多かったと思います。

(質)8年前田川さんが引退される時に、北川知事に対して、「燈々無尽」という、灯火はずっと灯し続けられるという言葉と、それと三重県は中庸の県であると、所の大切さというのを新知事に伝えたいというふうに言葉を残されたんですが、何か新知事に向けてそういったものはございますか。
(答)新知事、野呂さんはですね、経験もお有りだし見識もお有りですから思う存分力を発揮していただければと思います。で、何か知事室で聞かれるだろうから四文字熟語考えてって言われて、困ったなと思いながら、まあ行き着いたのは「率先実行」かなって、色気のない話ですいませんが。
(質)弱肉強食じゃないんですか。違う。
(答)率先実行。
(質)を、野呂さんに送るんですか。
(答)いやいや職員の方に残すとか、この8年を振り返ってどうかなというようなことで考えろと、知事室から言われたとか、そんな感じがあるんではないかということで、弱ったなと思ってですね、確か「燈々無尽」だったなあというんですが、まあ「率先実行」。これも随分議論したんです。僕が「率先垂範」という言葉を使ってやったときに、職員の皆さんがものすごく議論して、「率先垂範」はやっぱり古いよと、範を垂れるというのは、やっぱり少し行き過ぎではないかというようなことから「率先実行」に変わっているんですね。だからその言葉一つ一つはすごい議論されてて、「生活者起点」なんかもそうだったんですけれども、何百人という人が関わって三重県のアクションプランの中の率先実行という名前が決まってきているわけです。まあ四文字ですからちょうど「率先実行」、「生活者起点」は五文字だし、って悩んだ末に「率先実行」でございます。

(質)今後東京での活動の拠点として、事務所とかっていうのはもう決まってるんですか。
(答)決まってないです。

(質)探している途中ってことですか。
(答)いや、早稲田の研究室でいらないって言ってたのに、何かあるそうなんですよね。そんなとこじゃないんかなという感じだけです。まだ分かりません。

(質)じゃあ講義は9月からでももう4月から研究室入りっていう。
(答)そうそう、そういうことになるんでしょう恐らく。

(質)8年前に知事になられた時に、想像してみえたご自身の三重県像、こういう県にしたいという、そういう思いと、現在の三重県の姿というのはどうでしょうか、想像されていた以上のものができた、それともご自身のご想像なさったような三重県になったか、その辺りというのは。
(答)自分自身は、自分自身の能力からみればね、いろんな方に助けていただいて、想像したぐらいのことはいけてるのかなという感じしますが、それがシステムなんかが整って形としてどう現れているかという評価の仕方によっては全然変わってくるとは思いますが、組織とかシステムとかが、砂上の楼閣であっては同じ事何回も賽の河原で繰り返しですからね、だからやっぱり自立とかいう形のものが少し入ったんではないかなという、まあそういう思いからすればそうですしね、また逆の見方からすれば、不十分だったということも言えるというのはもう、多面的ですし、見方によりますね。

(質)地方分権において、知事ご自身が以前おっしゃってた北京の蝶々、知事ご自身が地方行政における北京の蝶々になり得たかなと、そんな自負はありますか。
(答)なり得たか、なり得ないかというのではなしに、そういう努力をしてきてね、大勢の仲間とかがですね、やっぱり地域からの情報発信は随分できてきているというふうに思います。それがやがてハリケーンになってくることを望んでますね。だから北京の蝶々がパーッといろんな地区で飛ぶでしょ。それがわーっとなってニューヨークでハリケーンが起きるということでですね、そうなればいいなというふうに思います。

(質)それは知事が代わっても、これはそういう基本みたいなものってのはもうできあがった。できている。
(答)野呂さんもそうお考えだと思いますし、そういう方向で県庁がどうのこうのということだけではなしに、県庁もそのベクトルはその方向向いていると思いますが、社会全体もそうじゃないでしょうか。そんな感じしますが。

(質)あと県民に何か一言メッセージがあれば。
(答)大変お世話になって本当にありがとうございました。それぞれ地域のことは地域の皆さんがお考えをいただいて、ご決定いただいて、という形になっていかないといけないと思うんです。したがって民主主義っていうのは、民が主力というのは言い方換えれば民の自立ということとの裏腹だと思いますから、自立をしていくというのは難しいことだと思いますし、辛いことだと思いますが、三重県から自立ということを中心に踏まえた民主主義が生まれてくることを本当に願っています。是非様々な施策を通じて、あるいは様々な地域の行事を通じてみんながバリアフリーになるようなね、自立できるような地域、その集合体が県であってですね、そしてそういう県ができればそれが全国を揺るがすというか動かすようなことに、まあそんなことに是非なっていただきたいなと、そんなこと期待しています。

( 以 上 )

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