ひきこもり支援コラムNo.9 「居場所の内職を転機に就職」
ひとり親家庭で育ったのですが、中学に入ると母との折り合いが悪くなり、高校を卒業して就職したことを契機にアパートでひとり暮らしをはじめました。しかし、2年程で勤め先の居心地が悪くなり、私生活で起こした車の事故をきっかけに退職し、 自暴自棄になってしまいました。その後お金が尽き、どうすることもできなかったので、父と祖父に頼みアパートを引き払ってもらいました。それから祖父宅に引っ越し再起を図ろうと頑張ったのですが、上手く行かず、転職を繰り返し荒んだ生活に落ちていきました。そのような状況の中で、祖父と口論になり、部屋にひきこもってしまいました。
ひきこもって半年が過ぎたころ、1人の支援員が家を訪ねてきました。どうやら祖父が地元のNPOに依頼して来てもらったようです。階下の居間で話す祖父と支援員の話に耳を傾けていると、祖父は私に対する思いをとうとうと話していました。要約すると「私たち世代は仕事があるだけで幸せ。働かずに家にこもり、求人情報を見て応募もしないという姿勢はいかがなものか。」というものでした。苦労人で日本人は勤勉であるべきという考え方を持つ祖父からすると、さもありなんという内容で、支援員が帰る一時間半ものあいだ黙って聞いていました。
しかし、その夜、なんとなく腑に落ちず悶々としていると「俺だって辛いことがあり、ひきこもっているんだ」という思いが募りに募り、次の日の朝、自分の気持ちを伝えたくて、昨日訪ねてきた支援員に電話を掛けました。翌日、早速会うことになり、喫茶店で話をすることになりました。正直、家族以外の人と会うのは久しぶりのことで、一時間ほど話をしたのですが、ほとんど記憶にありません。ただ、支援員がずっと頷いて聞いてくれていたので、思いのたけをすべて話したのだろうなとは思います。あとから聞いたのですが、最初の30分間は家族の批判をし、後の30分は家族へ感謝の言葉を口にしていたそうです。今思えばかなり混乱していたのでしょう。
それから一週間後、支援員から居場所に来てみないかと誘われ、特に断る理由もなかったので、早速お邪魔することにしました。特別、明確な目的をもって居場所を訪れていたわけではないのですが、誘われるがままに色々な行事に参加し、NPOが行っていた内職の作業に参加するようにもなりました。これが自分に合っていたのか毎日過ごしているうちにだんだんと自信がついてくるようになり、これならば就職できるのではないかという手ごたえを感じるようになりました。
翌年、転職フェアに参加する機会があり、たまたま声をかけられた運送会社の社長に気に入られ、すぐに採用の運びとなりました。
あれから5年、今も仕事を続けています。